陽の章 八


「…耕一が、何であんな事出来んだよ」
 向き合ったソファにだらしなく座り込んだ梓が、真っ赤な顔でそっぽを向き、ぶすっと悔しそうな低い声を出した。
「俺も柏木だ。出来なきゃどうする気だった? 梓、考えて使え。普通なら殺してるぞ」

 俺は梓の思慮の浅さを目の当たりにして、千鶴さんの苦労を垣間見た気がした。

「…だって…さ。…千鶴姉、耕一は帰らないって言ったきり、部屋に篭もって…さ…」
 ぶつぶつと文句を言いながら、それでも悪いとは思っているのだろう。梓は両手の指を組んだり離したりする。
「だってじゃない。力には責任が付き纏うんだ。望むと望まざるとに関わらずだ。お前がそれじゃ、千鶴さんが安心出来ないだろう」

 俺は本気で困り果てていた。
 二度と顔を出さない方がいいと決心はした。だが梓がこれでは、千鶴さんの心労は増えるばかりだ。
 やはり夏に見せた千鶴さんと楓ちゃんの態度は、梓のこの思慮の浅さか。
 万ヶ一にも………
 遣るしか無いか。

「ごめん」
 俯いたままの梓から呟きが洩れた。
「まあ、判ればいいがな。それで、千鶴さん、まだ部屋から出て来ないのか?」
 俺の口から溜息が洩れたのは、仕方がないだろう。
「…うん。楓まで篭もったのに。初音は帰って来ないしさ」
 梓に恨みがましく見られ、初音ちゃんの小柄な身体が更に小さくなる。
「…ごめんなさい、梓お姉ちゃん」
「梓の早とちりだから、初音ちゃんは悪くないよ。俺に付いててくれただけなんだからさ。梓も、怒ってるんじゃないから」
 俺が小さくなって謝る初音ちゃんの頭を撫でながら笑い掛けると、初音ちゃんは少し安心した様に微笑んだ。
「でもな、梓。俺が二人を襲ったとでも思ったのか?」
「なっ、な、何も。あたしは、そんな……」
 正直な奴。
 俺は真っ赤になって俯いている梓の姿に、もう少しで腹を抱え笑い出すのを堪えた。
「今度は初音かって。怒鳴ったよな?」
 梓は俺に自分の言った台詞を言われ、もじょもじょと身体を揺する。
「いいさ。半分は、俺が原因だ」

 元を正せば、全部俺が原因。
 俺と、俺の中の俺。
 柏木の元になった一人の男。
 それが全ての始まり。

「だから、説明しろよ」
「初音ちゃん。一人で帰れる?」
 ジリジリしている梓に構わず、俺は初音ちゃんを覗き込んだ。
「耕一…お兄ちゃん?」
 初音ちゃんは、きょとんと俺を見上げた。
「梓まで来たから。千鶴さん達がお腹空かして出て来たら、家がどうなるか心配だろ。千鶴さんが料理作ったら、どうする?」
「…それは…ちょと」
 考えたくないのか、初音ちゃんは苦笑いを浮かべ。梓は、ウゲッと妙な声を出して両手で頭を抱えた。
「下でタクシー拾えばいいから。頼むよ、初音ちゃん。梓も、すぐに帰らすからさ」
「耕一お兄ちゃん、帰って来ないの?」
 不安そうに見上げる初音ちゃんの頭から手を離し、
「初詣、一緒に行くって約束したよね。それまでには帰るよ」
 嘘も方便と腹を決め言う。
「うん。じゃあ家で待ってるから、早く帰って来てね」
 こっくり頷き、初音ちゃんは安心した微笑みを浮かべ。ととと、と軽い足取りで部屋を横切り、出際に小さく手を振るとドアを閉めた。
 初音ちゃんに手を振り返し、
「鬼が男に発現すると、どうなるか。梓、知ってるか?」
 守れない約束に疼く罪悪感を振り払い、俺は閉まったドアから梓に目を移した。

 梓は鬼の血の重さを自覚する必要がある。
 最後まで遣りたくはなかったが、俺は梓に賭ける事にした。

「あたしが、千鶴姉の事聞いてんだよ!」
「関係が在るから聞いた」
 不満そうに答える梓を睨み、俺は声に怒気を含ませた。
「どうって、どういう意味?」
 普段の軽い乗りを省いた俺を訝しげに見て、梓は問い返した。
「直系男子は確実に発現する。だが、制御出来るかどうか判からん」
「でも耕一、使っただろ? 父さん達とは違うんだろ?」
「梓? …お前?」
 俺は眉を潜め、身を乗り出した。

 千鶴さんは話してない。
 どうして梓が知ってる?

「知ってるよ。叔父さんから聞いた」

 親父か?
 それなりの手は、打って在ったか。

「話が早いな。どういう風に聞いた?」
 親父が何処まで話したかで、俺も考え直さないと。
「叔父さんが死ぬ少し前だったかな。もうすぐ自分は居なくなるけど、姉妹だけでも、もう大丈夫だよなって。理由聞いたら、鬼に飲まれると自分が自分で居られなくなるからだって。父さんも母さんも、それで死んだんだって話してくれた。けど叔父さんが死ぬまでは、半信半疑だった。でも叔父さんが、酔っぱらい運転で事故なんて起こす訳ないからね」
 俯いた梓のもごもごとした返事は、表面的な事実だけだった。

 結局、変更は効かないか。

「千鶴さんに聞こうと、思わなかったのか?」
「叔父さんに止められたんだよ。千鶴姉が話す気になるまで、待ってやってくれって言われた。遺言になったからね」

 最悪の場合、千鶴さんが俺を殺すとは話せなかったか?

「千鶴姉が部屋に篭もったの、それと関係在るの?」
「まあな。制御出来ない鬼だけど、梓も見た事がある」
「見た事ある? あたしが?」
 顔を上げた梓は、顔が強ばらせた。
「昔、俺が水門でお前達を殺し掛けた」
「…耕一? あんた覚えてなかったんじゃ?」
 梓は首を傾げ、嬉しそうな顔で俺を見上げた。
「鬼と一緒に記憶も戻った。記憶ごと封じてなかったら、お前達を殺してたな。すまなかった」
「…でも、襲わなかっただろ?」
 目を逸らした梓の様子が、俺の脳裏に、あの時深い恐怖を浮かべた三人の顔を蘇らせた。
「あたしの頭撫でて、泣くなって。おぶって帰ってくれたよね」
 懐かしさと恐怖が混ざり合い、目を伏せた梓の声は弱々しかった。
「そうだったな。でも今度目覚めたら、制御出来るかどうか判らなかった。だから鬼が目覚めないよう、俺の前では、あの時の話と、鬼の話はするなって言われただろ」
「…うん。…でも千鶴姉、理由は教えてくれなかったな」
 下を向いたままの梓の口から、教えて貰えなかった寂しさ混じりの溜息が洩れた。
「千鶴さんは話さない。お前達が苦しむからな。だから俺が話してる。夏の事件、覚えてるよな。お前の後輩が巻き込まれたヤツ」
「それがどうしたの、犯人捕まっただろ?」
 梓は思い出すのも嫌そうに顔をしかめ、何言ってんの、と手をひらひらさせる。

 どこまで話すか俺は迷っていた。
 親父や両親の話は避けたい。

「梓、あれは鬼の仕業だ。最初、鬼の殺戮本能は夜に悪夢の形で現れる。千鶴さんは、俺が犯人だと思っていた。俺が鬼を制御出来ず殺った。そう思い込んでた」
「…でも…耕一じゃないんだろ? …あれから事件だって無いしさ。…さっきも使ったよ!」
 俺を見る梓の表情は複雑だった。
 後輩を巻き込んだ事件の犯人が、俺かも知れないという疑惑と、そんな筈が無いという否定で瞳が揺れ、頬が引きつれていた。
「本当の犯人は、制御出来なかった別の鬼だ。そいつと殺りあって、俺は目覚めた。奴は俺が始末した」
「…始末って?」
 梓は犯人が他の鬼と聞き息を吐き、思い出した様に顔を上げ聞き返した。
「水門で殺した。俺と千鶴さんが夜出掛けて、俺が丸一日寝込んだだろう? あの夜だ」
「…千鶴姉と…出掛けた夜?」
 梓は眉を潜め、記憶を探る様に首を傾げた。
「ああ。千鶴さんに散歩に誘われてな」
「あんな事件の時に? …まさか千鶴姉、最初から殺り合うつもりだったのか?」
 目を見開き怒った様に尋ねる梓から目を逸らし、俺は首を縦に振った。
「チィクショ〜。何だって、あたしに黙ってたんだ! あたしが殺ったのに!」
 千鶴さんが自分を呼ばなかったのが悔しいのだろう。梓は真っ赤な顔を向け、俺を睨み付けた。
「梓には、殺せないだろ?」

 妙だ?
 梓の反応がおかしい。

「何でだよ。あたしの方が、千鶴姉より力は在るんだっ!」
 悔しそうに拳を握り締める梓を、俺は寝目付た。
「力の問題じゃない。殺すって意味、判ってるのか?」
 力の一部を使った俺の視線で、梓の顔色が蒼白く色を変える。
「…意味…って?」
「言うのは簡単だ。お前、さっき俺が力使えなかったら、殺してたぞ。俺殺して、お前平気か?」
 スッと視線を下げた梓から、俺は視線を外し力を抑えた。
「ごめん、悪かったよ。でもさ、相手は何人も殺してる奴だろ? かおりだって酷い目に遭ったんだ」
「同じだ! 奴は俺だ。制御出来なかったら、俺がなってた姿だ」
 言い募る梓を一括し、俺は息を吐いた。
「お前だって判ってるだろう、大事な人が死ぬってどういう事か。人が死んだら、誰か悲しむ人が居る。それを自分の手で殺るんだぞ。俺や千鶴さん達殺されたら、お前平気でいられるか? 簡単に殺すなんて言うなっ!」

 まさか殺す意味から教えないとだめとは、梓の教育には時間が掛かりそうだ。
 両親と親父を亡くしている梓だ。人の死の重さが判らない筈がない。
 だが狩猟者の本能が、人の死を軽んじさせる。
 狩猟者の血を引いていても、俺達は人だ。
 人を平気で殺せるなら、ただの鬼になる。

「…ごめん、悪かったよ。…もう言わない」
 俺と千鶴さんを引き合いに出され、俯いた梓はぽつんと謝った。

 身近な者を引き合いに出すのは、卑怯だとは思うが悠長に諭してる暇はない。

「判ってくれればいい」
「でも千鶴姉、なんで教えてくれなかったんだ? 警察に知らせても良かっただろ?」
 今度は犯人を知っていながら教えなかったと、梓は口を尖らせ不平を言い始めた。
「梓に言えないだろ?」

 こいつ話が判って無いのか?

「千鶴姉なら殺せるって言うのかよ!?」
「お前な。ちゃんと話し聞いてたのか?」
「聞いてたよ! 千鶴姉と耕一で、犯人と殺り合ったんだろ!?」
 梓の鈍さに溜息が出た。

 やっぱりだ。
 先の話がスッポリ抜けてやがる。

「言っただろ、千鶴さん勘違いしてたんだよ」
「勘違いって?」
「俺だよ、千鶴さんが殺す気だったの」
「……誰?」
「俺」
 梓は苦く笑った俺の言葉を信じられない。と言う顔で凍り付いた。
「梓には殺せないだろ? 警察にも、俺が鬼で犯人だなんて言えないよな」
「…千鶴姉が? …なん…で……?」
「何度も言わすなよ。俺が犯人だと思ってたからだ。制御出来なかったら、犯人で無くても死ぬしか無かった。胸裂かれて水門から落ちたから。覚醒しなかったら、死んだだろうな」
 なるべく軽く言ったつもりだったが、梓は俺を見詰めたまま反応しない。
「梓? おい聞いてるのか。まだ序の口だぞ、こんなんで、気い失うなよ」
 俺がちゃかすと、梓はハッと引きつった笑いを浮かべた。
「な、なんだよ。脅かすなよな。千鶴姉が耕一殺すなんて。冗談にしても、質が悪すぎるだろ」
「信じたくないのは判る。だが事実だ。受け入れろ。俺が目覚めて水門から上がった時には、真犯人の鬼に襲われた千鶴さんは、瀕死だった」
 母親代りの千鶴さんが、死に掛けたというのがショックだったのか、俺を殺そうとしたのが信じられないのか。
 梓は浮かべた笑いをそのまま、またも凍り付いた。

 たっくう。
 普段の強気は、どこに行った。

「待ってやるから、落ち着いて考えろ。俺に食ってかかる、いつもの勢いはどこに行った」
 俺は備え付けの冷蔵庫から缶ジュースを取り出し、プルを開け梓の手に握らせ、俺も缶ビールを口に運ぶ。
 俺がビールを飲み干す頃になって、やっと梓は手のジュースに気付き、一気に喉を鳴らし飲み干した。

 この調子では、親父や両親の話し聞いたら、ショック死するかも知れないな。

「少しは、落ち着いたか?」
「う、うん」
 心持ち蒼褪めた顔の梓が頷くのを確かめ、俺は口を開いた。
「聞きたい事があれば答える。初音ちゃんを帰らせた訳も、判かっただろう」
「初音? ああ、そうだね。初音どころか楓にだって、とても聞かせられないよ」
「楓ちゃんは、知ってる」
 薄ぼんやりした顔の梓の瞳が、俺を見詰め徐々に開かれた。
「…なんで…?」
「俺達と違って、力で感じ取るらしいな。話さないと余計悩むって。言っとくけど、お前だけのけ者にしたって怒るなよ。知らない方が幸せだからな」
 俺は先に釘を刺す。
「…うん」
 梓は、しぶしぶにだが頷いた。

 いつもなら食ってかかる。
 かなり精神的に参ってるな。

「……じゃあさ…聞くけど。…その、…なんで千鶴姉が……」
「俺を殺すかって?」
 言い難そうに語尾の消えた梓に俺が尋ね。
 梓は小さく頷いた。
「俺を苦しめ無い為だ。それに柏木が鬼で、鬼が人を殺しまくってる。なんて知られてみろ。良くても村八分だ。みんな、まともに生きて行けなくなる。世間に知られない内、裏で始末するのが、柏木当主の義務なんだろうな」
「始末って、殺すんだろ? 耕一は、死ぬ所だったんだろ? なんでそんなに平然としてるの? おかしいよ。千鶴姉だって、どうして平気で耕一と笑って話せるんだよ?」
 泣いているのか笑っているのか判らない、妙に引きつった顔で、梓は信じられないものを見る目で俺を見ていた。
「俺は平気だ。だがな、千鶴さんは、まだ引きずってる」
「耕一だ! おかしいのは!」
 梓は真っ赤な顔で溜息混じりで言った俺を睨み付け、テーブルを両手で叩いた。
「二人ともどうかしてる。何で千鶴姉がそんな事するんだ? 今度だって、わざわざ耕一迎えに行って。そんな事しといて、何で会いに行けんの? ね、嘘なんだろ? からかってるだけだよね?」
 梓は頭を抱え涙声で洩らした。

 俺だって、嘘だとどれだけ言ってやりたいか。

「鬼の本能が勝ると、自分では、死ねない」
 俺は感情を抑え静かに言った。
「えっ? …でも、叔父さんは?」
 梓はうっすら涙の滲んだ目を上げ、眉を寄せた。
「親父は、鬼を黙らすのに睡眠薬と酒を大量に使ったらしい。死のうとすると、鬼が無意識に邪魔をするんだ。殺す者の方が辛いだろう。大抵は身内だからな」
「でも、だからって!」
 言い掛けた梓を片手を上げ制止し、俺は軽く睨んだ。
「お前ならどうする。人を引き裂き、血を浴び悦にいる鬼が、自分の中に居るのを知りながら。止められないんだぞ。次に自分の手が引き裂き、血を吹き出させるのが、お前か、初音ちゃんか、楓ちゃんかも知れない。その恐怖に怯えながら、自分で死ぬ事も出来ない。狂う事すら出来ない。死んだ方がマシだ!」
 舌打ちしつつ俺は立ち上がり、冷蔵庫からもう一本ビールを取り出すと飲み始めた。

 つい感情を抑え切れず話していた。
 あまりにも酷い例えだった。
 俺は、蒼い顔で考え込んだ梓を見て後悔した。

「すまん、言い過ぎだった。だが判ってくれよ。一番辛いのは千鶴さんだ。俺は、殺されてても恨んだりしない。制御出来なかったら、死んだのは千鶴さんの方かも知れないんだ」
 しばらく何も言わず黙り込んだ梓を見ていると。突然ふらふらと立ち上がり、冷蔵庫から缶ビールを取り出しソファに崩れる様に座り込み、一気に飲み始めた。
「梓、大丈夫か?」
「…大丈夫じゃない」
 可愛くない返事を返す梓は、だらしなくソファの腕に持たれ、蒼白になっていた。
「弱ったな。まだ話半分なんだが。止めとくか?」

 急ぎすぎた俺のミスだ。
 千鶴さんほど上手く感情を抑えられない、俺の甘さか。

「…まだ…半分?」
 あきらかにげっそりした顔で、梓は頭を両腕で抱え込んだ。
「無理するな。でも、もう会う事もないからな。どうする?」

 これだけショックを受けると仕方がない。
 諦めて口止めだけにするか。

「会う事…ないって? …耕一、なに言ってんの?」
 梓は抱えた腕の間から、不信に眉を潜めた顔を覗かせた。
「俺は居ない方がいい。二度と来ない。大学もマンションも、引き払う」
 腕をだらんと下ろし、ぼぉ〜と俺を見る梓からは、普段の威勢の良さは消え失せていた。
 千鶴さんは、流石に梓の性格を良く知っている。
「大学もマンションも? 耕一、なに言ってんだよ! あんた恨んで無いって! どうして? 判んないよ! 一体、何があったんだよ!」
 いきなり声を震わし身を乗り出すと、梓は悲鳴の様な涙声で捲し立てた。
「だから。話して大丈夫かって、聞いてるだろ?」
 俺ののほほ〜んとした返事に、ガックリ肩を落とすと、梓は座り直し両手で頭を掻きむしった。
「…判った。…聞かない方が身体に悪い」
「よし。じゃあ、続けるぞ。千鶴さんと昨日喧嘩してな。頭冷やして、俺を信じるなら連絡してくれって言ったんだけど。連絡が無いんだよな。これが」
 俺は挑発するよう、わざとのんびり言う。
「耕一ぃ〜。それが真剣に話してる、態度か! それにしたって、千鶴姉が耕一と喧嘩? 余計判らない。耕一が千鶴姉襲ったんなら、すぐ納得出来たんだけど」
 梓は随分な台詞を返す。
 だが俺は、普段の調子が少しは出て来たのに安心した。
「そんな必要、無いんだけどな」
「どう言う意味?」
 苦笑を浮かべ俺が洩らすと、梓はすぐ問い返す。
「今は話が違うだろ。お前、まだ話の重要性が判ってないな」
「あんたの態度は、どうなの!」
「お前をリラックスさせる為に、わざとやってる。感謝しろよ」
 怒鳴る梓をいなし、俺は怒鳴り声が返ってくる前に続けた。
「入試が終わったら、梓に柏木の男がどうなるか話せって言ったんだが。千鶴さん、変な誤解して言い合いになってな」

 あんな誤解する事ないのに、俺の話方が悪かった。

「あたしが原因だって言うの!」
「違うって、誤解だ。お前まで誤解するなよ」
 俺は睨む梓に手を振り、額を押さえた。
「どんな誤解?」
「全部話して、お前自身の意思で決めさせろって言ったんだけど。自分の意思と考えで決めたい俺には、自分の考えだけで殺そうとした千鶴さんを許せない。だから俺が恨んでる筈だって、千鶴さん思い込んじまった」

 弱った女だ。
 勘違いと思い込みの激しいのは知っていたが、どうすればいいのか。

「そんなの。耕一が気にしてないって言えば、済むだろ!」
「あれから何度も言った。お前に言われるまでもない!」
 何度も来り返した事を言われると、俺だってムッと来る。
「じゃあ、なんで姿消すんだ! 恨んで無いなら、今まで道理でいいだろ!」
「…それ、は…だな…」
「それは、何だよ!? だいたい何であたしの事で、あたしの知らない所で、喧嘩なんてしてんだ! 関係無いで納得出来るか!!」
 俺が言葉に詰まると、梓は一気に捲し立てた。
「子供だ。お前、子供産めるだろ?」
 俺は話を逸らす為にも、そのまま本題に入った。
「…う…産める…」
 一瞬絶句した梓は、顔を赤くして視線を落とすと、ぼそっと返事を返した。

 こういう所は、可愛いんだが。

「その場合だ。母系に出るのはまれだ。確立は少ない。だが、いくら少なくても、男なら鬼が発現し、制御出来ない場合も在る」
 きょとんと赤い顔を向ける梓の幼さが、俺の心に痛みを走らせた。
「子供を産むなら、いざと言う時の覚悟がいる」
 俺の言葉を理解した梓が、虚ろな瞳でソファに座り込むのを、俺は胸に空いた穴に冬の冷気が吹き抜けた様な寒さで見守った。
「…そう、だったら…どうするの?」
「苦しませない。俺が楽にする」
 一番言いたくない言葉を、俺は口に乗せた。
「…うそ…だろ」
「俺には制御出来た。方法を探すつもりだ。母親が柏木の場合。発現率は、殆ど無い。そう気落ちするなよ」
 ぽつんと呟いた梓に、俺は千鶴さんに言った言葉を繰り返した。
「…耕一…ほんとだな?」
 俺は潤んだ瞳を向ける梓の頭に手を置き、初音ちゃんにする様に、梓の頭をぐりぐり撫でた。
「心配するな、女の子なら大丈夫だ。お前の場合、男でも多分大丈夫だ」
 明るく軽く言うと、言葉を信じたのか頭を撫でたのが効いたのか、梓も少しはマシな顔色になった。
「なあ、梓。お前どっちが良かった。知らずに産んだ方が良かったか? それとも、話して良かったか?」
 自分の都合だけで話した後ろめたさから、俺は不安に駆られ、気が付くと梓に尋ねていた。
「鬼なのは知ってたからね。でもさ、殺すって言われても実感ないな。まだ判らないけど、知らない所で心配されるのは嫌だな。千鶴姉、一人で抱え込むからさ」
 梓は弱い声でだがしっかりと言い、俺の手を頭からうるさそうに払い退ける。
「確かに弱った女だ。手が掛かるったらない。まあ、それも可愛いから、いいんだけど」
「ねえ、耕一」
 梓に縋る目で見られ、俺はどきりとした。

 大人しくしてると、こいつも可愛いんだ。

「何でもう来ないなんて言うんだよ。話し聞いたら余計判らないよ。耕一しか、もうあたし達には居ないのにさ。叔父さんも死んじゃって。みんな耕一が来るの、楽しみにしてんだよ。本当は、頼りにしてんだから」
 普段なら恥ずかしがって言わない台詞を、梓は切なそうに口にする。
「千鶴さん、俺に負い目感じてるんだ。未だに殺し掛けたの気にしてる。一生負い目持った相手と暮らすのが。あの女にいいとは、とても思え無い。それに……」

 この上、思い出したらどうなる。
 一番の幸せを考えたら、早い内姿消した方がいい。

「…一生? …暮らす?」
「千鶴さんと………」
 話しながら考えていた為、反射的に願望を口に乗せ。慌てて梓を見ると、何故か目がつり上がっていた。
「お前は! いつの間に! やっぱり力づくか。それとも、負い目に付け込んだか!」
「どうして怒る? 違う、どっちも違うぞ。その前だ。あっ! そうか。話さなかったの怒ってるのか? お前の受験が終わったら話すつもりだった。だから勘弁しろ」
 鬼とは違う異様な迫力で迫られ、言い募ると、
「前! ずっと隠してたのか! 受験だと! あたしが居なくなると思ったか!」
 ますます梓の迫力が増す。
 目をつり上げ掴み掛かる梓から逃げ回り、何とか座り直し人心地付いたのは、たっぷり十五分は、狭い部屋の中を駆け回った後だった。
「悪かった。黙ってたのは謝る」
 クシャクシャになった一張羅を直し直し、俺は梓に頭を下げた。
「ふん。まだ楓の事、聞いてないからね」
 口を尖らせ横を向いた梓の顔は、まだ真っ赤に染まっていた。
「俺の事。好きだったのかな?」

 本当の事は話せない。
 仕方なく俺は、首を捻り捻り呟いた。

「はぁ〜。何、言ってんの?」
 梓は呆れた様に腕を組んで、半眼に閉じた眼を向ける。
「親父の墓で楓ちゃんに会って。千鶴さんどう思ってるって聞かれたから、好きだって。それ位しか、俺には心当たりがないぞ」
「まったく。楓は別口だね」
 梓は大袈裟に状態をのけ反らすとボリボリ頭を掻き、また半眼に閉じた目で俺を睨み付けた。
「それにしても。楓に千鶴姉好きだって言ったって? 前っていつからだよ? 家じゃ、そんな素振りも見せなかったクセして。千鶴姉も耕一も酷いだろ」
「胸裂かれる数時間前、かな?」
「なっ……?」
 ぽつんと言うと絶句した梓はぽかんと口を開け、俺をマジマジと見詰めた。
「な、話し辛いだろ?」

 そうなんだよな。
 最初は何となく話し辛くって、言い出せなかったんだ。

「…あんた達、何考えてんの?」
 唖然として洩らした梓の頬は、化け物を見る様にピクピクと引きつっていた。
「何って?」
「数時間前ってなに? 殺そうとする千鶴姉も判んないけど。耕一、何とも思わないの?」
 梓は呻く様に言い。
 呆れ果てたとわざとらしく頭を押さえた。
「理由は話した」
「聞いたけど。なにも……」
 梓はどう言って言いのか判らなくなったらしい。頭を押さえたまま声を途絶えさせ、口だけパクパク動かしていた。
「好きだから、俺を苦しませたく無かったんだな」
「で。勘違いで、耕一じゃなかったんだ。そりゃ悩むよ。普通恨まれるよ。好きだから殺しますって、誰が信じんの?」
「俺は、信じた」
 話を聞き夢を見ていなければ、千鶴さんの苦しみも知らず、俺も信じ切れず恨んだかも知れない。
「あんたは…いや、問題は千鶴姉だ。一体なに考えてんだよ。ここまで馬鹿だと思わなかった!」
 握り拳を震わせ頭を掻きむしると、梓は長く息を吐きガックリ肩を落とした。

 パニック寸前だな。

「そう言うなよ。千鶴さんが一番辛かったんだ。俺は恨んでない。充分納得出来る理由もあった」

 梓の反応の方が、普通なんだろうけど。

「大馬鹿! たかが耕一でも。なんで殺そ……」
「梓!」
 俺の怒鳴り声で、梓は言葉を切った。
「もう二度とそれは口にするな。俺が居なくなった後。千鶴さんの力になって欲しいから、お前に話した。口を開く時は細心の注意を払え。誰にも話すな。俺にもだ」
 梓は睨み付ける俺の迫力に押され、こくこく頭を動かした。
「う、うん。でもさ、帰って来て千鶴姉と話し合えよ? あんな千鶴姉、初めてだよ。耕一だって、嫌いになったんじゃ無いんだろ?」
 眉を潜め考え考え言う梓は、千鶴さんが心配なのだろう。不安を隠し切れない、元気のない声だった。
「愛してる」
 一言で梓はのけ反り、俺をマジマジと眺め回す。
「…耕一…やっぱり性格変わったよ。真顔で良く言えるな」
 梓に言われても、堪えないのが不思議だ。
「千鶴さんが自分で乗り越えないと。俺が何度恨んでないと繰り返そうが。また何かあれば、あの女は悩む」
「そりゃ、悩むなって方が無理だって。その、なんだし」
 言われた通り言葉を濁した梓は、落ち着きなくうろうろと視線を泳がせた。
「梓、考えろ」
「へっ、何を?」
 突然言った俺を、梓は、きょとんと赤い顔で見直した。

 梓が自分で千鶴さんの苦しみに気付てくれる事を期待し、俺は言葉を紡いだ。

「千鶴さんは、少女時代からずっと苦しんで来た。俺が鬼の力に苦しむ姿を見るより、手に掛けた方がマシだと思えるほど、辛く苦しい日々を送って来た。もう幸せになって欲しい」

 やはり無理なのか?
 実際にどんな物かを話さないと、梓には判らないのか?

「それは、あたしだって知ってるよ。叔父さんが来てくれなかったら、あたし達どうなってたか」
 幼い頃、鶴来屋の利権争いの中、姉妹で耐えた日々を思い出したのだろう。梓は目を伏せ弱々しく返した。

 卑怯だとは思うが。俺には、それ以上の苦しみをずっと耐え、千鶴さんが妹達に隠し通した辛い日々。
 千鶴さんの想いを無為にしてまで、俺の口から伝える事は出来なかった。

「負い目を持ちながら一緒に暮らしても、幸せになれない。俺を見るたび思い出す」
「でも、だからってさ。いくら何でも。本当に行方くらます気かよ?」
 身を乗り出し、梓は心配そうに表情を曇らせた。
「そうだ。初音ちゃんと初詣の約束したから、大晦日で消える」
「…大晦日って…あんた、明日じゃない!」
 顔を突き出し大声を出した梓の剣幕に、俺は耳を押さえた。
「大声出すなって。これだけ騒いで、フロントから苦情が来ないのが不思議なんだぞ」

 身内だって知られたら、千鶴さん恥じかくな。

「何を呑気な。ちょと待ってろ!」
「どうする気だ!」
 怒鳴り声と供にいきなり立ち上がった梓に怒鳴り返すと、梓は真っ赤な顔を振り向けた。
「決まってんだろ。千鶴姉、引きずってでも連れて来る!」
「どう言って?」
「えっ? あっ、それは……」
 返事に詰まった梓は、俺が聞いた意味を悟り表情を歪めた。
「俺が、居なくなるって? 殺し掛けたの気にしてるからだって言う気か?」
「耕一、あんた……」
 静かに尋ねると、毒気を抜かれた様に梓は立ち尽くした。
「お前が知ってて、千鶴さんが一緒に暮らせるのか? 梓に話せるのか?」
「そんなの…卑怯だよ!」
 力なくソファに腰を下ろした梓は口を尖らせ、伏せた目を半眼に閉じ、俺を睨み付けた。
「スマン」

 梓には話せないと知っていて教えた俺は、確かに卑怯だ。
 俺は梓に詫びる事しか出来ない。

「…初音は…どうするの? 楽しみにしてんだよ。約束したんだろ?」

 梓の奴、俺の泣き所を良く知ってやがる。

「そうだな。俺には重かった。とでも言っといてくれ」
「重い? 何の事?」
「鬼の血だよ。俺が鬼の話し聞いたから逃げ出したとでも言えば、その内諦めてくれるだろ」

 それ位しか無いか。

「初音が信じる訳無いだろ。第一あたしが、そんな事言えるか!?」
 下から寝目付ける梓に、俺は冷たい視線を送った。
「初音ちゃんは、どうして俺に鬼の話をしないか知らないんだろう? 血筋知って、一人で考えたくなったって言うのが、一番いいかな? 一緒に暮らしてるんじゃないからな。その内忘れるさ」
「耕一、あんたどうしたの? やっぱり変だよ。そんな事言うなんてさ。初音が、耕一忘れる訳無いだろ?」
 感情を感じさせない声で言った俺を、梓は初めて会った相手を見る様に眺め、不安と不信の篭もった声を出した。
「俺が居なくなっても、初音ちゃんには、お前達が居るだろ? 一人になる訳じゃない」
「どうしても、行くつもりなのか?」
 初音ちゃんを持ち出しても、俺の決心が変わらないのが判ったのだろう。梓は大きく息を吐いて、両手を強く握り締めた。
「ああ。スマン」
「…それで、大学辞めて。マンションまで引き払って、どうする気?」
「見つからない所で職探す。一人食ってくには、何とかなるだろ」
「でっ? 全部忘れて結婚でもして、幸せな家庭か? 可愛い奥さんと子供と一緒にマイホームパパを気取るって?」
 ケッと一度そっぽを向き、梓は嫌味たっぷりに歯を剥き出し、ヒヒヒと笑って見せた。
「子供? 何言ってんだ」

 梓は、今までの話の内容が判ってない。

 あまり期待は出来ないと気付き、俺は頭が痛くなった。
「へっ?」
 梓は馬鹿笑いを止め、きょとんとした顔で俺を見詰めた。
「子供作る気は無い」
 あからさまに梓は、顔をしかめる。
「耕一。あんた、まさか千鶴姉じゃないと嫌だ。なんて言う気じゃ無いだろうね?」
「そうだな、そう出来たらいいな」

 戻る前は希望もあった。
 虚しさが、俺の心を冷え込ませる。
 爺さんの馬鹿のお蔭で、希望が消えなかったら……

「千鶴姉がだめで姿眩ますんなら、関係ないだろ」
 乾いた笑いを洩らした梓の声が、虚しく心に響いた。
「嫌いだからどっか行くんでも、振られて逃げるんでもないからな。それが、あの女に一番いい」
 自分に言い聞かる様に呟くと、梓は顔を引きつらせ頭を抱え唸り出した。
「梓? どうかしたのか?」
「馬鹿だ馬鹿だと思ってたけど。ここまで馬鹿だとは、思わなかった」
 うめき声と一緒に聞こえた悪態に、俺の落ち込み掛けていた頭に、一気に血が昇った。
「うるさい! もう帰れ。初音ちゃん一人じゃ、心細いだろ」
 ぷいと横を向き俺が言うと、梓は何も言わず立ち上がり、足音を響かせ。
 ドアを力任せに締めると姿を消した。

陽の章 七章

陽の章 九章

陰の章 八章

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