陽の章 六


「足立さんは、継がせたいみたいだな」
「なにしろ鶴来屋創業以前から、柏木に縁の在る方ですから」
 足立さんとの話が終わった後。
 会長室で俺と千鶴さんは、優雅にティータイムと洒落込んだ。
「柏木在っての、今の足立って訳?」
「時代錯誤なのは判りますけど。今の自分が在るのも、御爺様をはじめ、御父様や叔父様のお蔭だと常々仰っていますから」
 千鶴さんの諭す様な穏やかな声が、揶揄した俺を心地好く包む。
「そうだ。さっき似てるって言ったのは、爺さんかな?」

 爺さんも鬼の力を制御出来た。
 それが、今の俺には一番重要だ。

「…ええと。そう、ですけど……」
 千鶴さんは、言い難そうに言葉を切る。
「どんな所が似てるの?」
「……怒りま…せんか?」
 愛想笑いを浮かべ、正面に座る千鶴さんが下から俺を覗き込む。
「怒る様な事?」
 恐る恐る頷いた千鶴さんに、俺は鷹揚に頷き返す。
「判った。怒らない」
「ええと、御爺様は。その、あちこちに女の人をですね」
「いいよ。良く判った」
 俺は怒る余裕もなく、失望に包まれ小さく息を吐いた。

 だめか。
 しかし、その爺さんに似てるって?

「じゃあ。あの件はやっぱり、爺さんだった?」
 夏の事を思い出し、多分爺さんの子供か孫だろうと当たりがついた。
「はい。柳川と言う刑事を調べて貰いましたが、御爺様と母親に接点が在りました。御爺様。その、かなり多くの方と御付き合いなさっていたらしいんです。調べるのが大変みたいですけど。行方が判らなくなっていたのは、その方だけです」

 爺さんの奴。
 子供には気を使ったらしいが、何人囲ってたんだ。

「同じ柏木か」
 あいつも犠牲者。
「幸い、あれから事件は起きてはいませんが」
 厳しい面持ちになった千鶴さんが、未だに例の鬼の死を確信していない事に、俺はその時やっと気が付いた。
「千鶴さん、奴は死んだよ。確実に」
「…耕一さん?」
 訝しげに俺を呼んだ千鶴さんは、困惑の表情を浮かべた。
「でも、死体は出ていませんし」
「死んだ。命の炎が散った」
 夏帰る前に、話しておけば良かった。
「命の…炎?」
 何の事か判らないと言った、千鶴さんの戸惑った呟きが、俺を深い安心感で包んでくれた。

 千鶴さんは見た事が無い。

「獲物の死の瞬間。命が炎を上げ、弾けるのが鬼には見える。それが鬼を陶酔させる」
「…それが、耕一さんに見えた?」
「水門で見た。だから心配しなくていい。もう鬼は出ない」
 安心させたくて俺は話したが、千鶴さんの表情は逆に強ばった。
「どうして耕一さんが、そんな事を知っているんですか? 私、そんな話は聞いていません」
「夢で見た鬼の言葉を思い出しただけだよ。より強い命ほど、散る瞬間美しい炎を上げる。そう言ってた」
 千鶴さんの不安が、俺の中の鬼の存在なのは判っていた。
 軽く答えると、やっと千鶴さんは肩の力を抜き、安心した穏やかな表情に戻ってくれた。
「だから、もう誰も鬼になる必要は無い。普通に暮らすなら、必要の無い力だからね」
「ええ、その通りですね。でも、だったら耕一さんも、安易に使わないで下さいね」
 悪戯っぽく首を傾げ微笑んではいたが、千鶴さんの瞳は真剣だった。
「判った。安易には使わない」
 ホテルで使った事を言っているのは、すぐ判った。
「本当に、判っているんですか?」
「約束する。そんなに心配しないで」
 軽く言った俺を、目を細め覗き込んだ千鶴さんに苦笑を浮かべながら返し、俺は残っていたカップの紅茶を飲み干した。

 俺とて使う気はない。
 必要になるまでは。

「ああ、そうだ。朝言ってた話なんだけど」
「あっ…はい」
 本題に入ろうと俺が言うと、千鶴さんは俯き小さな声で返した。
「柏木の血の事。俺も知って置こうと思って。家じゃ出来ないし、外でも不味いしね」
「…ええ。でも、殆どお話しましたけど」
 血の話が一番不味いと思っていた俺の予想に反し。俯いていた千鶴さんが、僅かだが元気を取り戻し表情が明るくなった。
 俺は眉を潜めそうになり、慌てて平静を装った。
「覚醒については聞いたけど、将来の事でね。制御の方法を探そうと思ってる」
「…遺伝…ですね?」
 俺は目を逸らした千鶴さんの態度と、即座に聞き返した言葉から。朝からの様子が、これから聞こうとしている話に関係が在るかも知れないと感じた。
「うん。聞いていいかな?」
「…はい。耕一さんにも関わりの在る事ですから。私の知っている事なら、お答えします」
 小さく息を吐き、微笑みを浮かべた千鶴さんの笑みは、どこかぎこちない。
「爺さんには女の子が居なかったけど。男女問わず、子供に力は受け継がれるのかな?」
 家系図を調べ確信していたが、千鶴さんが知っているのかどうかが肝心だ。
「はっきりとしたデータは在りません。柏木から他家に嫁いだ場合位ですから。嫁ぎ先では血が薄まるのか、潜在化するのか、発現例は無い様です。それに何故か、必ず何代か後で本家の血統に戻っていますから」
「柏木に親戚がない訳だな。血が呼び合うのかな?」
「…耕一さん」
 千鶴さんが伏目がちに覗いているのに気付き、俺は首を傾げ片目を瞑って見せた。
「好きになるのに、理由は関係ないだろ?」
「ええ。そうですね」
 クスッと笑いを洩らし、千鶴さんは頬を仄かに染め小首を傾げた。
「でも。それじゃあ、ハッキリとはしないのかな?」
「ええ、柏木には子供自体が生まれ難いらしく。あまりハッキリとはしないんです。大抵は一人か、二人。生まれればいい方ですから」
 一度言葉を切り、千鶴さんは視線を伏目がちに落とし続けた。
「ですが。柏木本家の直系には時期こそ違え、確実に発現しています」

 経験的には、知っているのか。
 俺の子以外は、可能性が低い……。

「心配しないで千鶴さん。鬼を制御する方法を探すつもりだから」

 なんら訓練した事のない俺に出来た。
 精神的な訓練を子供の時からおこなえば、抑え、統合する事も出来ると信じていたが。

「…そう…ですね」
 ポツンと言った千鶴さんは、あまり信じてはいない様だった。
 伯父達の試みが、全て失敗に終った事を知る千鶴さんに、希望を持ってくれと言うのは、克かも知れない。
 出来れば、思い出させたくもない。
「ごめん。辛い話だと思うけど」
「いいえ。いいんです」
 気丈に笑って見せる千鶴さんの笑顔が、俺には痛々しく見えた。
「あと。柏木以外の鬼の系譜は、絶えたのかな?」
 小首を傾げた千鶴さんは、問う様に俺を見詰めた。
「伝記、伝承に多く鬼を討つ超人が出てくる。一部は制御出来た者がやったんじゃないのかな? 爺さんとかね」
 ほっと息を吐くと、千鶴さんは弱く笑った。
「それを調べていたんですか?」
 夏に蔵を調べていたのを思い出したのだろう。苦い笑いで千鶴さんは眉を潜めた。
「まあね、調べてる内にいろいろと。鬼をもし放って置けば、柏木も迫害される」

 人は人外の力を恐れ、受け入れはしない。

 諦めた様に千鶴さんは、伏目がちに話し出した。
「もう昔の話です。御爺様も柏木が鬼を退治したのは、昔話になっていると仰てました」
「別に隠す必要も無いと思うけど?」
 千鶴さんの様子と夏に見た戦い方から、未だに鬼退治が続いている可能性を考えていた俺は、安堵の息を吐いた。
「ええ。それは、…そうなんですが」
 苦笑いを浮べた千鶴さんの逸らした視線で、話さなかった理由は想像が付いた。

 夏に倒した鬼が柏木以外の系譜なら、また鬼が出る可能性が在る。
 鬼が出たら柏木の義務だから、俺に退治しろとは言えなかったんだろう。

「まあ、出生率が低いなら。血が薄まり絶えたと考えていい。鬼退治はもうやった」

 すると後は、俺達の事。

「ええ。他に…鬼が居るなんて……」
 千鶴さんは、俯き苦しそうに表情を歪めた。
「気にしてないって。千鶴さん、まだ気にしてたの?」
「…でも……」
 俺を殺し掛けたのを、今だに気に病んでいるのは、その千鶴さんの苦しげな表情から窺い知れた。
「気にしなくていいんだよ。今は、梓達の事が先だな」
「…耕一さん」
 腕を伸ばし軽く滑らかな頬に手を添え、顔を上げた千鶴さんに微笑み掛け。なるべく話を逸らそうと、俺は話を続けた。
「少なくとも、梓達の子供には発現する可能性は低いと思うな。みんなは知ってるの?」
 克な質問と知りつつ、俺はなるべく重くならない軽い調子で尋ねた。
「鬼の血を引いている事は、みんな知っています」
「親父達の事は?」
 千鶴さんは小さく首を横に振った。
「楓だけです。出来れば話したくなくて」

 千鶴さんは一人で全部背負い込んで、楓ちゃんにも知らせたくはなかった筈だ。
 何故楓ちゃんに?

 楓ちゃんにだけ知らせたと聞き、俺の胸に不安が疼いた。だが、それ以上に一人で背負い込んでジッと耐えて来た千鶴さんの辛さが重く哀しく、俺の心を押し潰しそうに苦しくさせた。

「力が使えるのは、千鶴さんだけ?」

 俺の考えは、千鶴さんには受け入れがたいかも知れない。

 胸の苦しさを押さえ込み、俺は平静に質問を続けた。
「いいえ。梓は力だけなら私より上です。ただ使い方が荒いと言うか、力任せと言うか」
 額を押さえ吐息を吐いた千鶴さんの様子で、だいたい想像は付いた。
「性格のままか。困った奴だな」
 千鶴さんは頷き、また吐息を吐き話を続けた
「楓は力を見せませんから、良く判らないんですが。でも精神的には、私達より敏感に鬼の力を感じ取れる様です」

 そう言えば、初音ちゃんが、親父と一番仲が良かったのは楓ちゃんだと言っていたな。
 そうか、親父の鬼の存在を感じ取ったのか?

「俺の力も感じてたのかな?」
「ええ。ですから避けていたんだと思います」

 親父や俺の強まる鬼を感じていたのか、それで話したのか?
 それなら、あの廊下で聞いた話も辻褄は合うな。

「梓は感じ取れないの?」
「確かめた訳ではないですけど。苦手みたいですね」
 俺が尋ねると、苦笑気味に千鶴さんは応えた。
 性格的なものかも知れないが、感じ取れない方が幸せだろう。
「初音は、私達の力の事は知っていますけど。目覚めてはいません。たまに、私達の力を感じ取る位です」
「それなら、もっと大人になってからでもいいな。話さなくて済めば、一番いいしね」
 俺が軽く言うと、はい。と千鶴さんの表情は、少し明るくなった。

 手前勝手かも知れないが、俺も初音ちゃんには知らせたくなかった。
 話したのが引き金になって、力に目覚める可能性もある。

「問題は梓だな。梓が知らないのは、男が制御出来なかった場合だけかな?」
 辛そうに頷く千鶴さんが、両親や親父の苦しみを思い出しているのは、容易に想像出来た。
「受験が終わったら、梓には俺から話そう」
「耕一さん!」
 俺が話すと言い出すとは思っていなかったのだろう。
 顔を上げた千鶴さんの表情は、驚きと不安に深い影を落としていた。
「実際を見ていない俺の方が話し安い」
 身を乗り出し慌てて腕を掴んだ千鶴さんに向い、断固とした口調で俺は続けた。
「千鶴さんが、わざわざ思い出す必要はない」
「……でも耕一さん…梓は一本気で、本当は優しい子ですから。心配なんです」
 不安に深い影を落とす瞳を見詰め、俺は力づける為、腕を握り締める手に手を重ね、ゆっくり包み込んだ。
「知っている。でも、万一の場合を考えれば隠しては置けない。どんな小さなリスクでも、梓には知る権利がある。子供にも関わる一生の問題だ。梓が自分の意思で決める事だ」
「それは。でも知らずに済めばその方がいいと思うんです」
「千鶴さん。後から知っても、遅いんじゃないかな。俺は、梓の意志を尊重したい」
「…そう…言う意味……?」
 俺の手からスッと手を抜き、ゆっくりソファに持たれ込んだ千鶴さんは、長く息を吐き呟いた。
「…千鶴さん?」
 話す事を反対されるのは覚悟していたが、俺を見詰める千鶴さんの瞳の揺らぎに、不安以外の何かを恐れる怯えを感じ、俺は瞳を見詰め返した。
「…耕一さんが言われた。…自分の意思で選ぶ。と言うのは。そう言う…意味…ですか?」
 ソファに持たれた拍子に乱れた髪を直そうともせず、長い髪が被さった心なし蒼褪めた顔を俯かせ、俺を見る千鶴さんの瞳は、虚ろに光を無くしていった。
「それだけじゃないけど。周りで心配してても仕方がないだろ? 俺は自分の事は、自分で決めたい。梓だってそうだと思う」
 何にショックを受けたのか、千鶴さんの虚ろな瞳が俺を不安に駆り立て、俺は身を乗り出し、手を千鶴さんに伸ばしながら応えた。
「耕一さん……恨んで…いますか?」
 突然の問いに伸ばした手がそのまま凍り付いた。
 俺が千鶴さんの言葉を理解するのに、しばらく時間が掛かった。
 言葉の意味を理解した俺は、情けなさと哀しみ。
 そして押し寄せた喪失感に身体から力が抜け、伸ばした腕が鉛の様に重く感じられ、ダランと下がった。
「…千鶴さん…俺の気持ちを伝えるには、…どうすればいい?」

 …まだ、そんな事を考えていたのか。

「言葉でいくら言っても、千鶴さんは判ってくれない。どうして俺が恨む? どうして判ってくれない」
「私は、ただ自分の考えと辛さだけで、貴方を手に掛けた。貴方の意思と無関係に。貴方には、許せない事じゃないんですか?」
 淡々と話す千鶴さんの身体の前で強く握り締めた両手は、小刻みに震えていた。
「関係の無い人達が死んだ。伯父さんや親父の苦しみを千鶴さんは見て来た。俺の為に苦しんでもくれた。俺自身が犯人なら、自分で死んだ。恨む必要も。いや、初めから恨むも許すもない!」
「貴方じゃなかった。貴方は違うと言ったのに…信じられ無かった。追い詰めて、私は殺そうと。いいえ。力が使えなかったら、死んでた」
「今度も信じてくれない? 俺を信じないで。誰を信じる? これからも誰も信じないで、ずっとそうやって生きて行く?」
 聞きたくはなかった。だが千鶴さんに判って貰うには聞くしかなかった。

 不安は持っていた。
 千鶴さんは誰も信じていない。
 生い立ちのせいかも知れないが、供に苦しんで来た親父と、妹達だけしか信じていない。
 愛してはくれても、俺を信じてはいない。

「……信じ…たいんです。でも、でも……」
 弱々しく頭を振り、乱れた髪が緩やかに波打ち表情を俺から隠した。
「鬼は意識を通じ合わせると言うけど。そんな力に頼らないと、信じ合う事も出来ない?」
 小刻みに震える身体を強く抱き締めたい衝動を抑え、俺は立ち上がった。

 ここで抱き締めても、同じ事を繰り返すだけだ。
 千鶴さん自身が俺を殺そうとした負い目から抜け出してくれなければ、何度も同じ事を繰り返す。
 それが、出来ないなら………。

「今夜は、ここに部屋を取る。落ち着いたら連絡して」
「…耕一…さ…ん?」
「信じてる」
 弱々しい呟きに背を向け。
 俺は希望を繋ぎ、振り返らず部屋を後にした。


  § § §  


「柏木君! ちょと飲み過ぎよ!」
 由美子さんの叱り付ける声が、ぼぉ〜とした頭に響く。
「いい、いい。どうせ俺のひゃ。由美子さんわぁ〜適当に帰って、いいからさぁ〜」

 夜遅くなっても、千鶴さんは現れなかった。
 由美子さんが部屋を尋ねて来た時には、千鶴さんを待ちながら自棄酒をあおっていた俺は、殆ど泥酔状態だった。

 バーボンのボトルが転がる中、俺は新たなボトルに口をつけグッとあおった。
「な、ちょと無茶よ! 日本酒じゃないのよ」
 慌てて由美子さんが取り上げた手から、ボトルをひったくる様に奪い返し、俺は一気に空けた。
「あぁ〜あ。もうだめだ。ねぇ、まさかあたしが原因で追い出されたんじゃ、無いでしょうね」
「な〜にが。喧嘩させたかったんじゃ〜ないのぉ〜〜〜あぁ〜くそっ」
 ばたっと倒れたと同時に張り詰めた気が緩み、意識が暗闇に覆われた。

陽の章 五章

陽の章 七章

陰の章 六章

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