凍った時、外伝 桜
一の章 梓
はぁ〜とかったるい息が洩れた。
長々と続いた教育委員の祝辞が終ったと思ったら、今度は校長の声が耳を通り抜けていく。
いる筈のない人を探している自分に気付いて、父兄席にいつの間にか向く視線を床に戻し、あたしは自嘲の笑みを抑えた。
小学校の卒業式だったな。
見える筈ないって思ってたのに。
叔父さん、あたしが欠伸したの知ってたな。
家に帰ってから、叔父さんにからかわれたっけ。
千鶴姉ったら大人ぶって、卒業式ぐらいちゃんとしなさいって、睨んでさ。
何となく判るな。
あたし達と学校の行事って重なってたから、いつもあたし達の方に行く様に、千鶴姉、叔父さんに頼んでさ。
平気そうな顔してたけど、寂しかったんだな。
誰も見てくれない卒業式か。
動き出した列に歩調を合わせ、名前を呼ばれた順に一人一人舞台に上がる。
何度も練習したように両手で卒業証書を受け取り、一礼して一歩下がる。
そして踵を返す。
広い講堂を見渡しながら、舞台から階段を降りて行く。
目に映っていても、誰もあたしを見てない。
自分の子供はまだかと待っている、父兄席。
出番を待って緊張している友達。
泣いてる子もいる。
笑って父兄席に手を振ってる子も。
今だけは主役の筈のあたしは、ただの道化。
父兄席か?
何で父母席じゃないんだろ?
母さんや姉貴だって来るんだから、おかしいよな。
虚しくなりそうな気持ちをごまかして、馬鹿なことを考えてみる。
昔から決まってる言葉。
父と兄の席。
男尊女卑だよな。
ふっと口の端に浮かんだ笑みで、無関心な観客を見渡す。
最後の一段を降りるあたしの目の端に、精一杯伸び上がって振られる白いハンカチが映った。
一人は、観客がいたんだ。
泣き腫らした目の女の子。
あたしの舞台。
かおりには、あたしがちゃんと主役だった。
妙にホッとした気持ちが、あたしの目元を熱くした。
かおりには、付いて行けないトコも多いけど。
あの子のお蔭で、あたしの高校生活、そんなに悪くなかったかな。
仰げば尊しが流れるのをぼんやり聞き。
あたしの高校での最後の舞台は終った。
ぞろぞろと講堂から行列がグランドに出て行く。
後はクラスメイトと教室で少しすごせば、この制服とはさよなら。
グランドに引かれた白いラインが、あたしの胸を詰まらせる。
一度でいいから、全力で走って見たかった。
ふっと口の端にまた笑みが浮かぶ。
そんな事したら、オリンピックでも金メダルかな?
戻った教室での寄せ書き。
もう、そんなに会うことはないだろう友人達。
表面上の付き合いだけで、心から打ち解けることはなかった友人達。
部室に行けば、もっと親しい友達と会える。
でも、クラブの友達とは会いたくなかった。
みんな努力して、一分一秒を縮めようとしていた仲間。
あたしだけが、力をセーブして記録を押さえて。
だから。
あたしは、彼女達に記録が伸びたと喜んでもらっても、後ろめたさしかなかった。
辞めれば良かったのかも知れない。
でも、辞めたくなくて。
三年間、仲間の振りを続けてきた友人達。
今日は、会いたくない。
もう会えなくても。
早々に教室を抜けだした校庭では、待ち受ける父兄と、卒業証書を持った卒業生達があふれていた。
中学の時は、叔父さんが待っててくれた。
仕事忙しいのに、ちゃんとあたしが出て来るの待っててくれて、一緒に写真撮って帰ったっけ。
居た堪れなくなって、あたしは人気のないグランドの方に駆け出した。
迷いのある者は、樹の下に行けだったな?
正月に庭の樹の幹に寄り掛ってる耕一を見つけて、風引くぞって怒鳴ったんだ。
そしたら、そんな諺があるって教えてくれた。
グランドの端にある桜の根元に座りこみ、見上げた枝は、まだ硬い蕾。
遅いよな。
満開なら、気が晴れるかもしれないのに。
近くの咲いてない桜に文句を言いながら記念写真を取る子達から視線を逸らし、空を見上げ幹に頭をこつんと付ける。
夕飯作るって言えばよかった。
帰っても時間余るし。
無理に笑いたくないしな。
「せんぱぁ〜い」
気怠く声のした方に顔を向けると、かおりが息を切らせてグランドを横切ってくる。
「梓せんぱぁ〜い。探しましたよ。教室まで行ったんですよぉ〜、もう帰ちゃったのかと思いましたぁ」
切らした息をものともせず。
ふふっと怪しい笑みを浮かべたかおりは、少し眉を潜め腰を屈め、あたしの顔を覗き込む。
「ごめん、かおり。明日でも電話する」
「えっ? …あ、あの。梓先輩。それって」
「ひとりにして」
いつもなら言えない台詞が、いやらしいほど蒼い空を見上げ、あたしの口からすらっと出た。
「でも。あ、あの。あたしがいちゃ、ご迷惑なんですかぁ?」
声の調子で判る。
うるうる瞳を潤ませて、かおりは懇願する様にあたしを見てるはず。
「うん」
優しくないな。
そう思いながら出た言葉は、それだけ。
「そんなぁ〜。梓せんぱぁ〜い、ひどいですぅ〜」
「これあげる。だからさ、今日は勘弁して」
しゃらっと首から外したタイを差し出し、お願いって付け加える。
「どうしても、ダメなんですか?」
「叔父さんと話してんだ」
目に映るのは蒼天。
かおりを見ると、冷たく出来ないから。
「うう。判りましたぁ〜。あたし絶対大切にしますから。明日、電話待ってますね。きっとですよ。絶対ですよ」
「うん。約束するからさ」
いつもとは違うあたしの反応に、かおりは困った様な拗ねた様な、泣き出しそうな声でそう言うと、とぼとぼと足音が去っていく。
ごめん、かおり。
ぼんやり見上げた蒼天に浮かんだ顔は、叔父さんから耕一に変わっていった。