クリスマスSS
one marry Xmas
 星海の旅人さん


 その女の子は、今にも消えてしまいそうなくら いに儚い姿で、そこに立っていた。
 目鼻立ちのくっきりした、綺麗な女の子だった。凛とした佇まいの中に気品が、育ちの良さが垣間見える。身に付けているのは、上品な仕立ての黒いベルベッ トのワンピース。きっと良い所のお嬢様だろうと、彼女を見た誰もがそう思った。
 女の子は、駅前に植樹され、ディスプレイとして飾り立てられたたモミの木を、じっと見上げていた。ただひたすら真剣に、手の届かない、どこか遠くの何か を見るように。笑えば、とてつもなく魅力的だろうその面差しに、憂いの影を滲ませて。
「……なにしてるんだ、君は?」
 真後ろからかけられた声に、女の子ははっと身を強張らせて振り返った。警戒の色を瞳に走らせ、声をかけた相手に向き直る。
 そして、すぐに戸惑いが顔に浮かぶ。
 その相手は、彼女と同じ位の年の男の子だったのだ。
 寒そうに灰色のコートを着込んだ男の子。天然の茶が入った髪に優しさを潜ませた双眸。彼は心底不思議そうな表情を表に出して、クリスマスツリーを見あげ ていた女の子のすぐ傍まで歩み寄っていた。
 二人に共通するのは、この年頃の子供とは一線を画すその雰囲気。男の子は陽の、女の子は陰の。
 ただじっと見つめ合う。男の子は不思議そうな、女の子は戸惑った眼差しで。
「なあ、何をしてるんだ? ずーっとクリスマスツリーなんか眺めて」
「…………」
「おーい。もしもし? 聞こえてるかー?」
「…………」
「……念の為に聞くが、喋れないって事はないよな?」
「…………」
 無反応。
 業を煮やした男の子は、徐に指を伸ばし、女の子の頬っぺたをむにっとつまむ。
「ひゃっ!?」
「お、柔らかいなー」
 ようやく反応があった。
「ふぁ……!」
「へぇー。ずいぶんとぷにぷにしてるんだな。うむ、これはなかなか……」
「な、なにしふぇるんで……! ふ、ふぇはふぁしてくふぁふぁいっ!」
「……悪い、何言ってるんだかさっぱりなんだが」
「ふぇ……ふみぅぅ……ふみにゅうぅ〜……」
「あ。そ、そっか。ごめんなっ」
 何がなんだかわからなくなって、自分でも意味不明の呻き声を洩らした女の子は、ようやっと気付いた男の子が指を離してくれる頃には、うっすらと涙すら浮 かべていた。
「いや、ほんとにごめん。あまりにも柔らかくていい感触だったからさ」
「む〜〜……」
 少しだけ色が変わった頬に手をやりつつ、半泣きで女の子は彼を睨む。『なにするんですか〜』と、口ほどに物を言う視線を浴びて、男の子は慌てて頭を下げ て謝った。
「済まなかった。この詫びはする。なんなら、猫好きアレルギー娘秘蔵の苺ジャムを持ち出してでも……」
「はぁ……もう、いいです。ぼーっとしてた私も悪いんですから」
「おお、ありがとな! 君が寛大で助かったぞ。これが名雪だったら、晩飯に紅しょうがは確実な所だった」
「?」
 蒼褪めた顔付きでお腹をさする彼の言葉に、女の子は首を傾げる。
 意味不明だ。なんでお夕飯が紅しょうがになるのだろう? ひょっとして、この子の家はたこ焼き屋さんだったりするのだろうか?
 普段はまずしない、変な疑問で頭がいっぱいになる女の子。彼女は、先ほどからのやり取りで、既に男の子に対する警戒心が消え失せているのに気付いていな い。そもそも、同年代の異性に対して自分がここまで無防備になる事があるとは思いもしない。ただひたすらに、この奇抜な言動の男の子の一挙一動にハテナ マークを浮かべるだけ。
 そんな彼女の思考を遮って、男の子が再び問い掛けてきた。
「……で、話は戻るが、なにをしてたんだ?」
「あ……」
 すっぱり態度を入れ替えた男の子の問いに、彼女は表情を曇らせる。
「いいえ……なんでも、ないんです」
「なんでもないって事はないだろ? すっごい寂しそうな顔だったぞ。今にも泣きそうな顔だった」
「…………」
「……あんまし、言いたくない事なのか?」
「はい……」
 何かを察したらしく声を潜めた男の子に、小さく頷く女の子。しょんぼりと肩を落としたその小さな姿に何を思ったのか、男の子は頬を掻くと、ぽんと彼女の 肩に手を置いた。
「よしっ、わかった! もう聞かない事にする。だから、そんな顔をするな」
 にっと、伏せた顔を覗き込んで笑う男の子。その笑みと気遣いの色が見え隠れする優しげな眼差しに、女の子の胸がひとつ、とくんと高鳴る。
 そして無論の事、鈍感な男の子は彼女の胸中など知る由もなく、彼なりの心遣いで女の子の気を紛らわせてあげようと考えた。
「じゃあ、気晴らしに遊びに行こうか。俺、良い屋台を知ってるんだ。そこのたい焼きはそりゃもう、絶品だぞ」
「……え?」
「気分転換だ。いつまでもしょげてると、せっかくの可愛い顔が台無しだからな」
「ふ、ふぇ!?」
「さ、行こうぜ。ほらほらっ」
「あっ……ま、待って。わかりました、わかりましたからそんなに引っ張らないでください〜!」
 ぐいぐいと彼女を引っ張り、歩き出す男の子。その唐突ながらも強引さを感じさせない行動に、思わずといった調子で付いて行ってしまう女の子。まだ若干の 戸惑いが残る彼女の面差しからは、いつのまにか暗い影は消えていた。

「どうだ? これ、うまいだろ」
「はい……おいしいです」
「そっか。満足してくれてなによりだ」
「(はむっ……んく、んく……こくん)」
「あー……ところで、また会えるかな? 明日ここに来れば、君はいるか?」
「あ。はい……たぶん──」
「OK。じゃあ、今日はこの辺で。また明日、な」
「はい。……あっ。あの、お名前は……?」
「ん? 俺は、相沢祐一。祐一でいいぞ」
「ゆう、いち……祐君?」
「うーむ……まあ、それでいいか。で、君の名前は?」
「私は──」
 くらた、さゆり。





 聖夜に、優しい鐘の音を……



 寒々しい夜空の下、賑わう街中を一人の少年が駆け抜けてゆく。
 飾り付けられた街路樹が気持ちを浮き立たせ、点滅する豆電球が彩りを添える。
 あちこちの店先から流れるのは、幾多の名曲、今この時を歌ったラブ・ソング。
 だが、彼はそんなものには眼もくれず、ただひたすらに足を速める。
 その先に待つ人の為に。彼女の傍らへ、一刻も早く辿り着く為に。
 そこは、イルミネーション。ライトアップされた街路樹には無数のライトが灯り、辺りには寄りそうカップルの姿。幻想的な風景。
 駅前の噴水広場。織り成す光の波の中、豪華に飾り立てられた一本のモミの樹。
 この聖夜を彩る為に用意された、街で一、二を争う巨大なシンボル。
 クリスマス・ツリー。
 その樹が作り出す光と、影の中。一人ぽつんと彼女はいた。
 その肢体を足元まで覆い隠す黒のロングコート。それとは対照的な純白のマフラー。長い栗色の髪を結わえるのは、いつものそれではなく、誕生日に彼がプレ ゼントした銀色のバレッタ。普段見せない物憂げな横顔も、幹に寄りかかり俯く姿も。
 全てが少年の知っている、そして知らない彼女。
「佐祐理さんっ!」
「あ……」
 駆け寄り、荒い息の下から少女を呼ぶ声に、彼女──倉田佐祐理は面差しをあげた。
 はあはあと白い息を吐く少年──相沢祐一をそこに認めて、やや硬かったその表情がほのかに和らぐ。
「祐一さん。来て、くれたんですか……」
「あんな……寂しそうな、声で……呼ばれちゃあ、な……」
 そう途切れ途切れに連ねる祐一は、ふぅーっと一つ長い息を吐くと、やっとの事で呼吸を整えた。
「でも、佐祐理さんどうしたんだ? ただ、『来てくれませんか』の一言だけで電話切っちまうもんだからさ、こっちも慌てて飛び出して来たんだけどな」
「あっ」
 自分が肝心な事も──何処にいるのかも──伝えていなかった事に気付き、佐祐理は小さく声を洩らす。
「ご、ごめんなさい祐一さんっ」
「いや、別にいいけど……」
「で、でも……それじゃあ、どうして祐一さん……」
 ここにいると、わかったんですか?
 言外の言葉を視線に乗せて、佐祐理は祐一の顔を覗き込んだ。対する彼はちょっと苦笑。手を伸ばし、ぽんぽんと彼女の髪を軽く撫ぜる。
「忘れた? 『十年前』も、そうだっただろう」
 はっと、息を呑む音。佐祐理の瞳が大きく見開かれる。
「祐一、さん……覚え、て──」
「ああ」
 頷くと、祐一は色取りどりに飾り付けられたモミの木に視線を投げた。
「佐祐理さんさ、昔も──あの時も、ここにいたじゃないか。この樹の下で、ただじっとこの樹を見上げて」
「…………」
「なんか、今のよく見知っている佐祐理さんとは違ってた。優しそうに見つめて来るいつもの顔じゃなくって、凄く透き通った真摯な眼差しで。寂しそうに、切 なそうに……。俺が声を掛けるまで、回りの様子も目に入らないくらい真剣に、この樹を眺めてただろう」
「そ、それだけで……? そんな、昔の事だけで……?」
「ああ。電話が切れた時に、何故か真っ先にあの時の佐祐理さんの姿が頭に浮かんでな……だからきっと、あの時と同じようにここにいると思って……勘を信じ て来てみたら、本当にここにいた」
 あの時と、同じように。
 そう締め括る祐一を、佐祐理はどこかぼうっとした表情で見て……
「……それで、どうしたの佐祐理さん? 俺に、なにか──」
 くしゃっと、端正な相貌が泣きそうに歪んだ。
「……っ!」
 ぽすんと胸に飛び込んできた少女の姿に、祐一の言葉は途切れて消えた。
 祐一の胸元に額を押し付け、コートの布地をぎゅっと掴んで、ぽろぽろとイルミネイションに乱反射する雫が零れる。声を殺して身体を震わせるその様は、ま るで幼い子供のように。年上のお姉さんである彼女が見せた事のないその行動に、祐一は戸惑うばかり。
 見知った少女の、知らない顔──
「さゆり、さん……?」
「ご……ごめ、んなさっ……ごめ、な……さぃ……で、も、でもっ……」
 しばらくの間、こうさせていて……
 涙ながらに訴えるその怯えた仕草が、愛おしく思えた。
 祐一は仕方が無いなと溜息をつくと、佐祐理が泣き止むまで、その身体をそっと抱き寄せ、背中をぽんぽんと叩いてやった。

「それで……何があったんだ、佐祐理さん?」
「なにも……」
「へっ?」
 落ちついた佐祐理をベンチに座らせ、紅茶の缶を差し出しつつ問う祐一に、返って来たのはそんな言葉。
「なにも、ありませんよ。ただ……」
「……ただ?」
「寂しかった、だけです……」
 ぽつりと呟く佐祐理の様は小さな幼子そのもので。そして、そのふっくらとした唇から漏れ出た音には、微かな羞恥と、大きな安堵。
「今日は、『私』の居場所はないんです……何処にも。舞は実家に帰ってますし、倉田の家に戻っても、気詰まりのする社交パーティーだけ。それに、それ に……」
 今日だけは、何かを祝う気にはなれない。だって、今日は……
「一弥の、誕生日だった、から……」
「……そう、だったな……」
 幼くして死んだ弟の誕生日。聖夜に生まれた、大切な弟の祝いの日。
「本当なら、祝ってあげなくちゃいけない……けれど、一弥を殺した私には……あの子のこの日を祝ってあげる事も、世界中の人が喜ぶ祝いの日を楽しむ事 も……できない……!」
 佐祐理が零したのは、血を吐くような、自分自身を責めるような、そんな言葉。
「でも、でも寂しくて……一人でいる事が苦痛で……誰かに、傍にいて欲しいって思ったら、祐一さんの顔が浮かんで……それで、迷惑かもしれないと思ったけ れど、どうしても……どうしても抑え切れなくなって……ただ、ただ私は、祐一さんが……あの時みたいに、来てくれたら……いいなっ、て……」
 縋れる人が、貴方しかいなかったから。
 私が弱音を吐ける人は、貴方だけだったから。
「ごめん、なさい……!」
 そう言ったきり、顔を伏せてしまう佐祐理。そんな彼女の独白を聞いていた祐一は、ふと手を伸ばして、彼女の肩を抱き寄せた。
「いや、いいんだ……いいんだよ、『佐祐理』。俺の前では、我慢する必要はない。昔の姿でいていいんだ。一弥が死ぬ前の、倉田佐祐理でいていいんだ」
 『彼女』は、物静かな子供だった。大人しく落ちつきがあり、いつも一歩引いていて、さりげない気配りが出来る子だった。あまり笑わず、子供らしからぬ静 かな眼をしていたが、時折見せる微笑が綺麗で、誰かを見る瞳に優しさを宿せる子だった。
 それは、昔と変わらない。変わっていない。初めて会ったその時から、彼女の本質はそのままで。

 ──その二人の出会いは、十年前。
 聖なる夜も間近に迫った、黄昏の刻限。
 従妹を置いて商店街に遊びに出た少年は、一人ぽつんと佇んで、モミの木を寂しそうに見つめる少女と出逢い。
 彼女に、つたなく未熟な慰めの言葉と、初めて縋れた力強い抱擁を残して──

 本当の彼女を知らない人、普段の姿しか知らない人に、彼女の印象を尋ねても無意味だ。祐一は知っている。彼女の本性、いつも隠している一部分の姿を知っ ている。泣き伏せる少女を。その涙に濡れた瞳を。
 だから、佐祐理は……祐一に、縋ってしまうのだ。八年前の、あの時のように。
 一弥が死んだ、あの日のように──
「……っく……ひっ……ぇく……」
「今は、ここにいるから。俺がいるからさ。な、『佐祐理』、我慢しなくていいから……」
「ぁ、うっ……『祐君』……っ」
 寄り添う二人を包むように。闇色の空からは白い、雪。
 街一番のクリスマスツリーに、綿帽子が飾り付けられる。
 白い聖夜の到来に、親子が、兄妹が、恋人達が笑みを浮かべる。
 悲しみを覆い隠すように──静寂と祝福をもたらすように──
 白い雪は、街に降る……


 それから、しばらくして。
 泣き止んだ佐祐理を抱きしめた状態のまま、降り積もる雪を眺めていた祐一が、腕の中の彼女に囁いた。
「……さあ。そろそろ行こうか、佐祐理さん」
「祐一、さん……? 行くって、何処へ?」
 同じく雪を見つめていた佐祐理は、その言葉にちょこんと首を傾げた。涙の跡は頬にあるが、既にいつもの──祐一にしか見せない、かつての小さな少女の ──無防備な素顔に戻っている。
 あどけなさと子供っぽさが露わになった年上の少女に、顔が綻ぶ祐一。聡明な彼女がそれで思い至らなかったのを苦笑しつつ、先を続ける。
「今夜はクリスマス・イブ。恋人達が過ごす夜だろ。だから、俺達も街を歩こう。今夜はずっと付き合うからな」
 ぱちくりと瞬きをした佐祐理は、言葉の意味が胸に浸透した瞬間、さっと頬に朱を走らせた。それからおそるおそる、どこか怯えたように小さな声で問い返 す。
「いいん、ですか……?」
「ん? 何が?」
 ぎゅっと祐一の服の端を掴み、ほんのりと潤んだ視線で、本当に良いのかと訴える佐祐理。
「私なんかと、一緒で……」
「『なんか』じゃなくて『が』いいのっ!」
 対する少年の返事はその瞬間、彼の叔母の反応速度にも匹敵した。
 速攻で言い放ったOKと同時に、彼は佐祐理の髪をくしゃくしゃっと撫ぜる。
「是非もなしだよ、佐祐理さんなら一秒了承だ!」
 きっぱり言い切るその様にますます頬を赤らめながら、それでも佐祐理はごにょごにょと、小さく戸惑いを呟いて。
「で、でも、私は……」
「一弥だって、クリスマスなのに佐祐理さんが寂しそうにしてたら、悲しいと思うけどな。大丈夫、きっと笑って送り出してくれるさ」
「…………」
 はぁっと、少女は白い息を吐く。祐一の言葉が耳に届く都度、何度も何度も。息を吐く度に、何か溜め込んでいたものを解き放つように。
 その様子から頃合と判断したか、祐一は徐に姿勢を正し、ことさらに丁寧な礼を交わす。
「今宵はわたくしめに、どうかお付き合い戴けませんか……お嬢様」
 少女が、破顔した。
「は、ぃ……はいっ!」
「ようやく笑ったな、佐祐理さん」
「あ……」
 にやりと指摘する祐一。かぁっと更に朱を散らす佐祐理。
「うん、佐祐理さんのその微笑み。やっぱりいつ見てもいいもんだよなぁ〜。特に、その恥ずかしそうにしながらはにかむのがさ」
「ふぇ……ゆ、祐一さん!」
 たまらず、ぽかぽかと少年の胸板をぐーぱんちで叩く佐祐理。その余りにも可愛らしい抗議に、苦笑が漏れる祐一。
「はははっ、ごめんな……さぁ、行こうか」
 祐一が、手を差し出す。その腕に、きゅっと佐祐理がしがみついた。
「なんにも特別な事がなくってもさ、クリスマス・イブの街ってのは、二人で歩いているだけで特別なものになるんだからな……そうだろ、佐祐理?」
「……はいっ!」

 そして、白き初雪舞い降りる中
 二人寄り添い歩きながら、佐祐理がふと口ずさみはじめる。凛と澄んだ小さな旋律。隣にいる祐一だけに聞こえる歌声。
 生誕歌。聖夜の、賛美歌。
 幾つかの福音の後、今度はがらりと雰囲気を変え、馴染みの深い聞き慣れた歌にそれが変わり──
 ちらりと祐一を見上げてくすりと笑い、意味ありげに小さなウインク一つ。そしてまた、彼女は歌い出す。
 瞬きした祐一は一度目を閉じ、リズムに聞き入るように沈黙すると、佐祐理に促されるままに彼女の歌に合わせて歌い出した。
 曲名は……そう、みなさんも聞き慣れたあの名曲を、聖夜のプレゼント代わりに──


〜 Fin 〜


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