《いつか辿り着く理想郷》 星海の旅人さん

 

「シローーーーーーーーーっ!」
「うおっ!?」

 突然背中に飛び乗ってきた何者かの奇襲に、俺──衛宮士郎は仰天した。
 ここは商店街の八百屋、ただいま夕食の買い物途中、あえて言うなら年度末セール中。
 ……地域密着型商店街に年度末セールって、どうよ?
 それはともかく。
 声音で襲撃者の正体を看破した俺は、その小さな身体でべったりと背中に張り付く何者かに顔を向けて嘆息した。

「イリヤ……いきなり飛びついてこないで欲しいんだが」
「えー? いーじゃない別にー。シロウはこのくらいじゃビクともしないでしょー?」

 背に縋りつく小さな少女──イリヤスフィール・アインツベルン嬢は、実にご機嫌そうにそうのたまわれる。表情はにぱっと満面の笑顔。ただし、赤い瞳には なにかを催促するような色がちらちらと見え隠れしていた。

「ね〜ね〜シロウ。お買い物? 今日の夕食はなーに? わたし、シチューがいいなっ!」

 夕飯のリクエストだったらしい。
 だが、俺はそれよりも切迫した問題を抱えていた。具体的には首に回された腕の具合がそろそろヤバイ。

「いり、や……先に、腕を離し、て、くれない、か……?」

 イリヤの細腕ががっちり首をロックしている。ついでに彼女の自重で後ろに引っ張られて、動脈にハイレヴェルな食い込み方をしているのが致命的だ。いくら イリヤが軽いと言っても、俺の頚動脈じゃ三十kgの重さに耐えられる訳がない。

「あ、ごめん」
「ぶはっ!」

 幸いにも、イリヤはあっさり腕を外してくれた。血が止まっていた脳髄に新たな血液が昇ってきて、俺はふぅと大きく息をつく。
 あー……危なかった。
 もう少し続けられていたら、死なないまでも落とされていた可能性はある。白昼の商店街で幼女に締め落とされる高校生……ヤな噂がご町内を駆け巡りそう だ。未然に阻止出来て本当によかった。

「シロウ、お買い物じゃないの?」

 端から橙色に染まり始めた空を見上げ、無駄にサワヤカな笑顔で額の汗を拭っていると、ちょんちょんと服の裾を引っ張るお嬢様の存在が。

「あ、ああ……そうだった。買い物だな、うん。その途中だ、そう」

 気を取り直し、改めて目的を引っ張り出す。そんな俺ににっこり笑顔を向けたイリヤは

「わたしも行くっ」

 と、わーいっとばんざいしながら宣言した。どうやら、買い物にかこつけて夕食のご要望を強引に押し通す腹積もりのようだ。
 まあ、別段反対する理由もなし、既にメニューを決めてる訳でもない。ここはお姫様からの勅命を賜るとしようか。

「よし。それじゃ一緒に行こうか、イリヤ」
「うんっ」

 イリヤは物凄く嬉しそうに、こくこくと頷いた。
 んじゃ、まずは肉屋からっと。
 俺が先に歩き出すと、すぐにぱたぱた軽い足音が追ってきて、横に並んだ。くいっと袖が引かれて、ちっちゃくてふにふにした手が俺の無骨な手を握ってく る。握り返してやると、イリヤはまた嬉しそうに満面の笑顔を見せた。
 夕暮れの商店街を二人、買い物して歩く俺とイリヤ。見た目は全く違うが、既にここでは『衛宮さんちのご兄妹』として認知されているからか、たまに通行人 に不思議そうな目で見られる以外は、外人さんの女の子を気にする人はいない。
 ……少し前は俺、犯罪者を見るよーな目で見られてたんだがなぁ。今じゃイリヤもすっかりここに馴染んでるし。最初の頃の違和感なんぞどこ吹く風だ。

「おぅ、士郎坊にイリヤちゃんか。今日は鶏肉が安いぜー」
「あーイリヤちゃん。こないだ藤村さんとこの大河ちゃんがまたみかん箱で買い込んで行ったけど、大丈夫なの? ほんとに食べきれるかしら?」
「士郎くーん、イリヤちゃーん、どうだい? 本日入荷ばりばりの新鮮な蟹があるよー」

 ……なんでさ?
 てか、既に商店街のアイドルってかマスコットだ。ナニモンだ商店街有志一同、いつのまにこの幼女と親しくなった?
 あちこちから呼びかけられる声の中、俺とイリヤは店の親父さんやらおふくろさんやらとの会話を楽しみながら、つつがなく買い物をこなしていった。





 買い物袋を両手に下げ、家路を辿る。隣をご機嫌な様子で歩く銀髪の少女の手にも、食材の詰まった袋が一つ。
 二人してゆっくり歩を進めながら、俺はイリヤと益体も無い話を零しあっていた。

「じゃあ、今日は藤ねえ来ないのか」
「うん、きっと今ごろ、ライガにお説教されてると思うよ」
「さすがになぁ……」

 駄目だろ藤ねえ、昼休みの遊戯程度でバスケットゴール粉砕しちゃ。
 あの虎ときたら、勝負事には子供以上にムキになる性質があるのだ。本日は体育館でバスケットの試合に乱入したあげく、豪快すぎるタイガーダンクをかまし てゴールリングを叩き折り、勤続三年に及ぶ歴戦の猛者を一球、木っ端微塵に破裂させていた。
 ……ゴールは学校の備品だけど、あのバスケットボールは卒業した先輩からの血と汗の篭ったプレゼントだったのに。とは彼(?)の散り際を目の当たりにし て号泣した男子バスケット部部長、高橋君の言葉だ。
 それにしても……バスケットボールだぞ? ビーチボールじゃないんだぞ? それを破裂させるとは、さすがは冬木の虎。恐るべし。
 当の本人は、たぶん現在猛反省中。きっと明日にゃケロッとしてるが。

「桜も今夜は来ないって言ってたしなぁ」
「サクラも? ……じ、じゃあじゃあ、ひょっとして今夜はシロウと二人っきり?」
「ぶっ!?」

 ちょっとだけ恥ずかしそうに、だけどどこか嬉しそうに頬を染めたイリヤが、もじもじとしながら上目遣いで見上げてくる。めちゃめちゃ可愛いっ。
 い、イリヤ……いつの間にそんな高度な技をっ!? お兄ちゃんの理性が激しく揺さぶられるぞっ!
 だが、冷静に考えてみると確かにそうだった。藤ねえと桜が来ないのなら、俺とイリヤ以外にこの屋敷の住人はいない。遠坂はまだロンドンで聖杯戦争の後始 末中だし──
 ──『彼女』は、あの時に此処を去った。



「むー……」

 俺が焦ったような表情から一転、雰囲気になにか沈ませるものを宿したのに気付いたか、イリヤは形の良い眉をハの字にすると、ぴっと人差し指を突っ立て た。

「暗いよシロウ? なにか思うことがあるならお姉ちゃんに話してみなさい」
「お姉ちゃんって言われてもなぁ」
「あ、馬鹿にしてるでしょシロウ。わたし、これでもシロウより年上なんだからねっ」
「なんでさ。俺からしてみたら、イリヤは可愛い妹分なんだけど」

 ちっこいし、表情もころころ変わるし、なにより色々と子供っぽいし。

「……妹じゃないもん……」
「なんか言ったか?」
「(ぷうっ)……なんでもなーい」

 頬っぺたを膨らませて、イリヤはぷいっとそっぽを向いた。
 わたし、拗ねてますっ。と表情が語っているが、さすがに俺も可愛らしいとはいえそれにフォローを入れられるほど人間出来てない。というより、そんな余裕 がない。
 沈黙が、二人の間に落ちる。

「…………」
「…………」

 ちらりと、横を歩く少女を見る。
 イリヤは銀の髪を茜色に染め上げて、目を伏せ夕焼けを見つめていた。視線には憂いがある。
 憂いを湛えた双眸が、つと俺に向けられた。鮮血よりも深く鮮やかなスカーレットの瞳孔に、複雑な感情が入り混じっていた。
 彼女は何も言わず、ただ俺をじっと見る。
 ……俺には、イリヤが何を考えているのかは分からない。彼女が今、どんな想いで夕陽を瞳に宿しているのか、何故そんな悲しそうな、寂しそうな顔で俺を見 上げるのか、それがちっとも分からなかった。
 そして、彼女のその表情が、遠坂や桜が──特に、あの戦いの直後の遠坂が──時折見せるものと全く同じものである事にも。
 結局、家に帰り着くまで、その沈黙が晴れることはなかった──





 帰宅して早々下ごしらえに取り掛かり、手早く夕食を作り上げる。
 まな板を叩く包丁のリズム、ことこと火にかけられた鍋の音。水道の蛇口から伸びる水の帯が青菜に当たり、オーブンからはいい匂いが漂い始める。
 一時間もすると、だいたいの料理は出来上がった。

「……ふむ」

 シチューをお玉から小皿に掬い、味見する。一つ頷いて、俺はコンロの火を落とした。
 うん、いい出来だ。これならリクエストしたイリヤも満足してくれるだろう。
 てきぱきと仕上がった料理を居間に運ぶ。

「イリヤー、晩メシ出来たぞー」
「はーい。いま行くー」

 風呂に湯を張りに行っていた少女からの返答をキャッチすると同時、俺は最後に運んできた深皿をテーブルに置いた。
 ほどなくして、ぱたぱたと小さく連続した足音が居間に近付いてきて、お腹を空かせた女の子が駆け込んできた。
 わーいっと諸手をあげながらテーブルにつくイリヤ。どうやらお望みのクリームシチューがちゃんと出てきたので、ご満悦の様子。
 今夜のメニューはホタテと鶏肉、ホウレンソウのクリームシチューにパンとふかしたジャガイモ、それと和風サラダだ。デザートにはイリヤお気に入りの杏仁 豆腐も用意してある。二人分だから分量は少々少なめに作ったが、品が多いので充分だろう。
 ……万が一虎が強襲してきた時には、野菜室に潜む江戸前屋のドラ焼きと未だに凶悪な装弾数を誇るダンボール箱の愛媛みかんが迎撃する。その弾幕の合間に 新たな戦力を確保すれば良し。問題ない。

「シロウ、どうしたの?」
「いや、なんでもない。いざという時の為に現有戦力の確認をしていただけだ」
「? よくわかんないけど……とにかく食べようよ。わたし、おなかぺっこぺこ。今日はおかわりしちゃうかも」
「お。よく言ったイリヤ。よし、食べようか」
「うん! いっただっきまーす♪」

 二人だけの、しかし決して寂しくはない食事が始まった。スプーンを口に運ぶ傍ら、イリヤは楽しそうに俺との会話を求めてくる。
 商店街で見かけた仔犬が王侯貴族のように気品があったこと。江戸前屋のたこ焼きを買って二人で分けた時、タコを使った料理があれほどおいしい物だとは 思っていなかったこと。この辺りは散歩し尽くしたから、今度の休日には新都の方に行きたいこと。
 彼女にとって、この冬木での生活がどれほどに楽しいものなのか。物珍しげに、嬉しそうに、イリヤは見聞きした物を切々と語る。そして俺はそれに相槌を打 ち、時折その話に口を挟み、あるいは彼女が目を輝かせるだろうちょっとした出来事を語り返す。
 彼女が家に来てから頻繁に起こるこの談笑は、遠坂や桜が居ても変わらない、この家の日常の風景。
 楽しげに、そして穏やかに。今日も夕時の団欒は過ぎて行った。





 夕食の後片付けは共同作業だ。
 普段藤ねえの家にいるからといって、イリヤは虎の如く喰い散らかすだけで何も出来ない家事能力欠乏者じゃない。食器洗いくらいはなんとかこなすし、掃除 や洗濯も教えてあげたらすぐ出来るようになった。最近じゃ、藤村組の賄いのおばさん達から料理も教わり始めたとか。
 引き取った妹分に自身の身を鑑みさせられたタイガーは、ついぞ開き直ったらしいが。『うがーーーーーっ!! いいもん嫁き遅れたらシロウに貰ってもらう もんーーーーーっ!!』とは遠坂から『そんなのじゃ嫁の貰い手は皆無ですよ?』と鋭い一撃を受け取った虎の捨て台詞だが、いくら俺でも一生涯あんたの飼育 をする気はないぞ、藤ねぇ?

「シロウ、お風呂もう沸いてるよ。わたしは後でいいから、お先にどうぞ」
「そうか? じゃあお言葉に甘えるとするかな」

 イリヤが最後の食器を丁寧に拭き取り、戸棚に仕舞うのを見やり、俺は彼女より先に風呂を頂くことにした。
 イリヤはやはり、今日は泊まっていくらしい。
 彼女の部屋は離れの客間ではなく、俺の部屋に程近い……元は切嗣の寝室だった場所だ。彼女はそれを聞いた時、複雑そうな、寂しそうな──だけど、どこか に嬉しさと懐かしさを含んだ顔で、部屋の中を見回していた。
 エプロンを外して居間を出る。薄暗い廊下を歩き、脱衣所へと入ろうとして……
 ふと、思い出した。
 髪を下ろし、湯上がりの火照った肌をやや乱した服の中に包み、その両手に洗面具を抱えてここから出てきた、『彼女』の事を。

「……驚いたっけ、あの時は」

 女の子だったのだ、その時の彼女は。
 普段の凛とした佇まいも、毅とした風格もなく、ふわりとした清流の香りと、微かに恥らうような微笑みを向けて。ほどいた金砂の髪もしっとりと濡れてい て、頬は上気に赤く染まってて。
 あの子はその時、完全無欠の女の子だったのだ──
 僅かの間幻視した、その姿。それに懐かしさを覚える自分がいる。

「……ふう」

 らしくない。
 どうした衛宮士郎。後悔は……ない、はずだろう。
 ひとつため息をつき、俺はさっさと風呂を済ませようと戸を潜った。





「やれやれ……最近、ちょっとおかしいぞ俺」

 わしゃわしゃ泡立てた頭を湯で流しながら、一人ごちる。
 どうも最近、情緒不安定な気がする。ぼーっとしたりすることが増えて、どこか気が抜けているというかなんというか……
 原因は、分かっている。分かっているんだ。
 だが、ソレを口に出して弱音を吐くのは許されない。いや、俺自身が許せない。
 納得ずくの別れだったんだ。お互い、何の未練もなく果たすべきモノの為に握り合った手を離したんだ。だから彼女との間には、何も悩むことなどないはずな んだ。
 ……だけど。
 思い出してしまう。
 黎明の空に消え行く星々の中、山の端から昇る朝焼けの主の光と共に別れを告げた、彼女の姿を。たった一言、万感の想いを込めて俺の存在を包み込んでくれ た、彼女の声を。
 忘れられなくて、もう一度逢いたくて。
 そう願ってしまう自分がいるのを、否定できない。

「なんだってんだ、衛宮士郎。情けない……」

 未練がましいったらありゃしない。こんなんじゃ、遠坂にもイリヤにも顔向け出来ないぞ。大丈夫だって言った舌の根も乾かぬうちに、もう弱音か。

「喝!」

 自分を奮い立たせようと、一成の得意文句を口にする。そして心身を引き締める為に、飛び上がりそうなくらいの熱湯を頭から引っ被り、悲鳴を押し殺して湯 を払った時──
 がらがらっ、と。
 ──こあくまが、襲来した。



「シーロウっ♪ 一緒に入ろっ♪」
「だあああああああああああっ!?」

 バスタオル一枚で風呂場に侵入してきたこあくまは、一見邪気のない笑顔で俺に飛びついてきた。ちょうど正面を向いていた俺は、胸の中に飛び込んで……と いうよりは頭を抱え込むようにしてかじりつくイリヤの身体を、モロに受け止める。

 ぷに。

 …………………………………………………………………………………………………………

 ぷに。デスヨ奥さん?
 俺の頭はフリーズした。
 ってゆーか、むしろ煮沸した。

「ぬああああああああああああああああああああああああーーーーーーーーーーーーっ!?」

 は、肌が擦れるっ、泡が滑るっ! ろりぷにな幼女の素肌がにゅるってかつるんっとかイロイロやばい所にまずい感じでっ!? ……ぐはっ、ば、バスタオル が取れっ……をぶっ!?
 くにゅん、と。
 恐ろしく柔らかでぬくぬくしたナニかドコかが俺の分身に押し当たったのを感じ取った瞬間、勢い良く仰け反った俺は湯船の縁で後頭部を強打した。
 ごつんと、火花が目に飛び散った。

「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおうっ!?」

 もんどりうってタイルに転がり、意識がぶっ飛びかける程に悶絶する俺。
 ぐ、おぉっ……!! バーサーカーの斧剣に殴られたよーな激痛がっ……!

「あ……や、やりすぎちゃった……?」

 涙で滲む視界の隅に、あっちゃ〜と顔に手を当てて苦笑いするロリっ子の姿。一糸纏わぬ全身が映り込み、その肢体が俺を介抱しようと近寄ってきた所で──

「……はぅっ」

 眼前にしゃがみ込んだイリヤの滑らかな下腹部から太腿部までがばっちりくっきり至近距離で眼球に納まり、そのあまりの衝撃に、俺は意識を手放した。
 い、イリヤはやっぱり、まだ……お子様……だった、か(がくっ)。





「ぅ〜……ごめんね、シロウ?」

 風呂場での騒ぎの後、気絶した俺を脱衣所まで引き上げたイリヤは、団扇で俺を仰ぎながら、そんなことを言っていた。
 布地越しに、柔らかくて火照った太腿の感触が頭の下にある。イリヤの膝枕だ。
 さすがに、二人とも服はもう着ていた。っつーか、イリヤに引き上げられた時にすぐ目が覚めたから自分で着たんだが。彼女に着せ替えられるのはちょっと勘 弁願いたい、人形じゃないんだし。

「ちょっとしたスキンシップのつもりだったの。ちょこっとはしゃぎすぎちゃって……」

 だからごめんね。と呟くイリヤに、怒ったりするような神経は持ち合わせていない。

「まあ、いいよ。俺も少し驚いただけだから」
「……少しだけ?」
「ん?」
「わたしのヌードに、欲情したりしなかった?」
「んなっ!?」

 いつのまにやら、こあくまの笑いが復活している。
 唇に指をあてて、んふふ〜と微笑む様、まるでリトル遠坂。

「ぁ、あのなあイリヤ。俺とお前は兄妹だぞ? そりゃ血の繋がりはないけど、だからって、その……」
「ふふふっ。ごめんねシロウ。そんなにどもらなくてもいいってば。さっきも言ったけど、ちょっとした姉弟のスキンシップのつもりだったんだし」
「む……」

 今何か、微妙に台詞中のニュアンスが違った気がしたんだが。
 はて? と眉間に皺を寄せる俺を他所に、イリヤはぱたぱたと気楽に団扇で風を送る。

「ま、今のシロウじゃおねーちゃんが手取り足取りって訳にはいかないだろうし、わたしも魔眼とかで無理やりっていうのはすこーし悲しいから、このくらいで 勘弁してあげる」
「……そりゃどーも」

 手取り足取りってなんだ、とか、魔眼使うのかよおい、とか、すこーしだけ? とか、色々突っ込みたい所はあるが、下手に言及するとエライ事になりそうな 予感がして、俺はそうとだけ答えた(衛宮士郎、スキル:心眼C。現状では女性関係のトラブルにのみ発動。発動した時には既に大抵役立たず)。

「さて……と」

 気を取り直して、起き上がる。俺の頭が膝から離れた時に『……ぁ』と少し寂しそうな呟きを漏らした少女は、すぐにハの字になっていた眉を戻した。

「シロウ。もう、寝ちゃう?」
「ん。まだまだ寒いしな。こんな所でいつまでもぼーっとしてたら風邪引いちまう」

 立ち上がりながら言うと、イリヤもそうだねと頷いた。
 そして、おもむろに上着を脱ぎ出した。

「い゛っ!? い、イリヤちょっと待……!」
「なーに? わたしはこれからお風呂入るの。ここは脱衣所だから、当然の行動なんだけど、なにかおかしい? ……それとも、シロウはわたしのストリップが 見たいのかなー?」
「す、すぐに出るっ」

 先程の光景がフラッシュバックする。
 すべすべのおなかと可愛らしいおへそがちらっと見えた瞬間、俺はランサーもかくやという動きで廊下に飛び出し、そのまま部屋へと逃げ出した。
 ……背後から微かに聞こえた、『もう……シロウならいつだってなんだっておっけーなのにー』というイリヤの言葉を、聞かなかった事にして。





「なんだか疲れた……」

 碌に物も無い自分の部屋。押し入れから引きずり出した布団に突っ伏して、俺は重たいため息を吐いた。
 今日は鍛錬も行わない。気が乗らないというのもあるが、なによりイリヤが泊まる日は、彼女は俺が土蔵の中に篭るのをひどく嫌がるのだ。

「イリヤ、今日は随分とおかしかったな……」

 スキンシップにも程がある。いつもより二つ三つは箍(たが)が外れていたぞ、あれは。
 そもそも、イリヤはお姫様なのだ。無邪気な言動の中にも気品と優雅さを失わない、生粋の貴族の娘さんなのだ。
 それがなんでまた、ああも急激にはっちゃけるのか。

「……藤ねぇに預けるんじゃなかった……」

 ありゃ絶対藤ねぇの影響だ。虎が後継者っつーか分身を育ててるのだ。純真無垢な雪の妖精がヴァイオレンスな環境下でブルマなろりっ子弟子へと洗脳されつ つあるのだ。
 ついでに、遠坂にも原因の一端がありそうだ。こないだまであのあかいあくまはイリヤと共謀してなにやら色々ごそごそとやっていたし、イリヤの言動の端々 に、時折こあくまが見え隠れしているし。
 ああなんてこった、うちの可愛いイリヤが虎とあくまに染められてゆく!

 ──随分な言い草ね、士郎──

「!?」

 幻聴が聞こえた気がして、びくっと俺は跳ね起きた。だが無論のこと、遠坂の声も形も何処にもない。あるはずがない。

「空耳、か……」

 やっぱ疲れてるのか、俺。ロンドンに行ってる遠坂の声がここで聞こえる訳ないもんな。

「いかんな……風邪の前兆かもしれん。とっとと寝よう」

 うん、そうだそうしよう。ぐっすり寝ればきっとなにもかもを眠りが洗い流してくれるだろう。
 そう結論付けて布団に潜り込む俺は、同時刻時計塔の審問中に遠坂が可愛いくしゃみをして胡乱な目を向けられたことを知らない。そして恐るべき直感と洞察 力で彼女がそれを俺の仕業と確信し、帰ったらここでの鬱憤晴らしも兼ねていびってやると心に誓っている事も未だ知らず。藤ねぇが爆睡中にくしゃみを連発し ていた事も、全く知りはしなかった。



 五分……それとも十分?
 布団に潜り込んでから、そう時は経っていないだろう。少しずつまどろみはじめていた俺の耳に、きしきしと廊下の軋む音が聞こえてきた。
 今、この屋敷には俺の他に一人しか人は居ない。そして聞こえてくる足音は、良く知っている体重が軽い者の小さな音。
 ちっちゃな人影が、月明かりに照らされて障子に映る。

「シロウ……まだ、起きてる?」

 そしてその人影は、そっと問い掛けを投げ込んできた。

「……ああ。起きてるよ」

 答えると、音もなく障子戸が引かれた。淡い光と影が、部屋に入り込んでくる。

「ねぇ、シロウ……一緒に寝ても、いい?」

 真っ白いだぶだぶなパジャマを着て大きな枕を抱えたイリヤが、その向こうに立っていた。
 いつもとは違う、恐る恐る聞いてくるその瞳は、かすかな不安に揺れていて。まるで、怖い夢を見た幼子が、親に一緒に寝てとお願いしにきた時のようで。

「……今日だけだぞ」
「うん……」

 気が付けば、俺は掛け布団を捲りあげて、彼女を招き入れていた。





 カチ、コチ、カチ、コチ……
 静かな部屋に、時計の針が動く音だけが響いている。
 俺はただぼんやりと寝転がり、腕を組んで枕にし天井にわだかまる闇を見上げている。
 隣には、ほんの僅かに触れ合うぬくもり。薄い布地と、それに包まれた温度のある柔肌と。
 ──本当に静かな、小さな吐息。
 彼女が、こうして俺の布団に潜り込んできてから、数分か──あるいは、数時間か。どのくらい時が経ったのかは。はっきりしない。
 ただ、その間──二人の間に会話はなく、イリヤは沈黙を続けている。
 左頬に感じるのは、ぼんやりとした少女の視線。何を問うでもなく、何を見抜くでもなく、どこまでも静かに、純粋に俺を眺め続けている。気にはならない。 だが、気にしてしまう。その、心地よさ。



 ──と。
 気配が動いた。
 もう時間の感覚もなくなり、イリヤを気にしながらも日中の疲れからかまどろみに落ちようとしていた俺の隣で、もぞっと少女が動く。

「……ん? イリ──」

 ぎゅっ……

「へ?」

 もぞっ……よじよじっ……ごそごそ。

「んなっ──!?」

 突然、柔らかいぬくもりが俺の身体にしがみ付いたかと思うと、上に乗っかるようにして這い上がってきた。

「ななななっ……!?」

 布団の中でしばらくごそごそ動いていたそれは、すぐに頭の方に向かって来て──

「──ぷはぁっ」
「イ、イリヤっ!?」

 ぴょこんと掛け布団から顔を覗かせたのは、銀髪の少女だった。
 にぱっと満面の笑みを浮かべたイリヤが、俺の腹を跨いで座り込んでいる。

「えっへへ〜♪」
「な、なにしてんだイリヤっ」
「んー? シロウはあったかいかな〜って思って」

 俺の胸板に頭を預けながら、イリヤは囁いた。

「やっぱり、思った通り……シロウはあったかい……」

 その姿は、まるで親に甘える仔猫のようで──ああ、イリヤは喩えるなら間違いなく猫だ。それも気分屋な、気品のある白猫──だからか、俺の上にあるこの ぬくもりを、手放したくないと思うのは。
 いつしか、俺はごく自然にイリヤの頭を撫でていた。
 指が動く度に細く柔らかい髪の毛が水のように流れ、踊る。未だわずかに湿気を帯びる毛並みを労わるように掬い上げると、それは滝のように指の間から零れ 落ちる。
 イリヤは気持ち良さそうに目を細めて、俺の掌に頭をこすり付けていた。
 ……なにやってんだ、俺は。
 その仕草にふと我に返り、手を止めて少女を見下ろす。
 唐突に愛撫が止まり、イリヤは首を傾げた。ん? とばかりに首を傾け、上目遣いの双眸を投げてくる少女の口元には、微かな笑み。

「ねぇ、シロウ……」
「ん?」
「……シよっか?」
「い゛っ!?」

 唐突に告げられた、幼い容姿からは想像も出来ない妖艶な笑みを浮かべたイリヤの言葉に、俺は文字通り仰天した。

 コノ娘サンハ何ヲ言ッテオラレルノデッシャロカ?

 甘く囁く声音は何処までも狂おしく、蕩けるような微笑は同時に例えようもなく蠱惑的。上目遣いの視線はほんの僅かに潤み、誘うような光をちらつかせ。吐 息と華奢な身体から漂う匂いの色は、まるで情欲に堪え切れない娼婦のように。
 目が離せない。魔眼を使っているわけでもないのに、イリヤの紅玉のような瞳から視線が外せない。
 深刻なまでの理性と生命──主に後日、あかいあくまや健気な後輩にバレた時──の危機を感じ、俺は最後の理性──金色の髪をした──を振り絞って絶叫し た。

「い、いいからどいてくれイリヤーーーーーーーーーーーーーっ!!」
「きゃんっ!?」

 腹筋の力だけで勢いよくがばっと起き上がる。可愛い悲鳴をあげて、俺の上からころんっとイリヤが転げ落ちた。
 あ、危なかった……あそこで魔眼でも使われてたら、確実にイリヤを抱いてた。もしもそんなことになったら……
 ツインテールのあくまが表面静かに修羅の笑顔を浮かべて左腕をこちらに向ける幻視が過ぎった。何故か暗くて怖い笑みを見せる後輩が変な影を背負って立つ 幻が見えた。
 だけどどういう訳か、金髪の少女が顔を真っ赤に染めてがぁーっと怒る姿だけは思い浮かばず──
 風呂場で見た、イリヤの濡れた青い果実のような肢体やその局部が再現されて、俺は再び瞬間沸騰した。
 ぼ、ぼんのーたいさんっ!



 しばらくして。
 顔色を赤くしたり青くしたりと忙しく未来の惨劇と過去のお宝映像を交互に連想している俺の姿に、さすがに悪いと思ったのか。イリヤはちょっぴり困ったよ うな苦笑を浮かべて、大人しく俺の横に寝直してくれた。

「ふふふっ……ごめんね、シロウ」
「全く、性質が悪いぞイリヤ……どうしてあんなことしたんだ?」
「ん……」

 同じ布団の中、毛布を被り頬杖をついた少女が、さっきまでとは異質な微笑を浮かべた気がした。
 きゅっと、袖が掴まれる。
 そして──

「少しは……セイバーの代わりになれるかな、って」
「な……」

 その言葉に、驚愕よりもむしろ、戦慄を覚えた。
 先ほどまでのイリヤの言動……彼女があれ程までに積極的に絡んできた、真の理由に思い至ったからだ。
 それこそ、手段を選ばす──方向性が多少間違っていたような気が激しくしないでもないが──スキンシップを求めてきた彼女は、内心で少しでも俺の気が楽 になるようにと考えて、あのこあくまのような行動を起こしていたのだろう。
 それはつまり、イリヤにそれほど心配される位に、ここしばらくの俺は腑抜けた態度をしていたという事。
 それを察して、彼女は俺を少しでも元気付けようとあんな真似をしでかした、と……
 動揺して顔を向けた先に、枕を抱えてうつ伏せになったイリヤの、澄んだ瞳が飛び込んできた。
 宝石のような眼窩に煌く知性を宿した妖精は、桜色の小さな唇を開く。

「わたしだけじゃないと思うけどね。リンもサクラも、少しずつ背負ってる。シロウの心に空いた隙間を──聖剣の形をした残滓を、ほんの僅かでも埋められる ように、って」

 それは、衛宮士郎の心にぽっかりと空いた穴。剣の丘の玉座にして、十年共に在り続け、そして剣の王に返還された、聖剣の鞘。
 彼女達は、それを埋めてあげたいと言う。
 それはつまり、剣の戻る隙間を亡くしてしまう事ではないのか? 俺に──……『彼女』を、忘れろと言うのか?
 でき、ない──……
 知らず噛み締めた奥歯が、口の中ですら消え失せそうな意志を発した。
 忘れることなんて出来ない。忘れられるわけがない。彼女と一緒に戦い抜けた、あの戦争の記憶を断つことなど、出来るはずがない。
 俺の魂が、存在が、この身に宿る信念が、それを否定する。
 けど。
 だけれど、彼女達の想いを無にも出来ない。俺を間違えさせないと言った少女の、俺を守ってあげると囁いた少女のどこまでも透き通ったその想いを、どうし て無駄に出来よう。
 俺の表情から、その葛藤を読み取ったのか……イリヤがそっと伸ばした指が、瞼に触れた。

「いいんだよ、シロウ。そのままでいいの……」

 それは、解きほぐす解呪のように。

「セイバーの事、忘れろなんて言わない。振り切れとも言わないよ。彼女の面影は、シロウの中に残したままでいいの」

 貴方は、覚えているでしょう? と、ことんと小首をかしげたイリヤの表情に、金色の髪を梳いた少女の姿が重なった。
 覚えている。
 彼女の笑顔も、泣き顔も、戦に望む表情も。毅然とした立ち居振る舞いや、透き通り鳴り響く声や、繋いだ手のぬくもり、抱きしめた小さな肩の感触まで──

 ──問おう──

 ──貴方が、わたしのマスターか──

 薄暗い土蔵の中で。射し込む蒼き月光に照らされて。告げられた剣の誓い。
 あれは、十年前の煉獄と同等以上の意味を持った、衛宮士郎の根幹となり得る出来事。これから先、俺が正義の味方を目指し歩み辿り着く為の、最初の一歩と なる光景。
 蒼き騎士王たる少女と出会い、彼女に救われ、彼女と過ごし、そして戦いへと赴いた、かけがえの無い記憶。幾つもの戦いを経て、幾人もの英霊達と争い、そ して研ぎ澄まされた──なまくらだったこの身を打ち鍛えた、始まりの鉄槌。
 俺は何一つ、忘れちゃいない。

「それでも……どうか、誤らないで。鉄錆びた剣の丘を目指さないで。赤い外套の騎士になんか、なっちゃダメ。そんなことはわたしがさせない、リンがさせな い。なによりも──セイバー自身が、させたくない」

 なぜだ、と問いかけようとした喉は、イリヤの真摯な瞳によって遮られた。
 何を言っているんだ、と傾げようとした首は、頬に添えられた小さな掌で押し留められた。
 どうしてだ、と何故(なにゆえ)彼女達が俺を止めるのか聞こうとした思考回路は、そこに浮かび上がった彼女達の悲痛な表情に、停められた。

「間違えちゃダメだよ、シロウ? 貴方が目指すのは正義の味方。でも、貴方はそれよりも前に彼女の。鞘。いつの日にかあの場所に到達するとしても、そこは 一人で立っていい場所じゃない、剣朽ちる場所じゃない」

 遠坂から聞かされた。衛宮士郎は、突出した異端者だと。その歪なまでに真っ直ぐ駆け抜けてゆく生き様は、いつか必ず『英霊』と呼ばれるものにまで辿り着 くだろうと。
 イリヤもそれを知っている。知っていて──
 ──それでも。

「貴方が辿り着くべきなのは黎明の丘、目指すべきは聖剣の鞘。そしてそこに待つのは──彼女だけじゃ、ないんだから」

 それでもと、尚も彼女は囁く。
 辿り着くべき場所は、今俺が目指す場所であってはいけないと。そこに到達せんとするのは、貴方一人だけではいけないのだと。

「わたしは付いてゆく。シロウが何処に行こうと、何をしようと付いてゆく。貴方の道を指し示す為に、歪まず朽ちない真の座へと導く為に」

 そしてきっと、そこにはセイバーが待っているから──……

 その囁きは、誓約にも似た祈りの言葉。願いであり、約束である、かつて金の少女が後に残る半身の、その傍らにいる者達に託した夢。
 俺はそれを、言葉によらず教えられた。

 どこかの情景が見える。
 何処までも続く、夜明け前の草原。暁の光昏き蒼穹に広がり、雲は黎明の刻に染まる。大地には無限の剣、朝露を帯びて突き立つ連なりは、遥か果てをも埋め て遠く。風はその合間を縫って駆け抜け、彼方を目指す。
 そしてその中心には、剣の丘。頂点に突き立てられた一本の剣(きゅうきょく)を背にして、それを守るように立ち囲む少女達。
 ■と、■■■と、■と──
 その中にはきっと、蒼き騎士王の姿も──

「だからシロウ。頑張って。いつか、辿り着くべき理想郷の為に」

 それはまるで聖母のような。
 見守り、助け、慈しむような慈愛の微笑み。
 だから俺は答えなきゃいけない。中途半端な答えでも、なにか彼女に伝えなきゃいけない。

「ああ……努力、するよ」

 今の俺には、それが精一杯。
 ごめんなイリヤ。でも、いつかきっと辿り着いてみせるよ。俺とお前と、彼女達との絆に誓って──
 心の呟きが届いたのか、緩やかな月光のように微笑んだ少女の姿は、やはり『彼女』によく似ていた。





「と、言うわけでっ」

 三度、ころっとイリヤの表情が移り変わる。まるで月齢のように変わってゆく少女の面差しは、見ていて飽きない。
 が、この場では面食らうだけだった。

「さ、もう寝よっ。おねーちゃんが一緒に寝てあげるから♪」
「うわっぷ! こらイリヤっ、俺をむぐっ!? むむうううーーーっ!!」

 ぎゅっと頭を抱き抱えられて、俺は息が詰まりそうになった。鼻先が、発展途上前でぺったんこだけど、確かな柔らかさを見せる膨らみにうずもれる。普段感 じないイリヤの甘い香りが鼻腔いっぱいに広がって、恐ろしいほどに胸が高鳴る。
 ぐあっ……こ、これはまずいっ!

「あははっ♪ きもちいいー、シロウ? なんだったら、襲ってもオールオッケーだよっ」
「なっ!」
「照れない照れない。さっきお風呂場でぜーんぶ見たでしょ?」
「んななっ!?」
「シロウの視線がわたしの大事なトコ凝視してたの、ちゃーんと見てたんだけどなー」
「お、おまっ! 気付いて──……っ!?」

 そりゃもう。としろいこあくまがにんまり笑った。

「えへへー。どう、シロウ? この身体、見た目はろりぷにだけど中は女としても充分に発達してるんだよ?」

 ぎゅーっと抱きついてくるこあくまさんの、ムネやらオナカやらフトモモやらが俺の精神を激しく攻める。
 擬音にするなら、ぷにっ♪とか、ふにゅふにゅ♪とか、きゅっきゅ♪とか。
 し、死ぬっ! このままでは篭絡される前に殺されてしまうっ!!

「なんなら、じっくりと確かめてみない? 今なら大さーびすなんだけどなー♪」
「うわああああああああっ!? こ、こらっ、それ以上押し付けるなっ、動かすなっ、揺するなっ! ぬおっ!? ……か、勘弁してく れーーーーーーーーーーーーっ!! うぶっ!!?」

 夜は更けてゆく。
 窓辺の障子を透かして射し込む月光は、あの静謐な蒼を纏った銀の色。
 夜空に浮かぶ月はどこか所在無げに、それでいて優しげな苦笑にも思える色を見せ、まるであの騎士王のように屋敷を見下ろし。
 そして俺の魂の絶叫は、全てイリヤの小さな胸に閉じ込められてしまったのだった──


<終>

 
 
  ご意見ご感想は星海の旅人さん へどうぞ

目次へ