ク リスマスSS
ある意味特別ではない、いつもの晩餐
 星海の旅人さん

 ────十二月、二十四日。

 ちらちらと白いものが舞い降りる、夕刻の小道を歩いていた。
 雪道を苦も無く歩くのももう慣れた。二度目の冬の到来に、俺はふと立ち止まって空を見上げる。
 色々なことがあった一年だったが、それももうじき終わる。今日はその最後の締め括りになるかもしれないイベントの日だった。……たぶん、まだ幾つも何か あるとは思うが。
 この街にいる限り、俺の周りに騒動の種は尽きない気がする。それこそ、毎日が特別な一日だ。なんでもない、だけど特別な一日が連鎖する、それが今の俺の 日常。
 そして今日は、文字通りに特別な一日でもある。
 向かう先はいつもの仲間達が集う、ある人物の家。手には一抱えもある白い箱。中身は本来、そんな重量のあるものではないはずだが、さすがにここまでの大 きさになると意外に重たい。まあ、それだけ身の詰まったスポンジ生地だって事だろうな。秋子さん、気合入りまくりだったし。
 そして俺の前には、この箱を野獣の如き視線で見つめる二匹のあぅーとうぐぅが──

「ふんふふんふーん♪ ぱーてぃぱーてぃー♪」
「うぐぅー♪ クリスマスパーティーだよー♪」

 ──前言撤回。あぅーとうぐぅは、俺と箱のことなど見向きもせず、うきうき気分で歩いていた。狐の方に至ってはステップまで踏んでるし。
 名雪おさがりの真っ赤なコート姿のツインテールと、代わり映えのしないいつものダッフルコートのカチューシャ娘。言うまでもないが一応述べるなら、沢渡 真琴&月宮あゆの水瀬家年少ペアだ。

「祐一っ、早くしなさいよぅ!」
「そうだよ祐一くんっ」
「あー、わかったわかった。わかったから袖引っ張るな、荷物が落ちるだろーがお子様コンビ」
「む。失礼ね祐一、真琴はちゃんと分別もある大人よっ。引っ張ってるのはあゆだけじゃないのっ」
「ああ、そーだったな。とゆーわけで、袖引っ張るなおこちゃまあゆあゆ。おにーさんはそれはそれは大切な、『秋子さん作・ジャンボクリスマスケーキ完全手 作り生産品』を運んでいるのだ。傾いてケーキ崩れたりしたら、みんなが悲しむんだぞ、お前も泣いちゃうんだぞ? ちっちゃくてもそれくらいはわかるだろ、 ん?」
「うぐぅ!? ボクにだけ更に諭すようにっ!?」

 しかも幼児扱いにまで下がってるっ、と喚くあゆをスルーして、俺は足元慎重にしかし早足で道を急ぐ。ま、遅刻ってほどでもないしそれほど急ぐ必要もない んだが、先に待ってるみんなのことを考えれば、本日のメインディッシュの一角、すぐに届けてやらねばなるまいて。

「ちょっと聞いてるの祐一くんっ、ひどいよ横暴だよじんけんむしだよ。いっつもいつも真琴ちゃんには甘いくせにぃ……じんしゅさべつだよっ」

 ……それは別の意味で確かにそうなのかもしれないが、深く考えるとヘビーじゃないか? お前、真琴が妖狐なの承知の上で言ってる……わけないか。自分の 発言内容に気付いてないだけだな。
 まあ、当の真琴に気にした様子が欠片もないから構わないか。あいつえらいポジティブだからなー。
 あと、何故四字熟語になると平仮名になるのかが疑問なんだが、それは放っておく。だってあゆだし。

「へへーんだ。真琴は祐一のペットだもんねー。単なる同居人のあゆとかわいーかわいー愛玩動物の真琴じゃ、扱いが違うのも当然ってもんよ」
「うぐっ!? なんか別の意味で取られてるっ!?」

 ……本気でポジティブだ。だがな真琴、頼むからペットとか愛玩動物とか往来でゆーな。思ってもゆーな。今、通行人のおばちゃん達が今にもおまわりさん呼 びそうな目で俺を見てたぞ。俺は調教なんてしてねぇ、たぶん。

「いいから行くぞ、お前等。せっかく佐祐理さんが誘ってくれたんだし、他の連中はもう先に行ってるんだ。遅れたらタイヤキやら肉まんやらも誰かに食われる ぞ」
「うぐ、そうだよ!」
「祐一っ、出来る限り迅速にかつ丁寧に急ぐわよっ」
「しっぷうじんらいの如くだよっ」
「現金な奴らだ……」

 途端に駆け足になる二人に呆れた顔でため息をつき、俺──相沢祐一は一つ年上の友人であり、相沢ファミリー(命名、北川潤)の一角を占める天下無敵のお 嬢様、倉田佐祐理嬢の待つ邸宅へと歩き出したのだった。





 さて。もう誰もがお気づきのことと思うが。要点だけ簡潔に述べれば、パーティーってことらしい。より事細かに詳細を並べ立てるとすると、赤い服来た白髭 の爺さんが大きな袋担いでトナカイに乗ってお空をしゃんしゃんと……子供の頃はそりゃあ楽しみなイベントだ、良い子にしてなきゃプレゼントもらえないって のはアレだが。いやなに、昔馬鹿オヤジに、母さんが用意してくれてた天体望遠鏡のプレゼントを数学ドリルにすり替えられた、苦いにがーい思い出があるだけ だ。一週間前に冷蔵庫のビール全部、思いっきりシェイクしてやった程度のことで、何を大人気ない……全くもって狭量な馬鹿親だ。
 更に言うと、本日誕生日を迎える我が従姉妹殿のお誕生会も兼ねている、はずなのだが……このメンバーが揃うと、クリスマスも誰かの誕生日も大差なく『み んなでお楽しみしようパーティー』に変貌する為、最早名雪当人も自身の誕生会の事など半分方思考の外だろう、イチゴ食べられれば満足するって、きっぱり言 い切ってやがった。
 それに、今日の事も考えて、昨夜一足早くバースディパーティーしたし。プレゼント、昼間のうちに渡しといたし。しかし、誕生日プレゼントに目覚まし時計 所望するって、それでいいのか名雪。結局俺が起こす羽目になるんじゃないか名雪。
 ……話が脱線した。

 まあ、つまり。
 十二月の二十四日である。
 本日、クリスマス・イヴ──俺達は、佐祐理さんの「みんなでパーティーをしましょう」との呼びかけに応じて、てんでんばらばらに倉田邸へと集合しつつあ るのだった。





 背丈より遥かに高い塀を横目にしばらく歩き、立派な門構えの入り口で顔見知りの守衛さんに皆の居場所を聞き、雪掻き途中の庭師さんと挨拶を交わし、倉田 家御用達の番犬サスケとコタロー(まだ子犬、舞が拾ってきたのに俺が名前を付けた)にあゆがじゃれつかれて転び……
 そして倉田邸別棟、今回のパーティー会場にめでたく到着。古風なライオンのノッカーを叩く。見た目アナログだが、実はハイテクの塊らしいこれ、屋敷の何 処に居ても来客がわかるらしい。どんな原理かはさっぱりだけどな。
 程無く、パタパタと耳に心地よい足音が響いてきた。聞き覚えがある音だ。

「いらっしゃい、祐一さん!」
「こんちわ、佐祐理さん」

 扉が開き、微かに上気した頬で出迎えてくれたのは、倉田家ご令嬢倉田佐祐理その人。黒のタートルネックセーターにロングスカート姿の彼女は、天使もかく やというほんわかした笑みを浮かべ、俺を屋敷へと迎え入れてくれた。

「おーい、あゆあゆにまこぴー。早くしろー、ドア閉めるぞ」
「ま、待ってよぅ祐一」
「な、なんで祐一くんの方が早いのさー……うぶぅ!」

 あ、あゆが転んだ。ありゃきっと「うぶぅ」じゃなくって「うぐぅ」だな。前のめりに雪ん中に顔突っ込めばそんなもんか。……しかし、あゆの奴さっきもコ タローに突撃されて尻餅ついてたな。あいつ、運動神経悪くないはずなんだが……
 ……お、立ち上がっ……

「うぐっ!?」
「なにぃ!?」

 今度は後ろにすっ転びやがった。……ひょっとして、バランスの問題か? 子供は重心が高いっていうし。あるいは足元の雪か? どじっ子属性のあゆは、雪 道と相性が良くないのかもしれん。
 とにかく、あいつに荷物持たせないでよかった……

「ふぇー……」

 佐祐理さん、さりげに目が点。不思議なものを見るようにあゆを見ている。ま、彼女は身体能力になんら問題を抱えていないしな。

「もう、なにやってんのよぅ」

 こちらはしっかり荷物持ちなのに、全く危なげのない真琴。平然とあゆを助け起こしている。……うん、転ばないよな、普通は。栞だったら分からんが。

「こんにちわっ、佐祐理」
「こ、こんにちわ佐祐理さん」
「はい、ようこそいらっしゃいました、真琴さんにあゆさん」

 にっこり笑った佐祐理さん、どうぞ中へと二人を案内。俺もそれについてゆき、そうして今夜──クリスマス・イヴのパーティーは、その舞台にほぼ全ての出 演者を迎え入れたのだった。





「……で、今回は完全に俺達未成年組だけ?」
「はい、お父様もお母様も、それに園田さんや逸見さん、吾妻さんに美琴さん、美樹さん達も今日は遠慮するそうです。ただ、美樹さんと吾妻さんは休憩室に控 えてるとの事ですから、何かあったらどうぞ呼びつけてくださって構いません、と言っていました」
「そうかぁ……結局秋子さんも、差し入れだけ作ってパーティーは辞退しちゃったしな」

 今日は子供達だけで楽しんで来て下さいね、と笑顔で送り出してくれたのだ。む、これは年内に水瀬家で忘年会でも企画するか……あるいはここで新年会か?
 ともかく、秋子さんも込みでなにか考えねばならないな。秋子さんは、人がたくさん集まってわいわいするのを見るのが大好きなのだ。
 ちなみに、園部さんやら美樹さんやらというのは、倉田家勤務のメイドさん達のお名前だ。みなさん妙齢の美女揃いで、先に述べた五人は特に俺達にも親しく 接してくれている。
 なんでも、幼い頃からの佐祐理さんの世話役さんとか、あるいはこちらと年があまり変わらない人とか、とにかく色々あって佐祐理さんと近しい関係なので、 それ経由で話も伝わって、俺とかにも親しみを持ってくれたらしい。
 メイドさんは合計で十数人いるようだが、俺はこの人達以外とはあまり接してはいないので、プライベートは調査不足だ。あと知ってるのは、初老のメイド長 さん──メイド長としか呼ばれないので、未だ名前が分からない──が入れる紅茶は、なんと秋子さんをも上回る至高の味である、というギネスブックレベルの 情報ぐらいか。ありゃ凄い。

 と、俺の横で身震いするように動く気配があった。

「うぐぅ、びしょびしょぉ……ちょっと冷たい」

 くちゅん。
 語尾にくしゃみが重なった。
 あー、こりゃちとまずいかも。下手したらあゆの奴、明日ベッドの上で唸ることになりかねない。

「あらら……パーティーより先に、あゆさんは着替えた方がいいかもしれませんねー」
「すまない、佐祐理さん。こいつになんか、代わりの服を用意してやってくれないかな?」
「そうですね。あゆさん、こちらへ。風邪を引かないうちに着替えましょう。佐祐理のお洋服を貸しますから」
「うん、ごめんね佐祐理さん」
「いいんですよー」
「……でも、佐祐理の服じゃあゆには着れないと思うんだけど」
「うぐっ!?」

 真琴の指摘は、鋭くあゆの急所を襲った。

「お、そうだな。子供体型のあゆあゆじゃ、ナイスバディの佐祐理さんの服は無理だな」
「うぐぅ! な、なんだよそれっ! ひどいよ祐一くんっ!」
「あ、あはは〜……だ、大丈夫ですよ。少し昔の服を探せば。最悪、別の手段もありますし。美樹さん達とも相談してみます」

 涙目で抗議するあゆと、ナイスバディの響きにちょこっと顔を赤らめて苦笑する佐祐理さん。うむ、共になかなかぷりちー。

「そっか? じゃあ佐祐理さん、こいつのこと頼むよ。俺と真琴は、先に会場に行ってるから。場所は……」
「奥のパーティー用応接間です」
「ん、わかった。じゃああゆ、佐祐理さんもまた後で」
「うぐぅ、うん……くしゅっ」
「あゆさん、身体が冷えないうちに行きましょうか」

 二人が歩き出すのを見送って、俺達も目的地に向かう事にした。

「よし。行くぞ、まこぴー」
「うん。この荷物降ろさないと、何かあったら中身が怖いもんね」

 俺のケーキもだが、真琴が持ってる紙袋の中身も衝撃に崩れやすい洋菓子の類らしい。秋子さんの事だから、ロールケーキとかティラミスとかのケーキ第二段 か……じゃなきゃ凝った飴細工かチョコレートを使った砂糖菓子辺りか。いやいや、ここはオーソドックスに手作りクッキーという可能性も……十八番のアップ ルパイとチーズケーキは、出来立てをたぶん今頃名雪が運搬中。超特急かつ丁寧にここに運んでいる途中だろう。
 どちらにせよ、俺の持つケーキと同様、粗雑に扱うことは出来ない。
 という訳で、俺達二人はあゆを佐祐理さんに任せ、一足先に他のみんなが待つであろうパーティー会場へと足を運ぶのであった。





「おっ、来た来た。よぅ相沢、真琴ちゃん」
「……祐一にまこさん……ちょっと遅い」

 ちょうどドアの前に着いた時、扉の方が勝手に開かれ、声が投げかけられた。真琴の眉がちょっぴり下がり、恥ずかしそうな顔色になる。

「あぅ、ごめんねー。ちょっと遅れちゃった」
「むう、さすが倉田邸……内部の扉まで自動ドアとは。しかもどこかで聞いたような音声付きで個人識別まで可能なのか、なんてファジーな」
「んなわけあるか」

 ずびしっ。

「ぐぁ」

 俺が佐祐理さんちの恐るべき住居システムに戦慄しているその隙に、電光のような速度で突っ込みが入った。しかも、声と手が別人。
 激痛にこらえて、今まで無視していた相手を見る。皮のジャケット&ブラックジーンズをすらりと着こなす男装の美女は、言うまでもなく俺の幼馴染その壱 だった。
 ついでにその背後でにやり笑うは、俺の親友兼相方その壱。

「……舞、相変わらずいいチョップだな。しかし、ちと痛いぞ」
「祐一が、目の前の私達を無視してボケるのが悪い」
「そーだぞ、相沢ぁ」
「む、何を言うか北川。俺とお前は一心同体のつーでかーな阿吽の仁王像そのもの。お前ある所に俺はボケ、俺の背後には常に突っ込みボケるお前の背中がある のが絶対なるマーフィーの法則! いざ、我等揃う所になんら一つの捻りもないとは、正に人類全てに対する冒涜だろうがっ!」

 最早、自分でも何を言っているのかわからない超絶理論を信じてがなる俺。端的に言えば脊髄反射言動。こうなると、クラスメイトはおろか俺の周囲にいる女 性陣ですら、対応できなくなるというから不思議なものだ。何故だろう、俺は普通に喋ってるはずなのに。
 ……だが、こいつだけはついてくるのだ。この信頼──天野曰く、というか類は友を呼ぶって知っていますか? ──を、こいつだけは裏切らない。そう、俺 の如何なる言動にも、北川だけは、絶対に。
 俺の信頼の眼差しに──真琴と舞は『ああ、また訳の分からないことを言って』という目で見ている──果たして、北川は確かに応えた。

「ぬうぅ、言われて見ればっ。スマン相沢、今のは俺の凡百な対応が悪かった。北川潤、三日ぶりの一生の不覚!」
「今ので納得するのっ!? ってそれより『三日ぶりの一生の不覚』ってなによぅ!?」
「ダメ、まこさん。この二人は揃って喋り出した瞬間から、もう私達じゃ手に負えない」

 ゆー・うぃん!
 漢の友情は、ナニモノよりも堅かった。
 だが、俺のマーフィー的二十七段階変則論法に誠心誠意北川が賛同の意を示したとゆーのに、真琴はなにやら納得がいかなかったらしい。一方、舞は既に俺達 を諌めるのを諦めている。失礼な。

「こういう時は、専門家に任す。……ほら、来た」
「あぅ、確かに」

 二人が視線を合わせた瞬間、俺達は背後からわしっと襟首を掴まれた。そりゃもう犬のよーに。北川も猫のよーに。なんてか、宙吊りにされた時の気分が分か る。

「また馬鹿やってるの、あんたたちは……」

 いつの間に歩み寄っていたのか……俺達の背後には、呆れ顔で部下の襟首引っ掴む女王の姿が。俺と北川の肩の間からにゅっと顔を出し、ハリセン食らわすわ よ? と言わんばかりに視線を吊り上げる。
 美坂香里。相沢ファミリー参謀長にして美坂チームのリーダー、そして俺と北川の手綱役その壱。彼女と秋子さんぐらいにしか、本気の俺達を一人で止められ る人物はいないだろう。……いや、それでも少々力不足か。
 兎も角、逆を言えば本気でない俺達なんぞ、正に赤子の手のよーなもので……」←口に出てる

「ふーん。人が穏便に済ませようって思ってたのに、そーゆーこと言うんだ?」
「あだだだだだだっ! か、香里っ、ちょ、タンマっ……! 首、クビがっ!」
「いたたたたたっ、痛い痛い! 美坂っ、ツボ入ってる入ってるっ! 絶対そこ、なんか死に直結する経絡秘孔ついてるって!?」

 じたばた暴れる俺達の首に、香里の細い指先がめり込んでいた。そりゃもう、えげつなく残虐に……ってマジで痛いイタイイタイっ! はぅあ、け、ケーキが 落ちるっ!

 ひょい。

 ……あ。
 思わずケーキを取り落としそうになった瞬間。まるで狙い済ましたかのように、その箱は一人の少女に取り上げられていた。
 ボブカットの赤毛が揺れる。小柄な身体に不釣合いなほど大きなケーキの箱を抱え込み、彼女──天野美汐は、満足したように一つ頷く。

「……はい、これで懸念事項は回収しました。香里先輩、どうぞご遠慮なく」
「そう? 悪いわね美汐ちゃん」

 物腰優雅な後輩が、俺の手からあっさりとケーキの箱を略奪していった。思わず、首根っこの恐怖も忘れて唖然とする。してやったりと言わんばかりに、楽し そうに笑ってるし。
 ぬぅ、天野。ケーキにしか、救いの手を差し伸べてはくれんのか。

「く、くそぅっ。天野助けてくれ、北川はほっといていいから俺だけでもっ!」
「なにぃっ!? ず、ずるいぞ相沢、俺を生け贄にする気かっ。天野さん頼むっ、こいつは捨てていいから俺だけは救出してくれ!」

 漢の友情は儚かった。
 見苦しくあがく俺達の前で、天野は優雅にふわっと身体を半回転。チェックのミニスカートが浮き上がる。彼女は待機していた舞にケーキの箱を手渡すと、横 顔だけで振り返り、

「お二人とも、カルネアデスの板は似合いませんよ?」

 と、にっこり可愛らしい笑顔で言い放ってくれました。
 ジーザス。
 それはつまり、二人とも死ねってことデスカ? 天野さん、あんた本職の巫女さんがそんなえげつない事、していいとでも思ってるんデスカ……ひでぇ。
 絶望が浮かんだ俺達の表情が面白かったのか、くすくす笑っていた天野は笑みを納めると、しょうがないなと言わんばかりに一つため息。

「仕方がない人達ですね。私よりも先に、後ろのお姉さんに許しを請うべきでしょうに」
「全くだわ」

 唐突に手が離れる。同時に襟を引っ張られ、俺と北川の間をすり抜けて、立ち位置を入れ替えるように香里が正面に姿を現す。髪の毛先が頬を撫で、甘い匂い が通り過ぎた。ロングスカートが舞い踊り、軽やかなステップを覆い隠す。

「ちょっと力を加えただけで、これ? この程度で女の子に助けを求めるなんて、貴方達なってないわよ。教育を間違えたかしら?」
「ぬうぅ……」
「ぐぅ」

 お姉さんぶって笑みを浮かべながら、香里が言う。
 ……いや、むしろ姐さんって感じか。だけど香里、お前俺や北川より誕生日後ろだろう。三月だぞ、三月。名雪やあゆより下なんだぞ。確かに、見た目だけな らこの中でも年上って感じはするが。
 どちらにせよ、俺達も本気で痛がっていたわけじゃないし……最後以外は。
 香里としても、いつものじゃれ合いのつもりなのだろう。ここは素直に平伏しとこうか。

「ううぅ……効いたぁ」

 ……訂正。
 横で北川が青い顔して膝をついている。故意か偶然かまあ後者だろうが、どうもこっちは本気で経絡秘孔にでも極まっていたらしい。
 頼むから、一年後とかに「ひでぶ!」なんて悲鳴をあげてぽっくり逝かんでくれよ、親友。俺はまだまだ、お前を必要としているんだ。

「……ところで、ここにいるので全員か? 名雪は後から来るからいいけど」
「ん? 誰か足りない?」
「佐祐理先輩とあゆさん以外、全員いるはずですが?」
「えーっとぉ……佐祐理とあゆはあゆが転んでずぶ濡れになったから、着替えに行ったわよぅ。で、祐一とあたしでしょ。ここに美汐と舞と香里と北川がいるか ら……」

 ……確かに一人いないな。秋子さんや佐祐理さんのご両親、メイドさん達は不参加だけど、それらを差し引いても後一人、騒がしいお子ちゃまがいない。
 はて? と、俺は首を傾げた。

「栞ちゃんならあそこだ、相沢」

 ……と、北川が指差す先。ホール並みに広い応接間の一面半分を埋める窓硝子から、外を見やりつつため息を吐く、はかなげな表情の少女が一人。
 栞、発見。うん、これで全員確かにいるな。
 しかし……あの様子は一体?

「はあぁー……」

 ……吐息がここまで聞こえてくる。今の騒ぎにも、全然きっぱり気付いてないようだ。
 いつものストールを乙女ちっくな感じで羽織っているあの姿は、なんだか普段の栞らしくないが、よく見掛ける姿のような……

「なんだ、あれは」
「入り込んでるのよ……」
「……栞、またいつもの病気」

 香里がこめかみを抑えて首を振る。同時にぼそっと零れた舞の言葉が、現状を正確に指し示していた。
 つまりあれか。いつものドラマチック妄想癖が発動してるのか。最近、特にシチュエーションに酔うようになってきたからな。

「あぅ……今度はなんなのよぅ」
「いや、それがな。どうやら、『大富豪の一人娘で政略結婚をさせられそうになり、親に好きな人がいると反発したが逆に怒り心頭で軟禁されて、一人寂しくイ ヴの夜に窓から思い人とのデートの約束を思い出して涙する悲劇のヒロイン(この後、挙式まで進んでその式の最中、思い人が彼女を助けに来て父親と結婚相手 との修羅場対決の末、彼と愛の逃避行という展開予定)』に、なりきってるらしい」
「なんだ、その一歩間違えたら佐祐理さんなら出来なくは無いかもしれないが、思いっきりドラマチックかつ少女漫画風なヒロイン像は」

 実際、彼女なら不可能ではない。最も、当の倉田の御当主は影響力の割りにえらく気さくなナイスミドルのおじさまで、間違っても愛娘に政略結婚持ち込んだ り軟禁したりするよーな人じゃないが。
 ついでに言うと、佐祐理さんが政略結婚させられそーになったりしたら、俺が許さん。舞も許さん。二人して相手闇討ち斬り捨て御免の上、コンクリ詰めにし て日本海にドボン、だ。

「事細かに一人で語りつつも、自身の紡ぐ物語に陶酔し没頭していきましたが」
「間近で見てた。栞が戻れない所まで沈むの」
「おぅ、まるで実際のTVドラマのシナリオを演じているかのよーに、脳内テレビ放送を展開させていたぞ。ちなみにさっきの括弧閉じは、そこに至るまでの経 緯から推測した来週のあらすじ、ドラマアレンジ済み、だ。たぶん、そろそろ予告編辺りに入ってるんじゃないかと」

 こら三人とも。それは途中で止めとけ。引きずり戻すの、後になればなるほど厄介なんだぞ。

「そ、そこに沈む前に誰か引っ張り戻しなさいよぅっ」

 ほら、まこぴーだって思わず突っ込むぞ、そんなんじゃ。

「……無理よ、真琴ちゃん。あの子は人の話なんて、これっぽっちも聞かないんだから」
「豪邸でクリスマスパーティーなんて、普段はありえないシチューションですからね。これ幸いとばかりに、リアルなお嬢様ヒロイン像を補強しているのでしょ う。栞さんは想像力豊かですから」
「大邸宅に住む深窓のご令嬢か……ま、女の子なら一度は憧れるもんだろーな」
「あぅ……は、反論出来ないぃ」
「……確かに。私ですら子供の頃に夢見た事がある」
「てか、だからそれはまんま佐祐理さんの事だろーが」

 件の病弱ヒロイン(元)こと美坂栞が『還ってくる』まで、あと五分はかかりそーだった。





 余談。

「今次回予告ってことは、エンディング曲も終わってるんだろ? 次のCMでなら、声かけて栞をこっちに引きずり戻せるんじゃないか?」
「いや、そりゃ無理だ相沢。本編の後におまけコーナーがある」
「それはまた、えらい凝ってる番組構成だな……一時間ドラマの連載じゃないのかよ」
「普段はそうだが、なんと剛毅な事に次回は年末特番で二時間スペシャルだ。しかも番組最後にプレゼント付き」
「あー……そりゃいかんな。どうするかな」
「あんた達。人の妹が脳内で流してる番組を、さも見てきたかのように語らないでちょうだい」


















「お待たせしましたー、みなさん…………ふぇ?」
「みんな、ごめーん。超特急でまだあつあつのアップルパイをお届けだよっ……あれ?」

 おぅ、救いの声。

「あら名雪、到着したのね」
「佐祐理さん、ご苦労様でした」

 混沌としつつあった場は、新たなる登場人物の入場で急速に本来の姿を取り戻す。ましてや、ほのぼののんびり癒し属性の佐祐理さんと名雪だ。その効果は絶 大なものがあった。
 その雰囲気に後押しされて、俺は栞の表情を観察し、頃合を見計らって呼びかけを行ってみる。

「おーい栞ぃー、戻ってこーい」
「……あれ? 祐一さん、いつの間に来たんですか?」
「うむ、お前が脳内ドラマの予告を見ていた辺りから」
「えうぅ!? ひ、ひ、ひひひ人の頭の中身を勝手に捏造しないでくださいっっっ!!」

 捏造違う、絶対事実だ。
 引きつりどもりまくった栞の顔を見て、俺は北川の推測していた脳内番組の実在を確信した。

「……うぐぅ?」





 さて。
 栞も戻ってきたし、名雪も来て全員揃ったし、そろそろパーティーを──
 と振り返った瞬間、おずおずと入り口から顔を覗かせ、ちょこっと恥ずかしそうに入室してきたソレを目撃し、俺は硬直してしまった。

「……ちょっと待て、うぐぅ。ソレは一体、なんの真似だ?」
「うぐ、メイドさん……」
「わー、あゆちゃん似合ってるよー」

 いや名雪、着目すべきはそこじゃないだろ。
 皆の前に姿を見せた元・濡れネズミうぐぅこと、月宮あゆあゆ。佐祐理さんに替えの服を貸してもらい、しっかりと着替えを果たしてきたはずの彼女は、何故 かメイドさんになっていた。
 いつものカチューシャこそ乗っかってるものの、黒いワンピース一体型ロングスカートといい、白いエプロンといい、カフスといいリボンといい……

「ぬぅ、メイドさんだぞ相沢。しかも本物ではなくてコスプレ風味」
「あぁ、俺も確認してる。おまけにどじっ子だ」
「ゆ、祐一くんも北川くんも、なんで珍しいものを見る目でボクを見るのっ!?」

 いや、そりゃ珍しいだろ。メイド服自体もそれなりにだが、中身がこの家に勤めてる本職さんでなくて、仲の良い女友達って点辺りが。確かにコスプレっぽい し。
 どっちかってーと喫茶店のウェイトレスのよーな気も……いかん、それなりに萌えそうだ。
 お盆持ってちまちま歩き回って、時折「うぐぅっ」って悲鳴あげて転ぶウェイトレスさん。なんか、お客に愛されそうなどじっ子ぶりが、さりげにポイント高 いかも。
 ……なんでこんな事考えてんだ、俺は。

「あぅ。それで、なんでメイド服なの?」
「佐祐理……?」
「あ、あはは……それが、やっぱりお洋服のサイズが合わなかったんです。それで、うちのメイドさん達の中で、一番小柄な方の予備の制服をお借りしまし たー」

 一番ちっこい倉田家のメイドさん……ああ、吾妻(あがつま)さんか。あの人のなら、確かにあゆのサイズにもちょうどいいか。あゆよりも何センチか低いっ て言ってたし。……胸も、薄いし。

「……なんだか、ボク以外の人にも物凄く失礼な事を言われた気がするよ」
「テレパシストか、お前は」





 和・洋・中華、全く統一性のない数々の品が大テーブルに居並び、集う。定番のケーキにローストチキンから、点心や杏仁豆腐に至るまで、まるっきり節操の ない取り合わせ。量も洒落で済まないほどに多く、それこそ全員でも食べきれるかわからない。
 だが、むしろ俺達らしい。
 似たような事を考えたのか、幾人かの顔に俺と全く同じ、微かに苦笑混じりの笑みが浮かぶ。
 今宵はなんの遠慮も無い。気心の知れた物同士、飲んで食べて騒ぐだけの長い宴。この一年、様々なことを乗り越えてきた俺達の、締め括りともなる祝いの 席。
 既に鐘は打ち鳴らされた。名雪へと皆がプレゼントを渡し、残るは開幕を待つだけの短い合間。
 そして。

「さて……それじゃ、みんな食って飲んで騒ぐぞぉ!」
「それではっ、クリスマスパーティーをはじめましょーっ」
『おーっ!』

 俺の宣言と佐祐理さんのほんわかした声を皮切りにして、パーティーが幕を開いた。



 早速物凄い勢いで目の前の料理群にかじりつく舞、一番大きなタイヤキ皿に手を伸ばすあゆ、リットルサイズの保冷ボックスからバニラアイスを山盛りにする 栞、イチゴゼリーとイチゴムースとイチゴサンデーを俺の前から掻っ攫う名雪……まあ、この辺りはいつものパターンか。

「あぅ、これおいひぃ」
「む、ほんとだ。……おっ。真琴ちゃん、これもいけるぜ」

 珍しくも肉まんからではなく、手近の皿にずらり並んだ幾種もの点心らしきものを頬張る真琴。しっかり自身の分の肉まんだけは確保しているが、どうやら今 日は好物のみにこだわっていないようだ。カレーまんとかピザまんっぽいのも混じってるし。
 よし真琴、個人的に他の好物星人達よりもポイントアップだ。後でスタンプもサービスしてやろう。
 その横で同じく口いっぱいに点心を詰め込んだ北川が、軽くすすったスープに目を見開いて、大きな深皿から掬っては回りに配り始めている。一口目でかなり キたらしいが……って、そりゃフカヒレと違うか、おい。こら北川、早く俺にも配れ。俺も飲む。

「んー♪ このシャンペン、おいしぃー」
「ええ。この口あたりといい、喉越しといい……本当に絶品ですね」

 香里は香里で珍しくも上機嫌。シャンペンの王様、ドンペリ抱えてご満悦だ。普段と比べて随分と言動が子供っぽくなっているのは、気が緩みきっている証拠 だろう。
 隣の天野もご相伴に預かっているようだが、彼女のもう片手は秋子さんからのお届け物である、アップルパイを摘まんでいる。あいつ、そういや前家に遊びに 来た時に気に入ってたな、あれ。

「はぁ……幸せです」

 おばさんっぽく……ではない、思いっきり女の子っぽく、幸せですオーラが全開。一切れ口に運んでは目元を緩め、珍しくもにっこり笑顔。ううむ、普段表情 をあまり変えない天野を、あそこまで骨抜きにするとは……秋子さん特製アップルパイ、恐るべし。
 そして、そんな皆の様子を観察しつつ、ピリッとジューシーなフライドチキンを骨まで齧り尽くす態勢の俺の傍らで、佐祐理さんはにこにこ満面の笑顔でメイ ンディッシュの一角、秋子さん特製のクリスマスジャンボケーキを上品に口に運んでいた。

「はむ、はむ…………はうぅ。おいしいですねぇ」

 あ、すっげぇ幸せそうだ。一口ごとに堪能、って言葉が背後に浮かんで見えるくらいに。
 あのケーキは秋子さんの渾身の作品だ。ふっくらとしていながら程よい硬さと相反する柔らかさを併せ持ち、生地にはたっぷりのブランデーと瑞々しいイチゴ やブルーベリーをどっさり、生クリームも蜂蜜を混ぜて一から作り上げた特製品。デコレーションのチョコですらカカオ豆から作ったというから、秋子さんの超 人ぶりをますます不動のものとしている。
 その口当たりはとろけるようで、口内で文字通りふわっと溶ける甘味と果物の酸味、そこに絡め合わされるスポンジの酔い心地と言ったら……甘い物が苦手な 俺の嗜好すら吹き飛ばす、絶妙な味加減だった。……何故味を知ってるかと言うと、味見を頼まれたからだ。
 ともかくも、全員楽しそうに笑っている。その様子を見て、俺も思わず笑顔を零す。

 ……この笑顔が、好きだった。
 この笑顔が好きだからこそ、気に入ってしまったからこそ、俺はあの冬、全てをかけて走り出したのだ。
 負い目もあった、過去の負債もあった。だけど、そんなもの全てを背負い込んでも、尚。
 俺は、彼女達の笑顔が好きだった────
 だから。
 走り抜けた冬の季節。たった一ヶ月の、長い長い夢物語。今は遠い、奇跡のお話。
 その結果が、ここにある。

「……どうぞ、祐一さん」

 つと。
 何気なく伸ばされた手が、目の前のグラスにシャンペンをそっと注ぐ。
 声をかけられて初めて、物思いにふけっていたのだと気付く。
 少しだけ見下ろすように俺を見つめる佐祐理さんの瞳は、ただ黙って俺を包んでいて。

「……はははっ」
「ふふ……」

 意味もなくおかしくなって、悲しくもないのに涙が浮かびそうになって。
 俺は彼女が注いでくれたピンク色の液体を、ぐっと一気に飲み干した。























 さあ、今夜はクリスマス・イヴ。難しいことはなんにもない。ただ楽しく食べて歌って騒ぎまくれば、それだけできっと幸せだ!
 ジーザスだろうがなんだろうが、真実は既に時の彼方。特別でないただの一日。だけどそこに皆がいれば、ただそれだけで嬉しくなる。

 さあ謳おう! 星降る夜に古い歌を、雪降る窓辺に新しい歌を。ただただ謳おう、クリスマス・ソング!!



















「では、不肖このわたくし北川潤、ここらで余興を行います!」
「わ〜ぱちぱちぱち」
「おーっ、やれやれ〜ですっ」

 背の低いテーブルを一つ持ち出して、北川が前口上を並べている。わざわざその前にソファーやらクッションやらを運び込んで、程よく酔いの回った栞達が騒 いでいた。

「さてさて、ここに取り出しましたるは一組のトランプ。本日購入したばかりの新品です。お嬢様方、どうぞお確かめあれ」

 はい、とあゆに渡されたトランプに、皆の視線が殺到する。

「うぐ、包装紙はちゃんと付いてるよ」

 びりびり、ぺりっ。

「ふーむ、中身も確かに開けた形跡はありませんね。テープもしっかり付いてます」
「うん、未開封よね」

 トランプケースを包んでいた紙を破り、中身の確認を取る栞。何処も異常はないらしく、隣の真琴にも見せたりしている。

「はいはい、確かめ終わったらこっちへ返して。……ほい、それでは、これから一つ簡単なマジックを──」

 プロ顔負けの鮮やかな手付きで、トランプを切り始める北川。ほとんど手品の興行だ。見れば場に呑み込まれたか、最初からいたあゆあゆまこぴーしおりんに 加えて、名雪と舞も北川の手元を覗き込んでいた。

「北川さん、すっかり乗っていますねぇ」
「あー。手品はあいつの二十七個の隠し芸の一つだ。本気でプロ並だから、見てて損はないぞ」
「あたしは今回はパス。前にも結構見せてもらったし」
「ああ、教室でやっていましたねー。佐祐理も舞と一緒に見せてもらった時ですね」

 こちらは俺と佐祐理さん、香里、天野のブレーキ役三人娘。北川の興行を遠目に見つつ、スローペースでドンペリ始め各種アルコールと共に、果物の類を楽し んでいる最中だ。
 しゃりしゃりしゃりと、佐祐理さんが楽しそうにリンゴの皮を剥いている。顔が真っ赤になっている天野は、もうかなり酔っているんだろう、目付きがだいぶ とろんとしていた。

「はふ……気持ちいいでしゅ」

 おーいみっしー、語尾が変だぞ。幼児退行してないか?





「──はいっ、この通り! ダイヤの7は確かに真ん中に入っていますね?」
「ん、間違いない」
「うん、真ん中にあるね」

 北川が鮮やかな手つきで広げたトランプの束。その真ん中近くの一枚を確認して、頷く面々。したり顔で頷くと、北川はさっと広げたトランプを端から掬うよ うにして束に戻し。

「ところがっ、わたくしめがこう一つ指を鳴らすだけで──」

 ぱちんっ。……ぴらっ。

「この一番上に、ダイヤの7が来ているのです」
「わわっ、ほんとだよっ!?」
「……凄い」
「あぅーっ、ど、どうやったのよぅ北川ぁ!」

 騒ぐお子様トリオの反応に、北川は満更でもなくにやり笑い。

「はっはっは、それは秘密だ皆の衆。タネがばれちゃつまらんでしょーが」
「うー、北川君もう一回っ。わたし、今度は見破ってみせるよっ」
「ぼ、ボクもっ」
「えぅー、私もですっ」
「ふっふっふっふ……よかろう。ならば今度は、水瀬達の手でカードを選び、戻し、切り、確認してもらおうではないか」
「……今度は、タネを見抜く」
「うー……一体どうやってるのよぅ」
「それじゃあ、まずはトランプをバラバラに混ぜて──」

 北川のマジックは、かなりの好評のようだった。





 しばらくして。
 おなかいっぱいになったお子様トリオが、次々とソファーやクッションに崩れ落ちる中、俺は一人床に突っ伏していた。

「……祐一、新しい遊び?」
「じゅいぶん奇抜な遊びでしゅねぇ」
「なんでそうなる。助けろ舞、美汐」

 大の字になって床──と言っても、毛足の長い高級そうな絨毯だが──に突っ伏す俺を見下ろして、ぼそり呟く舞。

「助けるの?」
「ああ。具体的にはこのどら猫をどかしてくれ」
「うにゃーん。ごろごろ〜」

 うつぶせのまま、なんとか顔をあげる俺の上、腰の辺りにどっかと座り込んで完全猫化しているのは、我が従姉妹殿。北川の手品見物中からかぱかぱ飲みま くっていたこいつは、実は絡み上戸だ。酔いが一定を越えるとこうなる。さきほどそのラインを踏んだ名雪は、泥酔状態で俺に飛び掛り、そのまんま後はこの状 況だ。
 ああ……毛づくろいをしている名雪の耳にネコミミが見える。ありゃ、さっき北川が渡した誕生日プレゼントか。まさか本当に猫化する代物だったとは……恐 るべし呪いのネコミミ!
 ってか北川、んなもん持ってくんな。俺に被害が及ぶから。
 と俺が愚痴る友は、いつの間にやら向こうの床に仰向け大の字。その傍らで飲んでるかおりんさゆりんに付き合って、迂闊にも一気にウォッカあおってばたん きゅーだ。
 あの二人、見た目からは想像も出来ないほどの酒豪だったりする。
 まあ、それはいいとして。

「とにかく、こいつをなんとかしてくれ二人とも……」

 ため息を吐いたその時、俺は異常な気配に気が付いた。慌てて目線をあげた先、チェックのミニスカート姿の天野の太腿から上にピンクのストライプが……っ てそうじゃない、妙に熱っぽい二対の瞳が。
 ……ってちょっと待ってクダサイ川澄さん。何故にきらきらした瞳でこちらを見ていらっしゃるので? あの美汐サン、貴女までそんな羨ましそうな眼でこっ ちを見つめて……も、もしかして酔ってませんか? 気のせいでなければ、かな〜り顔が赤いのですが? ←冷や汗だらだら

「む〜……わらしもぉ、お邪魔しても、構いましぇんよねぇ〜? うふふふふ……」
「ちょ、ちょっ待……うぶっ」

 ぐあっ!? な、なんで俺の頭を抱え込んでくるみっしーっ!? あ、こらっ。フトモモを肩に押し付けるなっ。さっきのストライプに首筋が触れっ…… ぐぁっ、ふにふにがっふにふにがぁっ!?

「楽しそう……私も遊ぶ」
「!? もがもがっ!」
「ぁんっ。あいざわしゃん、しょんなとこで動いちゃ……」
「……っぶはっ! こ、こら待てまいっ。お前まで乗っかってくんなっ、さすがに三人はいくらなんでも重たっ……ぐぇ」
「うにゃあ……ふみぃ」

 名雪の鳴き声を聞きながら、遂に俺は沈黙させられた。いかん……このままだと、脱出できるのは他の誰かが気付くか、こいつらが酔い潰れ寝こけて力が抜け た時になってしまう。そりゃ天国だ、いや違う地獄だっ、ああやっぱ極楽かもっ。
 だ、誰か助けてぷりーづ! やーらかくて気持ちいいけどこの状況はいやーっ!!

 結局。
 三分後、ほろ酔い気分の処でようやっと事態に気付き、酔いをすっ飛ばして慌てたさゆりんかおりんコンビに掘り起こされた頃には、俺の躯はしっかり弾力の ある肉布団の感触に慣れてしまっていた。……ってか、首筋吸われたよ、天野に。キスマーク残ってんじゃないか、この感じだと。佐祐理さんも香里も、複雑そ うに顔引きつらせてたし。

「むにゃ……くぅ……あいじゃわ、しゃん」
「すー……わたし、らっきょも食べれるもん……」
「……………………すぅ」

 当の本人は、名雪と舞も巻き込んで幸せそうに寝てました。





 酔い潰れた皆に毛布をかけて歩く。佐祐理さん、香里と手分けしてそれを行い、全員が終わると俺達は一息ついた。
 ……ふぅ、やっとひと心地ついたな。
 パーティー会場は、ある意味燦々たる有様だった。別に物が壊れたり汚れたりしている訳ではないが、そこかしこに転がる食の野獣(他)どもの姿が、俺にそ んな感慨を抱かせる。

「ぅぐ……ひどぃ、ょぅ……ゅーい、ちくん……」

 寝言でまで俺の心を読むな、あゆ。結局一人でタイヤキ食い尽くしたお前は、如何なる蔑称だろうと逃れられんのだ。いくら好物でも、独り占めは良くないん だぞ。

「ふぁ……」
「ん? 香里、眠いのか?」
「んー……さすがに、深酒し過ぎたかも。ごめん、あたしもちょっと限界……」
「香里さん、こっちのソファーが空いてます。少しお休みした方が」
「ええ、そうします……」

 見れば、香里の目がとろんとしだしている。さりげに色っぽいが、ちょっとふらつく身体を見てると心配だ。

「大丈夫か、香里。足元おぼつかないぞ。なんだったらおにーさんが添い寝とか膝枕とかしてやるが」
「ふふっ……それも悪くない、けど。今回は遠慮しておくわ……あたし、抱きつき癖があるし」

 むう、それは俺的には大歓迎なのだが。あ、でもそうか。ソファーじゃまずいか、転げ落ちるかもしれない。いや、だがしかし……駄菓子菓子っ。
 唸る俺が面白いのかくすっと微笑んだ香里は、いつもは見せない艶のある笑顔──しかも酔っ払って真っ赤な頬──で俺の横を通り過ぎる。と、過ぎざまに軽 く頬に熱く濡れた感触。

「か、かおりっ」
「くすくす……おやすみなさい、相沢くん」

 香里は再び艶やかに微笑んで、佐祐理さんが勧めてくれたソファーでこてんと横になった。

「…………(真っ赤)」
「……む〜」
「……はっ!? さ、佐祐理しゃんっ!?」
「祐一さん、顔がにやけてます」
「い、いやそんなことは……」

 いつの間にやら、頬っぺた膨らませてこちらをじーっと見つめていた佐祐理さん。しどろもどろの俺に対し、鋭い指摘。
 ぁ、あぅあぅ……

「………………くすっ」

 おたおたする俺を見て、可愛らしくむくれていた佐祐理さんの表情が一転。なにやら楽しそうに笑った後、なにか思いついた調子でぽんっと手を打つ。

「仕方ありませんねー、佐祐理も『コレ』で、いいですよっ」
「……へ?」

 ちゅっと再び、今度は香里にされたのとは逆の頬に、熱く濡れた唇の感触。一瞬呆然となった俺の横から優雅に離脱し、佐祐理さんはにっこり笑って背を向け た。

「あははー、お姉さんはいいこと思いついちゃいました。祐一さん、しばらくここで待っていてくださいねっ」
「え? 佐祐理さん、ちょっ……」
「ここは先にお片づけして貰えるように、行きがけにお願いしてきますからー。祐一さんはここから動いちゃダメっ、ですよ」

 スカートを翻して半身だけ振り返った佐祐理さん。顔の前に人差し指立て、めっと命令。ウインク一つ投げてよこし、それからぱたぱたと部屋を出ていってし まった。

 一体、なんだろうか。何気に不安だ……

 何故か落ち着かなくなった俺は、とりあえずソファーに座り、佐祐理さんの帰りを待つことにした。

「うぐぅ、もう食べられ……」
「……ぅー……キライ、ですぅ……」
「うーん、うーん、ぴろぉ〜……」
「…………………………くぅ」
「うにゅ……にんじん、だって……食べれるよぉ」
「すやすや……」
「ん、すぅ……すぅ……」
「ぐかーっ、すぴー」

 ……こいつらを、見守りつつ。





 十五分後。

「ふ……風が冷たく身に沁みるぜ……」

 持ち出してきたサラトガクーラ(ノンアルコールカクテル)をちびちびやりつつ、俺は一人ごちる。
 空には月。雲間から覗く淡い月光。弱々しい光だが、外の暗闇は積もった雪に反射されたその月明かりで、ぼんやりと照らし出されている。
 ここは、パーティーの舞台である応接間から続くバルコニーテラスだ。
 いつのまにやら現れて、てきぱきと片付けを行う美樹さん達メイドさんずにその場を任せ、俺はバルコニーから外へと出てみた。……仕方ないだろ、俺が片付 けしようとすると、大きな物音立てちまって天野とか舞とか起こしてしまいそーなんだよ。ちょこちょこ動き回ってた吾妻さんに「祐一くん、キミ邪魔」って宣 言されたし。美樹さん、胸揺らすほど大きく頷くし。あれはでかいよな、うん。
 ……思考が変な方向に逸れた。
 ともかく、どういう技術なのか全く音を立てずに後片付けを行うメイドさんずに、極めて穏便にその場から放逐された俺は、バルコニーで月見酒と洒落込みつ つも、十二月の冷たい夜風を浴びていたのだ。まあ、深酒して火照ったこの身には、このくらいの冷たさも心地よいが。
 と。
 しゅっ、しゅ……と、静かな衣擦れが聞こえてきた。それに微かながら混じって聞こえる、この足音。皆を気遣ってか極力音を立てないようにしているが、こ の足音の持ち主は当然、一人だけだ。
 予想通り、背後まで来たその主は、朗らかな声で俺を呼んだ。

「お待たせしました、祐一さんっ♪」
「を……?」

 振り返り、俺は素で驚きの声を零す。
 佐祐理さんはなんと、腰を絞った白いドレス姿だった。しかも、ただのカクテル ドレスじゃない。両肩を出して首筋から続く白雪のような素肌を剥き出しにし、胸元を強調して形の全く崩れない双丘を半分以上露わにし、揺れ動く薄めの布地 を肩から羽衣のように纏った、おそらくはオーダーメイドのホワイトドレスだ。腰からふわりと広がったスカート部分は膝上何センチというくらいに短く、代わ りに肩から背中を覆っている薄布が、足元まで大きくウェーブを描き取り巻いて、斬新なデザインのスカートとなっている。……切れ目のあちこちから、佐祐理 さんの艶かしい生脚が垣間見えた。
 脳髄に血が昇った。えげつないほどに容赦なく。
 白髭のサンタ爺さん、貴殿に最大限の感謝を。俺のクリスマスプレゼント、中身付きで用意してくれてたんですね。
 思わずくらっときた。そりゃもう、心臓鷲掴みにされてぐりぐりされたくらいによろめいた。
 佐祐理さん、素敵過ぎ。めっさ可愛いーです、最強無敵に綺麗です、べりーべりーびゅーちほー!




しゃむてぃるさん謹製「くりすますさゆりん」です



「あの……ど、どうでしょうか? 露出度が多めなので、ちょっと恥ずかしいんですけど……祐一さんにご披露する為に、着てみました」
「最っ高です、佐祐理さん。歯の浮いた台詞並べ立ててお持ち帰りしたくなるくらいに」
「ぁ……あはっ、ありがとうございますー」

 ぽんっと可愛らしい音を立てて貌を真っ赤に染めた佐祐理さん。物凄く嬉しそうに、ちょっぴりはにかんだ艶やかな笑顔になってくれた。
 ……いや、マジで破壊力高すぎ。致命傷負った、一瞬で。

「いやー……本気で何処の王女様かと思いましたよ。佐祐理さん、本物のお姫様みたいです。プリンセス・ブラボー!」

 意味不明だ、俺。
 だけども佐祐理さん、俺の捻り曲がった言葉でも中に込められた感情は理解してくれたらしい。ますます照れた笑みが深くなる。

「ふふふ……お褒めに預かり光栄です、祐一さん」
「あー……いやぁ……」

 しばし、沈黙が落ちる。
 雪積もる月下に、まるで雪の妖精のような白いドレスの姫君と二人。これほどの場面は、そうそうない。
 おもむろに、俺は持ってきていたもう一つのグラスを、そっと彼女に手渡した。
 佐祐理さんはそのグラスを手に取ると、静かに掲げてにこり笑う。
 それに合わせるように、俺の手のグラスが掲げられ……
 チン、と。澄んだ音を立てて乾杯の音色が響いた。





 ただ静かに、黙り込んだままグラスを傾ける俺達。ごくごく自然な互いの距離、自然な呼吸、自然な……静寂。
 なにもかもが、調和したかのように心地よい世界。
 しばらくして、ふと独り言のように、佐祐理さんの唇から言葉が流れ出た。

「良い夜、ですね」
「佐祐理さん?」
「舞がいて、名雪さんがいて、香里さんがいて、あゆさんがいて、美汐さんがいて、真琴さんがいて、栞さんがいて、北川さんがいて……」

 一拍。

「……そして、祐一さんがいる」

 こちらを向いた佐祐理さんの瞳には、言葉では言い表せないほどにとても美しい光が、宿っていた。

「みんなで居ると、楽しいです。私も、本当に楽しくて……」

 胸元で、祈るように組まれた手。白いレースの長手袋に包まれたその手が、何か大切な物を捧げ持つかのように、差し出され……俺の手を、そっと包んだ。

「なによりも……今、私の目の前に貴方がいる。それが、こんなにも……嬉しい、です」

 柔らかく、弾力がある双丘の間に、手が導かれた。ふに、と指が沈み込み、押し返される。ぬくもりのある素肌から、とくんとくんと鼓動が伝わる。やや早足 に、けれど急かすようではなく、脈動に乗せて彼女の心を送るように──
 この場には、俺と佐祐理さんだけだった。二人だけで、静かに過ぎ去る夜の中にいた。

「……大好き、です」
「佐祐理さん」
「私は、貴方が好きです。他の誰よりも、なんて自惚れは言いません。でも、貴方の心を独り占めにしたいと考えてしまうくらいには……貴方に愛してほしいと 訴えるくらいには、きっと貴方の心に、囚われてしまっています」

 これは、告白だ。佐祐理さんの、精一杯の告白だ。
 だけど俺は、まだ答えを出せていない。誰にも、答えを出すことが出来ない。
 相沢祐一は、まだ誰も選べない──

 そんな俺の感情が表に出たのか──まるで色が塗り変わるように、佐祐理さんが少しだけ笑顔を見せて、声に出して笑った。

「ふふふ……そんな顔しないでください、祐一さん。今すぐ返事をください、なんて、野暮なことは言いませんよー。色々、内心を打ち明けちゃいましたけど、 結局は佐祐理も、今のこの状態、気に入っているんですから」

 しょうがない人ですね、と。そんな顔されたら急かす事も、私を選んで、と言い寄る事も出来ないじゃないですか、と。
 色々なものが入り混じった、だけどひどく好意的な笑みを零す。

「きっと……みなさん、やっぱり佐祐理と同じだと思いますよ。もうちょっとだけ、できればもっともっと、祐一さんと皆と一緒に居たいって」

 わかる。それ以上言わなくとも分かる。だってそれは、俺も同じだから。
 もうしばらく。もうちょっとだけ。……だけど、出来うる事なら、もっとずっときっと。
 この仲間達と一緒にいたい。
 このままのカンケイで、ずっと一緒に……
 それが、佐祐理さんの出した答えか。そして、俺の望む答えか。
 なんて都合の良い答え。だけど、みんなが望む答え。
 俺達の関係は空白の猶予期間(モラトリアム)。いつかは終わる、けれどそれは今じゃない。
 それで……きっと、いいはずだ。

「だから、今日のお話はここまでです。あともうちょっとだけ付き合ってもらえたら、またいつもの皆に元通りします。ですから、それまで……ほんの少しだ け、私一人の祐一さんで居てくれませんか?」

 震える指先が添えられた手。そっと離されたその手に、未だ彼女の鼓動が残る。微かに不安そうに、喜ばしそうに、悲しそうに、嬉しそうに……複雑に潤んだ 双眸が、お願い、と囁いた。
 だから。

「ああ……承知いたしました、お姫様」

 敢えておどけるように、俺は一礼してみせた。
 貴女に感謝を。優しい時間を壊してしまうかもしれない一歩を踏み出して、だけどこの泡沫を壊さないよう、想いを伝えるだけで仕舞い込んでくれた貴女に感 謝を。そして、その小さな勇気に、静かな意志に万感の敬意を表して。
 今宵、今だけ。俺は貴女の物となろう。

「それでは……せっかくのイヴの夜だ。一曲踊っていただけますか、佐祐理姫?」
「……はい、喜んで!」

 差し出した手を取り、佐祐理さんが破顔した。





 口ずさむは聖誕歌。きっと今、世界の何処かで誰かが謳う。楽しげに、嬉しげに。俺達もそれに乗ろう。何処までも歌い、踊ろう。

 そして雲は空を覆う。薄く、儚く。何処までも高く、その高みから祝福を撒く。

 降り始めた粉雪の下、俺達はゆっくりとステップを踏み始める。抱き合うように、暖めあうように。まるでこの世界に、二人以外何もないのだと言わんばかり に。

 今宵、全ては雪の中。白い世界に、浮世も境界も溶け消えて。ただただ俺は、佐祐理さんの手を取り踊る。引き寄せられた腰が、密着した胸元が心地よく、そ のぬくもりにいつまでもすがっていたいと……

 いつしか、わずかばかりの雪は降り止んで。雲間から射し込む月下に二人。抱き合ったまま、白い吐息を吐く。



 佐祐理さんが顔を上げる。火照った頬には朱が散り、切なそうに瞬きが二度、三度と。頤(おとがい)が逸らされ、わずかに上を向いて……潤んだ双眸が、 そっと閉じた。
 それに合わせて、俺も背を屈め……



『ん……』



 甘い香りが鼻腔を擽る。ふわりと柔らかな、ぬくもりを触れ合わせるような感触。
 聖夜の祝福は、愛しい女神の口付けだった──

<終>


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