はぢめてのおんせん



「ゆーいちパパぁー、さゆりママぁー。はやくはーやーくーですーっ」
「はーい、今行くからねー」
「元気だなぁ……」

 ぱたぱたと暑い日差しの中へ飛び込んでゆくさゆりちゃんを見守りながら、俺と佐祐理さんは駅の改札口を潜り抜けた。

「ふぅ、着いたか……」
「隆山温泉郷、到着ですね」
「ん、なかなかいい感じだな」

 眩しさに目を細めて見上げると、青く澄んだ空の真ん中に初夏の太陽。遠く隆山の山並みが、大気に揺らぎざわめいていた。

 さて……状況が掴めるだろうか?
 俺は相沢祐一、とある北の街の大学院生だ。連れの二人は五年来の友人兼、何故か周囲からは半ば公然の奥さん扱いされてしまっている倉田佐祐理さんと……お隣の折原さんちの次女、折原さゆりちゃん(六才)。
 一見すると他所様の家庭の娘さんと旅行する理由などなさそうな俺達が、何故三人連れ立って温泉などに来ているのか……それらはまあ、前回を参照してそこから事情を察してくれ。えらい昔の事のような気がするのだがな(苦笑)。


 ……で、状況は読めるようになったか? なら、話を進めるぞ。
 今回の旅の目的地はここ、隆山温泉。日本海に面する名高い温泉郷だ。そこの中でも最高のグレードを誇る旅館が俺たちの逗留する所になるらしい。……やば、さりげに楽しみでしょうがない。日本人のご多分に漏れず、俺も温泉は大好きなのだ。

「祐一さん、どうしました?」
「あ、いやどんな旅館に泊まれるのかなーっと……」
「ふふ、もうすぐですよ、楽しみにしててくださいね」
「さゆりもわくわくしてるですーっ」
「佐祐理さん、来たことあるの?」
「はい、だいぶ昔ですけどねー。わたしの個人的な評価ですけど、とても雰囲気が良くって。温泉は広いしお料理もおいしいし……とっても良い所でしたよ」
「へぇ」

 佐祐理さんがそこまで言うってことは相当なんだろうな。高級ホテルなんて見飽きてるだろうお嬢様お薦めの宿……俺的には風情がある露天風呂とかあったりすると、もうそれだけで高評価なんだよな。

「さゆりままっ、おっきなお風呂はありますかー」
「ふふっ、すっごくおおきいお風呂があるからねー。露天風呂とかもこーんなにおおきいんだから」
「わーいっ、楽しみです!」

 両手をあげてばんざいするさゆりちゃん。ぱっちりした瞳にきらきらと星を輝かせて、それはそれは物凄いはしゃぎようだった。
 やー、この笑顔だけで一緒に来た甲斐があったかもな。


 のんびりと歩いてもせいぜい数分。駅からほど近い場所に、鶴来屋本館は佇んでいた。

「わーっ、おっきいですーっ」
「あっ。さゆりちゃん、走っちゃダメ。転んじゃうからー」
「だいじょぶです。さゆりはこー見えてもうんどーしんけーばつぐんなんですっ」

 コツはずっと前に掴みましたよー。とか言いながら、ワンピースを翻してさゆりちゃんは軽やかに駆けてゆく。

「……誰かさんみたいな台詞だな」
「あははー……だ、誰の台詞でしたかねぇ……」

 俺の呟きに、佐祐理さんが苦笑する。頬っぺたにつぅっ……と汗が流れて見えたのは、多分気のせいじゃないだろう。
 ていうか、走り方のコツってなんだ?

「さて、と。ここが三日間お世話になる宿か。さゆりちゃんじゃないが……確かにでかい」
「はい。鶴来屋旅館──北陸最大の観光企業グループ、鶴来屋の本拠ですよ」
「はぁ……こんなトコのチケットが手に入るなんてなぁ」
「さゆりちゃんの……いえ、わたし達三人分の運の賜物ですねぇ」

 それ以前に、こんな特級旅館の宿泊チケットが取れるうちの地元の商店街が侮れん。さすがは最強主婦、水瀬秋子さん御用達。
 ……時々人外の娘どもがうろついてるしな(たぶん関係ない)。


 エントランスに入って辺りを見回すと、さゆりちゃんは既にロビーカウンターの手前にいた。

「ゆーいちパパ、さゆりママぁ。はやくですー」
「おー、ちょっと待ってくれさゆりちゃん。……佐祐理さん、チェックインは?」
「はい、わたしがカウンターに行ってきますね」

 今にも「探検ですっ」とか言って飛んで行ってしまいそうにうずうずしているさゆりちゃんの手を握り、先にチェックインを済ませる。

「すみません、三名で予約しているくら……あ、相沢なんですけれど」
「はい、少々お待ちくださいませ」

 さっと頬を染めた佐祐理さんが、何故かどもりかけた。
 やりとりが聞こえた俺も、思わず顔が赤くなる。

「ぱぱ?」
「い、いやなんでもないよ」

 ……佐祐理さんが倉田と言いかけて、相沢と言い直した時の心境が手に取るように分かってしまった。うぁー……め、めちゃくちゃ恥ずかしいぞこれ。
 今の俺達三人は、若夫婦と可愛い一人娘という設定なのだ。確かに、姓もバラバラな男女と小さな子供が宿泊したら不審に思われるけどさ……だからって、親子連れを装えってのは実の父親の意見としてどうよ、折原さん? や、確かに俺達親子として見ても全然違和感ないのが恐ろしいところですけども、なんで娘さんと一緒ににこにこ楽しそうにしておられますか折原婦人? それと秋子さん、何故に写真を撮るので? そろそろ良い頃合でしょうから姉さんにも送って先方と日取りをとかって、一体何の予定を立てていらっしゃるのか。ちょっと待て栞、なんだその呪い殺せそうな視線。幸せそうな佐祐理さんが羨ましいですぅってお前、これはあくまでも緊急的な措置……ぬあっ!? 佐祐理さんしっかりしてーっ!(「わーっ、佐祐理さんがのぼせて気絶しちゃったよーっ!?」「佐祐理っ、佐祐理大丈夫!?」「ふ、ふえぇ……」)

「……はい、こちら相沢様、ご家族で二泊ですね。ご案内致します」
「は、はぅ……はい」

 赤らめた頬のまま、戻ってくる相沢婦人……じゃない、佐祐理さん。
 い、いかん! 俺の脳内でも既に佐祐理さんとさゆりちゃんがデフォルトで妻と娘扱いになっちまっているじゃないか! 赤面どころじゃなく危険だ!
 出立前、さんざん秋子さんやら折原夫妻にからかわれた上、みさおちゃんに笑われて舞や真琴に羨ましがられて名雪達に睨まれて……否応も無く意識せずにはいられない状況。
 こ、この状態で二泊三日……ヤバい、理性が千切れそうだ。二人っきりだったら今夜まで持たずに危ないやもしれん。さゆりちゃんが居てくれることに感謝せねば。


「こちらが夕月の間でございます」

 案内されたのは、なかなかに豪華なつくりの部屋だった。

「へぇ……これは予想以上だな」

 二間続きの家族部屋だろうが、福引で当たった温泉旅行の宿としては破格ではないだろうか。
 入ってすぐは、三人で過ごすにはかなり大き目の和室に一目で年代物と分かる大きなテーブル。多分、かなり高い物だ。正面の窓際、まるで縁側のような作りになっているそこには、ゆったりとしたリクライニングチェアと小さなガラステーブルも置かれている。どれもこれもセンスのいい、おそらくは高級品。

「ひろいですーっ。わーい」

 ぱたぱたとさゆりちゃんが窓の傍へ。歓声をあげて湾内を見渡せる眺望に見入っている。

「じゃあ、こっちが寝室ですね」

 左側には、襖が半分開いた奥の部屋がある。ひとしきり部屋を見回してふむふむとなにやら納得していた佐祐理さんがそこを覗き込み──

「えっ……?」

 ぴしりと硬直した。

「どうした、佐祐理さん?」

 その様子に不審なものを感じて、俺も彼女の後ろから部屋を覗き込み──

「……げ」

 思わず、呻き声をあげてしまった。
 こちら側より少し狭い和室は、薄暗がりの中にぼんやりとした行燈(あんどん)がもたらす照明に照らされて、うっすらと浮かび上がっていた。
 ──中央に、かなり大きな一組の布団だけを敷いて。
 枕が三つ……真ん中だけ小さ目ってことは、つまりあれですか。これは三人一緒に寝ろ、と……?
 真ん中にさゆりちゃんを挟み込み、添い寝しあう俺と佐祐理さん。いつだったか、赤ちゃ゜んの頃のさゆりちゃんと一緒に三人で寝たことはあったけど、こ、これじゃまるで……

『新婚夫婦……』

 異口同音。
 知らず滑り出た単語が、すぐ下からも同時に聞こえた。びくっと反応して目線を降ろした俺と、同様に視線をあげた佐祐理さんの目がかち合う。
 沈黙。

「あ、あはははっ……」
「は、ははははは……」

 なんかいろんなモノが複雑に交じり合って空虚になった笑い声は、やはり二人同時に口から零れ出た。

「ほぇ? ゆーいちぱぱ、さゆりままー?」

 不思議そうなさゆりちゃんの声が、やたらと後の展開を意識させてしまっていた。


 とりあえず落ち着け俺、とセルフコントロールしつつ、まずは荷物を下ろして一息つくことにする。
 置かれていたお茶と和菓子でともかくも一杯。さゆりちゃんの頬っぺたについたあんこを拭ってやる俺の向かいで、佐祐理さんが急須を傾けてお茶を注ぐ。

「ぱぱ、まま。さゆりはあとで探検がしたいですー、いっしょにきてくださいね」
「ああ、一緒に行こうな。今日は旅館の中で、明日は外を見て回ろう」
「お土産も見たりしましょうね。観光スポットも幾つか巡りたいですし」
「さゆりはおねーちゃんにおかしを買ってきてねと頼まれてるですよー」
「……みさおちゃんもちゃっかりしてるなぁ」
「妹頼みするくらいに可愛くて仕方ないんでしょうねぇ。うん、さゆりちゃんはおねえちゃん思いのいい子だからねー」

 なでなで。

「えへへー」

 …………は!?
 我に返る。
 なんかこれって……まるっきり家族の会話か!?
 途端、何故か挙動不審になり出す俺。

「祐一さん?」
「ぱぱー?」
「ああ、いや……なんでもない」


 しばらくして。

「か、家族風呂の予約が?」
「取れている……らしい、でず……」

 佐祐理さんが、フロントから掛かってきた電話の知らせに硬直した。
 なんでも、予約時の特典内容に既に盛り込まれていたらしい。『相沢様』で家族風呂ひとつ、確保されているとか……

「ろ、六時半まで入れるみたいですけど……どうしましょう祐一さん?」

 逡巡。
 は、入りたい……だが、ちょっとそれは……

「わー。ぱぱ、ままー。さゆり行きたいです」
『あぅ……っ』

 俺が返答する前に、無邪気なお姫様が興味をそそられてしまっていた。

「おっきなお風呂ー。さゆりはぷかぷかしたいですよー」

 にぱっと可愛らしく笑うさゆりちゃんの姿に、あるはずもないプレッシャーを感じて言葉に詰まる俺。
 だがその傍らで、佐祐理さんは既に己のペースを取り戻していた。

「それじゃあ……せっかくですから、まずは温泉を堪能するとしましょう。さゆりちゃん、ママと一緒に入りにいこっか」
「はいっ、お風呂お風呂ー」
「それじゃ、準備しようね」
「お風呂せっとを出すのです」
「あ、ああ。それじゃ、まずは二人が入ってくれ。俺はそれから……」
「祐一さん、三人で一緒に入りませんか?」
「いっ!? ……い、いいの?」
「あははーっ、やっぱり家族はご一緒しなくちゃダメですから」
「わーいっ、ゆーいちぱぱもいっしょですー」
「ぅ……わ、わかったよ。でも、ホントにいいのか、佐祐理さん?」
「くすっ……祐一さん相手なら、喜んで」

 どうやら、吹っ切れてしまったらしい。
 いざこういう状況に慣れてしまうと、佐祐理さんは非常に積極的になる面があった。照れこそあるものの、恋人もしくは夫婦のような振る舞いをごく自然に見せ付けたり、大胆な行動を起こして誘ってきたり。そのくせ、羞恥心はすぐに表に出てきたりして、実に初々しい態度が見え隠れする。
 ……ほんと、敵わないよな。女性とは対岸の生き物、とは誰の言葉だったっけか。


「おーんーせーんーっ」
「おーんせーんっ」

 洗い場で思わず叫ぶ俺。なぜか楽しそうに諸手をあげて同調するさゆりちゃん。

「どうださゆりちゃん、これが温泉だっ」
「ひろーいですっ」

 いやー確かに広い。ホントにこれで家族風呂か?

「北陸有数の温泉地、隆山温泉がトップ鶴来屋! 巨大な露天風呂に加え、複数の露天湯、凝った造りの内風呂や家族風呂をも有する大規模な温泉宿。泉質は鉱泉、色は透明、冷え性や肌荒れに良く効き、切り傷火傷などにも効能を発揮。起源はその昔、鬼退治の英傑次郎衛門が……」

 パンフレットの一文を反芻する。

「よくわかりませんゆーいちぱぱー」
「……早く大きくなろうな」
「はーい」

 元気よくお返事するさゆりちゃんの頭をくしゃくしゃ撫でてやる。
 むう、思わずべらべらと解説してしまったが、さゆりちゃんでは理解しきれんか。
 と、脱衣所を抜けて来る気配が一つ。俺達の背中に声がかけられた。

しゃむてぃるさん画、おんせんさゆりん
しゃむてぃるさん画、「おんせんさゆりん」
「お、お待たせしましたぁ」
「あ、佐祐理さん……おおぅっ!?」

 そこには、女神がいた。いや、比喩でなく。
 ふっくらとしつつもあくまでもスレンダーな肢体を隠すのは、純白のタオル一枚のみ。太ももの中ほどからすらりと伸びる張りのあるおみ足やタオルでは隠しきれない鎖骨から下の谷間、華奢な撫肩にうなじ、細い二の腕……
 普段のリボンを外し、髪留めでアップにして括った淡い草色の髪が、いつもとは違って更に女性らしさを醸し出していた。

「あ、あんまり凝視しないでくださいよぉ祐一さん」

 っは!?

「あ、ああいや、ごめん……き、綺麗過ぎてさ」

 慌ててそっぽを向く。

「ふぇ……ぁ、あはっ。そう言ってもらえると……」

 意識せず漏れたストレートな賛辞に、佐祐理さんの頬に朱が散った。

「ぱーぱ、まーまー。はやくおんせんにはいりましょー」
「っと……そ、そうだったな」
「い、行きましょうか」

 さゆりちゃんに促され、顔を赤らめていた俺達は気を取り直して湯船に足を向けた。












「きゃー」
「ほら、さゆりちゃん。はしゃぎすぎちゃだめだからね。それと、泳ぐのはマナー違反」
「はぁい」

 ぱしゃぱしゃと湯船で泳ごうとするさゆりちゃん。佐祐理さんがその傍らに近寄りめっと叱ると、さゆりちゃんはごめんなさいと素直にお辞儀してからこちらを向き、ぺろっと舌を見せててへへ笑い。吊られて佐祐理さんもこっちを見て、何故か照れ笑いして指をもじもじ。
 あー、二人とも可愛いなぁ。
 思わずほのぼのしてしまいながら俺も続いた。
 軽く身体を流し、親娘揃って湯に浸かる。
 おぉ、ぬくい……
 とりあえず肩まで浸かり、んーっと一伸び。それから、隣にいる二人に目を向けた。
 ちなみに、残念ながら乳白色だ。中に入られるとちと見えないな──なにがだ?
 と、向けた先でちょうど佐祐理さんの露出した鎖骨から、湯の雫が伝い落ちた。思わず凝視し、ほぉっと感嘆の息を吐く。
 いやはや、水も──もとい、湯も滴る良い女、とはよくも言ったものだなぁ。

「あ、あははー……そんなに見つめられると、さすがに恥ずかしいですよ」
「ぁ、あーいや、すまん……佐祐理さんに見惚れてしまった」
「はぅ……そ、そんなぁ……」

 佐祐理さん、頬っぺたに手を当てて小さくいやいやっ。ふるふると首を振るたび、ほつれたうなじの髪が揺れる。
 むう、萌え。

「ゆーいちパパゆーいちパパっ、さゆりはどーですか?」

 お湯から立ち上がり、くるんっと回転して首を傾げてみせるさゆりちゃん。ポニーテールがぴょこぴょこ動くその姿は、文字通りに愛らしかった。

「おう、可愛いぞ」
「ほんとですか」
「ああ、思わず抱き寄せて撫で撫でしちゃうくらいだ。な、佐祐理さん」
「そうですね。はーいさゆりちゃん。わたしが抱っこするから、祐一さんに撫でてもらってねー」
「わーいっ」

 湯船の中で、佐祐理さんの膝の上をばっちりゲットしたさゆりちゃん、こっちに「ぱぱ、なでてなでて」と言わんばかりにちっちゃな頭を傾けて、ついでとばかりに肩にすりすり。
 うぉ、さゆりちゃんのぷにぷに頬っぺたが肩をこすって……気持ち良いぞ。

「よしよし、可愛いなさゆりちゃんは」

 言いつつ、さゆりちゃんの頭に手を置いて撫でてやる。むう、柔らかい髪がしっとり湿っている。ああコンチクショウ、ほんと可愛いなぁまいどーたー(仮)。
 そして、それを微笑ましそうに見つめる佐祐理さん。肩が触れ合えそうなくらいに近く、すぐ横に座る彼女の肌は薄いピンクを帯びていた。その木目細やかな柔肌はしっとりと濡れ、水滴が幾つも幾つもつぅっ……と滴り落ちている。
 こんな美女と温泉を共にできるとは……不肖、この相沢祐一! これほどに己の幸福を実感したことはない! 例外といえばあのナイトメア・オブ・オレンヂの猛襲から生き延びた時くらいか。

「祐一さん、ガッツポーズなんてどうかしました?」
「いえ、佐祐理さんと温泉で裸の付き合いが出来る幸運を噛み締めてました。こう、将来の夫婦関係を連想させるところがなんとも嬉し恥ずかしで」
「ふ、ふぇっ?」

 目を丸くした佐祐理さん、次にはかあぁっと頬の赤味が増す。ちょっぴりおろおろし、恥ずかしげにこちらをちらちら見たりして──それから、なんだか嬉しそうに笑って、

「ぇ、と……わたしも、その──幸せ、だったりしま、す」

 もじもじ指をあわせたりして、どことなく顔を伏せて上目遣いの佐祐理さん。口元に浮かんだ小さな微笑みがなんともこそばゆい。
 ……やべぇ、惚れ直した。佐祐理さんの新たな魅力を発見。

「さゆ──」
「ぱーぱー、まーまー。さゆりをのけものにしちゃイヤですよー」

 ぷぅっと可愛らしく頬っぺた膨らませたさゆりちゃんが、ねえ構って遊んでお話ししてーと小動物のようなおめめで見上げてきて、俺は言葉を呑みこんだ。

「む、それはすまなかったまいどーたー(仮)。よーしあっちの岩場まで行ってみよう」
「はいっ」

 ぱしゃぱしゃきゃっきゃ。

「くす。楽しそうですねー二人とも」
「ままも来てくださーい」
「はいはい、今いくからー」

 うん、なんか今、完全に親娘だな。


「ぱぱー、お背中を流すのですっ」
「おぅ、それじゃお願いしようかな」
「んしょ、んしょ……」

 背中にぺったりくっついたさゆりちゃんがタオルを動かす。
 うぉ……ちっちゃな子供特有のぷにぷにした身体が時々当たってこそばゆいぞ。さゆりちゃん、半分俺の背中に抱きつきながらだし。
 しかしこれは……き、気持ち良すぎかもしれん(汗)。よくよく考えてみれば、さゆりちゃんは佐祐理さんの幼い頃にそっくりだって言うし……は!? つ、つまり俺は今、小さな頃の佐祐理さんに身体で背を洗われているのかっ!?
 ぐはっ……は、鼻の奥がつんとしてきた……!

「祐一さん?」
「あ、いやなんでもなっぶふぅっ!?」

 気が付くと、佐祐理さんが目の前にいて俺を覗き込んでいた。
 そして。
 タオルで身体の前だけを押さえた佐祐理さんの、色々と隠し切れない所が眼前に……!
 質感と弾力を一目で確信させる双丘の頂点、桜色の突起がタオル端からはみ出ている。合わさった太腿部の隙間から上、水を吸った白いタオル地からほんの微かに、薄い茂みがちらりと……!

「ゆ、祐一さんっ!?」
「ぱぱ、お背中終わりましたよー?」
「よっしゃああああっ!」

 ビバまいどーたー! 錯乱しかけた俺はその声を助けと誤認し、勢いづいて立ち上がった。このまま湯の中にダイブして今見たステキ映像を心の奥に沈めるべしっ……!
 が、それは助けなどではなかったりした。
 つるんっ、と。
 さゆりちゃんが使っていたボディソープの泡に足が取られる。

「うわっ!?」
「きゃあっ!?」

 足を滑らせ、佐祐理さんを巻き込み湯船に飛び込んでしまった瞬間、なにやらトンデモナクやーらかくてあったかくてすべすべふにふにしてるモノとぶつかった。
 ばしゃんっ! と激しい水音。続いて、前面にふにゅっと心地よい感触……!?

(こっ……これわぁっ!?)

 ふにふにゅん♪

「ふぁんっ……! ゃ、ゆぃちさっ……!」
「ご、ごめっ……ちが、今退くっ……どわっ!?」

 ジタバタバチャバシャ……ズルッ。

「……あ、さゆりのたおるー」

 二人して大慌てになりながら、なんとか離れようと体勢を変えた刹那、更に滑った手が佐祐理さんの美脚に絡め取られた。

 つぷんっ。

「ひああぁうっ!?」
「おわあああっ!?」

 い、今何かめっちゃ柔らかいもんに指埋まったぞ!? ぬるぬるしてる上にやけに熱くてきつい……ってえええっ!?

「ひっ。ゆ、いちさっ……ゆび、抜いっ……っん!」
「わーっ!! ごご、ごごごごごごごめんっ!」

 佐祐理さんの太ももの内側に入り込んだ指が……すんげぇ心地よい感触のナカに入り込んでいたのだ。擬音にするなら、ちゅぷり……とか音立てて。

「んくぅっ……!」

 抜いた瞬間、びくっと身体を震わせる佐祐理さんから慌てて身体を離す。
 ぬるりとした液体の感触と共に、指先から透明な糸が一瞬、伸びて見えた。
 こ、こ、こ、こ、こ、っこれは〜〜〜〜〜〜っ!!?

「は、はふぇぇぇ……」

 全身真っ赤になった佐祐理さんが恥ずかしそうにこちらをちらっと見上げた。俺と視線が合い……

 ぼんっ。

 あ、更に色彩が濃くなった。
 かくいう俺もすでに真っ赤っか。内心錯乱中。
 やわらあたたかなんかしめっていやそれはおゆのだっておんせんなんだからとうぜんといえばはだかなわけでたおるごしでもはっきりさくらいろがっていうかいまのでたおるすらないじゃんうわさゆりさんすげぇきれいなはだしてるよなしってるけどあらためてみほれなおしいやいやいまはそんなことかんがえてるばあいじゃないだろそもそもさっきまでおれがふれてたのはつまりまてそこからさきそうぞうするのはまずいだろだってここにはおれたちだけじゃなくてさゆりちゃ……

「ぱぱー、ままー? おかおまっかっかですよー?」

 ………………あ゛。
 二人揃ってぐぎぎぎぎと錆びたロボットのような動きで首を回すと、騒ぎに動じずおっこちた自分のタオルを拾い上げていたらしいさゆりちゃんが、不思議そうにかわゆく小首を傾げていた。


 かぽーん──……

 一悶着あった、後。

「…………」
「…………」
「あわあわ〜ふわふわ〜」

 楽しそうにタオルを泡立てるさゆりちゃんを、変に動揺した表情のまま洗ってあげる俺が洗い場にいた。何故か無言。
 横手の湯船には、肩まで湯に浸かって俯くさゆりさんの姿がある。同じく無言。
 なんとも気まずい……というには妙に色が暖色系を帯びている沈黙の中、さゆりちゃんのテンポの良い鼻歌だけが俺達の間に漂っていた。

「ぱぱー、背中もおねがいしまーす」
「ああ、ちょっと待った。髪の毛はあげとかないと困るからな」

 気を取り直そう。いつまでもこの沈黙を続けてたら俺も佐祐理さんも気まずいなんてもんじゃない。
 洗って洗ってと抱きつくさゆりちゃんの全身を、わしゃわしゃボディソープの泡が覆ってゆく。つるつるすべすべの肌がやわっこくて、幼女特有のさらさらした滑らかさが伝わってきた。
 なんと至高の肌触りか。さゆりちゃんの事は乳飲み子の頃から知っているが、この肌の質感といい髪の毛のキューティクルといい、この世にこれ以上のものなど存在しないのではないかとすら思えてくる。齢十にも満たぬ現状で既に世界最高峰とは。さゆりちゃん……末恐ろしい子だ。
 そしてなにより。
 このさゆりちゃんを成長させた姿こそが、ほぼそのままに佐祐理さんとなるわけで。
 当然ながら、この肌も髪もそれ以外にも色々なものを彼女は有しているわけで。
 改めて、この母娘──実の娘どころか血の繋がりすらないはずなんだが──の高スペックさを実感してしまう。
 それにしても……やばくないか?
 さゆりちゃんの背中をみていると、どうにもさっきのさゆりちゃんイコール幼い頃の佐祐理さんという図式が脳裏に浮かんでくる。あれを閃いてしまってから、ともすれば目の前で洗ってあげている相手が、その……佐祐理さんのような錯覚に陥ってしまう。
 うぁ……自覚したらますますいかん感じに。
 あどけない顔なんかそっくりだし、色素の薄い髪も色合いまでよく似てる。このぺったんこなおっぱいも十年後にはぽよんとして、腰もきゅっと締まった姿になる。手足はすらっと伸びてお尻も形良く張り出すだろうし、ココなんかきっと、さっき触ったみたいにすんげぇ心地良い感触にな……

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっっ!!!?」

 お、思い出すなーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!
 平常心、平常心だっ! 煩悩を振り払え!
 お宝映像すぎるソレを思い切り頭を振って追い出して、もはや無心となってさゆりちゃんを洗う。

「きゃっきゃっ」

 無我の境地だ相沢祐一! それ以上の妄想は佐祐理さんにもさゆりちゃんにも不謹慎だ!
 人として最低だぞ! 今はただこの愛らしい娘に父として温泉を楽しませてやるんだ!(半ば混乱中)
 そんな父子二人を置いて。

「はふぁ……んっ」

 刺激的過ぎる肉体接触に思考がとろけかけた佐祐理さんが、どこか甘ったるい吐息を零してのぼせかけていたりした。



 部屋に夕食が運ばれてきたのは、風呂を上がりのんびりした時間を過ごしていた頃合だった。
 家族風呂での一悶着も過ぎ去り、火照った身体を休めている俺。向かいには、さゆりちゃんの髪を乾かしている佐祐理さん。部屋に香る良い匂いと、しっとりした素肌が見え隠れする浴衣姿。実に色っぽい。

「ん〜……♪」

 ご機嫌なさゆりちゃんが大人しく髪の毛を梳かれている。時折佐祐理さんを見上げてはにっこりして、また嬉しそうにくすぐったそうに、髪に触れる佐祐理さんの手に頭をこすりつける。

「……仔猫みたいだな」

 それも、気品ある母猫──血統書付き──にすり寄る仔猫だ。実に目尻が下がる光景である。
 そんな中に運ばれてくる夕食は、海の幸山の幸をふんだんに盛り込まれた豪勢な物。海老の造りに刺身、珍しい鹿肉のしゃぶしゃぶ、山菜の天麩羅、キノコ汁……
 並べられていく料理に感心していた時、ふと聞こえた音色に興味が移った。
 聞いてみるか。と、仲居さんに声をかけた。

「あの……そう言えば、どこからか祭囃子が聞こえるみたいですけど?」

 開け放たれた窓から、風に乗ってかすかに聞こえる太鼓や笛の音。

「ああ。本日は、少し離れた神社でお祭りがあるんですよ」
「へぇ……」
「お祭りですか」
「おまつりー?」
「はい、真夏の本祭ほどではありませんが、そこそこ規模の大きなものです。地元の方々はよく行かれますが、お客様がたのような観光客はあまり出入りしないので……逆に穴場かもしれませんね」
「わー、さゆり行ってみたいですっ」
「ん、そうだな。夕食終わったら行ってみようか佐祐理さん」
「はいっ」


 食事を済ませて、散歩がてらに宿を出る。
 鶴来屋から教えてもらった通りに十分も歩くと、その神社は見つかった。

「へぇ……」
「賑やかですねぇ」
「たのしそーですよー」

 人の流れに乗って太鼓と笛、祭囃子が聞こえて来る。石段と砂利道の神社の境内、至る所に屋台が立ち並ぶ。
 賑わう人々の熱気はどこか懐かしく、ひどく心地良かった。不覚にも子供の頃を思い出して、その記憶がじわっと胸に来てしまう。

「あと少し……あと少しで一番でかい出目金をゲットできたものを……っ」

 一緒に来てた友達全員、そこで小遣いが尽きたのだ。あの時の屋台のオヤジの勝ち誇った顔は忘れられねぇ。

「ぱぱー? どしたんですかー?」
「ふ……若さ故のあやまちをちょっとな」

 相沢祐一、若い──とゆーかがきんちょ──頃の苦い思い出は、雪の町じゃなくとも意外とたくさんあったりする。


「ゆーいちぱぱっ、あれですあれ、さゆりあのうさぎのぬいぐるみさんが欲しいですっ」
「よおっし待ってろな。射的なら十八番中の十八番だ、すぐに取ってやるから」

 これでも俺は昔、『ゴルゴ祐一』の異名で恐れられた射的の名人なのだ。一度だけだが、店のおやじさんから『もう勘弁してくれ坊主ぅ』と、敗北宣言を引き出したことだってあるぞ。……金魚すくいでは散々だったが。

「祐一さん、がんばってー」
「この距離ならっ……!」

 ぱんっ、ぱぱぱぱぱんっ。

『うおおおおおーーーっ!?』


「見て見てお姉ちゃん達っ。すごいよあの人っ」
「あら、ホント」
「うわ……あれでなんで全部落ちるのさっ!? っていうか、なにあの美人!?」
「娘、連れのようですけど……?」
「……まさか、若夫婦?(ぴくっ)」
「ひっ!?」
「姉さん、声ちょっと怖い」
「あ、弾外れたよ」
「聞こえたんじゃない? おー、動揺してる動揺してる。……おお、奥さんまで真っ赤」
「わ、私じゃなくって周りの野次が聞こえたんでしょうっ」
「でも、ぬいぐるみは取れたみたい。ほら、娘さんが飛びついてる」
「あ、娘さんなでなでしてる……可愛いなぁ」
「うん、可愛い」
「奥さんまでぬいぐるみ受け取ってるよ。ありゃりゃ……凄い嬉しそうだね」
「素敵な親娘連れねぇ……」
『羨ましい……』


「……なんか、妙なオーラが」
「わー、キレイなおねーさん達がいますよっ、ぱぱ」
「ん? ……四人姉妹、かな?」
「ふぇー、素敵な方達ですね。どこかで見たような……?」
「確かに。どこだったかな……」
「あ。そ、それより早く行きましょう祐一さんっ」
「カキ氷が食べたいですーっ」


 ぴよ。

「……ん?」

 喧騒の中、何か聞こえた気がして目を向けると、一つの屋台が目に付いた。

「ふぇ? どしたですか、ゆーいちぱぱ?」

 肩車されていたさゆりちゃんは、俺の視線を追い……

「あ。ひよこさんですー」

 今時珍しくなったひよこ売りを見て、喜色満載の声をあげた。

「はぇー……ひよこさんなんて売っているんですねぇ」

 佐祐理さんが目を丸くしている。

「見てみようか、二人とも」
「わぁ」
「そうですね」

 なにやら妙な予感が働いた俺は、二人を促してひよこの屋台に足を向けた。


「わ、わっ。まま、さゆりままっ。かわぃーですよっ」
「あははー、ホントに。さゆりちゃんはどの子が一番可愛いかな?」

 ケースいっぱいに群れるひよこを覗きこんで、見た目完全な母娘がやり取りをしている。
 その横で。

「…………むう」

 …………ぴよ。

 俺は一匹のひよこと睨み合い──もとい、視線を交じらせあったまま、停止していた。
 ただ、一匹。ケースの端で騒ぐことなく、動くこともなく、ただ悠然と佇むそのひよこ。

「………………」

 ………………。

 ────コイツ……漢だ!(きゅぴーーーん!)
 天啓が奔る。ニュータイプもかくやと言わんばかりの電撃的な直感が。

「……………………(すっ)」

 ……………………(ぴくっ)。

 そいつは無言で差し出した掌に、ひょいと飛び乗った。目の高さにまで持ち上げて、じっと睨みあう事、しばし。

「……お前、ただのひよこじゃないな」

 ぴよ。

 気のせいじゃなく、ひよこは頷きを返してきた。

「賢いな……そして、強い」

 ぴよ。

 今度は、心なしか誇らしそうに胸を反らした。
 ……こいつ、鳥頭とかそんなことは絶対無い。間違いなく、仕込めばとんでもない鶏になるな。もしや、獣ノ神すら打ち倒すと言われたあの伝説の鶏の末裔とか?

「こんな場所でこれほどの漢と出逢うとは……これだから人生は面白い」

 ぴよ。

 全くだ、とばかりにひよこは重々しく頷いた。

「なにがですか、祐一さん?」

 佐祐理さんが不思議そうに首を傾げていた。

「あー。ゆーいちぱぱっ、そのひよこさんはー?」
「今、男と男の友情を交わした所だ」

 種族は目とか科どころじゃなく類の辺りから違うけどな。

「っ! す、凄いですっ、ぱぱはひよこさんとわかりあったのですねっ」
「ああ。──さゆりちゃん、こいつを連れて行かないか? 未だ幼鳥にしてこの覇気。たぶん、これほどの猛者は世界広しと言えども三羽といまい」
「そんなにすごいひよこさんなのですねっ。確かに、さゆりもそのひよこさんから只ならぬおーらを感じますよー」

 我が娘(仮)はどうやらこいつのオーラがわかるらしい。なんともまあ、将来が楽しみな子だ。

「よし、じゃあこいつ引き取ろう。オヤジ、いくらだ?」
「…………カネはいらねえよ。連れて行ってやってくんな」
「……いいのか?」
「ああ。……アンタ、只者じゃねえだろ。そいつに目を付けた奴は数多いが、認められた奴は初めて見るぜ」
「ふ……さあな」
「あんたみてぇな人に引き取られんなら、そいつも本望だろうよ。奥方も娘さんもかなりのもんと見た。…………どうか、そいつを頼むぜ」
「……ああ。こちらこそ頼りにさせてもらうさ」

 背を向ける。俺の肩に飛び乗ったひよこが、世話になったと言わんばかりに一声鳴いて同じように背を向けた。

 こうして。
 ひよこ屋のオヤジと謎なやりとりを交わした俺は、一匹のひよこを手に入れたのだった。

「よろしくな」

 ぴよ。

「はぇー……男の方の世界は奥が深いですねぇ」
「はーどぼいるどなのですね、ままっ」

 そして。
 賑わう人の波を潜って、夜店を覗いて巡るうちに時間は過ぎ──
 どこか郷愁を感じさせる祭りの場を、後にした。



「涼しいですね、祐一さん」
「ああ、気持ちいいよ」

 祭りの喧騒も遠くに去った夜道を、佐祐理さんと二人で歩く。俺の背にははしゃぎ疲れて眠ってしまったさゆりちゃん。彼女が持っていたりんご飴とぬいぐるみは、綿菓子やひよこと一緒に佐祐理さんの手の中に。ひよこの奴は大人しくしている。
 夜風が浴衣に優しく当たる。佐祐理さんの髪が風にふわりとなびき、よく知ったいい香りが俺に届く。

「あ、ここを曲がりましょう」
「ん? 帰り道はこっちじゃなかったっけ?」

 またぞろ間違えたか俺の方向音痴と首を傾げると、佐祐理さんはふわりと笑みを零した。

「いえ、帰りはそっちでいいんですよー。ですが、行きがけにちょっと良いことを教えてもらったもので」
「いいこと?」
「はい。もう少しお散歩しませんか、あなた」

 まるで本当の夫婦のように。なんの気負いも躊躇いもなく。ごくごく自然に、お互いその言葉に気付かないほどに違和感なく。
 佐祐理さんは、俺をそう呼んで誘ったのだった。


 ゆっくりゆったり、会話もなく背中の娘を起こさぬように。優しく穏やかな沈黙を保ったまましばし歩き、そして辿り着いたのは、山から流れる小川の畔(ほとり)。田んぼの畦道(あぜみち)が並行する、湧き水の流れる小さな小さな河川敷。
 そこに、無数の星が降りていた。

「おわ……」
「きれい……」

 畦道のそこかしこに、淡い緑色の光が舞っていた。ちかちかと瞬きを繰り返しながら、雪のように星のように流れ飛ぶ──蛍の、群れ。

「すごい……な」
「はい……」

 地上に降りて来た翡翠の星。蛍の群生地。
 教えてもらったというのは、ここのことだったのか。
 見回すと、薄暗がりにぽつりぽつりと人の影。親子連れがいる。恋人達もいる。幼い友達もいれば年老いた夫婦もいる。
 みんな、ロクに言葉も無く蛍に見入っている。

「ふぁ……きれぇですぅ……」

 耳元で、舌っ足らずな声が囁いた。見ると、まだちょっと眠たげな様子のさゆりちゃんが、ぽやっとした表情で蛍の乱舞を見回していた。

「……起きたかい?」
「はぁい……えと、ホタル? ふわぁ……」
「そう、蛍。さゆりは初めて見るのかな?」
「はいっ。初めて見ましたっ」
「そうか、よかったな」
「さ。パパの背中から降りて、ママとも手を繋ご、さゆり」
「はいっ」

 とんっと地面に降りたさゆりちゃんが伸ばしてきた両手を、俺と佐祐理さんがそれぞれ取る。きゅっと握られた掌を交互に見て、小さな娘さんは満面の笑顔で歩き出す。
 そうして、月の見えない夜空の下。
 幸せそうな親娘が一組、ゆっくりと道を歩んで行った──






編集あとがけ(イミフメイ)
 予告通りでした(謎爆)
 見所は色々あれど一番の注目はでしょうな。準レギュラー間違いなし。
 ようじょ? いちはちきん? もう一つの連載? さてナンノコトヤラ。(マテ)

 

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