明日耕一さんがこの家に来る。
私はずっとあの人を待ち続けてきたのだ。
あの人の体温。あの人のまなざし。あの人の匂い。
叔父さんが耕一さんの事を話すたびに甦る幸福感。
私の脳裏に刻み付けられた感覚はまだ色彩を失っていない。

もしかしたら耕一さんも私の事を思い出してくれたかもしれない。
もしかしたら私に笑いかけて、そして抱きしめてくれるかもしれない。

でも、でも、それはとても危ないことなのだ。
もし耕一さんの”鬼”が目覚めたら私はどうすればいいのだろう。
耕一さんもお父さんや叔父さんと同じ道を歩むことになるかもしれない。
その時私はどうするだろう。

そう、耕一さんの鬼を目覚めさせてはならない。
だから私は遠くから耕一さんを眺めているだけでいい。
そう、眺めているだけで。
 

 (E) 〜最初の三日間〜
 

初日

セミの声を遮っていやに古風なアナウンスがホームに流れる。
「たかやまー、たかやまー」
乗客の半分は旅行者だ。夏休みが終わったせいか客層の年齢は高めだ。
紐ネクタイ。ガイドブック。魔法瓶。駅弁の包み紙。
残りの半分は地元の人だろう。
買い物袋。セーラー服。噂話。モンペ。

おいおい、もうそろそろ21世紀なんじゃないのか

二種類の乗客が混ざりあって列車を降りていく。
雑草が駅の所々に顔を出している。
再びセミの声が辺りを支配した。

北国の九月、太陽の力のない輝きにも関わらずまだ夏の暑さが居座っている。
東京とかわらないじゃねぇか
開け放した車窓からはもう風がこない。

一人だけ列車に残った俺の方を一人の駅員が胡散臭げに見ている。

行くか。
俺はけだるさを振り払い、立ち上がってボストンバッグを担ぎ上げた。

俺は肩にかばんを引っかけたまま駅舎に入った。
最後の乗客である俺を駅員がチラリと見た。
早く改札を通ってくれよ。そんな風に言いたげな表情。
俺は駅員に切符を渡して改札をくぐる。

「耕一」

待合室のベンチから立ち上がった女の子が俺に声をかける。
ショートカットにヘアバンドをしている。
梓だ。昔と変わらないはじけるような笑顔を浮かべて俺の方に歩いてくる。

俺はわざとふざけた声をだす。
「よお梓、出迎えご苦労」
梓は軽く俺の脇腹を小突く。
「うぅ、うっ」
大袈裟に痛がる俺にもう一度こぶしを突きつける梓。

どういう関係かはわからないけれど、ほんの数日離れていただけの二人。
そう思う人がいるかもしれない。
梓の天真爛漫な態度が俺の不安を取り除いてくれる。

正直親父の実家に来るのは不安だった。
長い間、ほんとに長い間会っていない従姉妹達。
彼女たちの家族だった親父の死。
葬式はとうに終わり今頃になってのこのこと現れる実の息子。
俺はどういう顔をして隆山に行けばいいのだろう。
列車に揺られながら俺はそのことを考えたり、逃避したりしていた。

「耕一、荷物はあたしが持つよ。長旅で疲れてるだろ」
梓が俺に手を伸ばす。
俺は軽く手を振る。
「大丈夫だって。変に気をまわすなよ」
梓は少し首を傾ける。
「そう?家までタクシーでも使う?」
「だから大丈夫だってば」

俺達は駅舎を出て並んで光の中に身を投げ出した。

駅前は俺の記憶と大きく食い違っていた。
駅前の商店街はリニューアルされたのかアーケードも新しい。
「あれぇ、駅前ってこんな感じだったっけ?」
「数年前にリニューアルされたんだよ。あれから来たことなかったっけ?」
俺は肯く。
「もっと田舎臭い感じだったのにな。駅みたいにさ」
アーケードでは制服姿の高校生が集団で歩いている。

「そういえば梓、お前学校はどうしたんだ?」
「何言ってんのよ。今日は日曜日じゃない」
毎年夏になると曜日感覚を失ってしまう。
それにしても休日生真面目に制服を着てる学生がこんなにいるのか。

「右だ、ここの突き当たりを曲がれば後はずっと真っ直ぐ行けばいいはずだ」
「おお〜〜、良く覚えているじゃない」
俺は胸を張る。
「まぁな、当然だよ」
「なにふんぞり返っているのよ、最初に間違えたくせに」
「まだまだ暑いねぇ。この辺りはもっと涼しいと思っていたのに」
俺は強引に話題を変える。
住宅地に入ってまたセミの声がやかましくなった。
梓は眩しそうに初秋の太陽を見上げる。

俺達は互いの近況を語りながら道を歩いた。
学校のこと、友達のこと、千鶴さんや楓ちゃんや初音ちゃんのこと。
ただ親父の話は最後まで出てこなかった。

小さな頃には驚きを感じたものでも、大人になると他愛も無い物であったことに
気がつく。その例外の一つはこの柏木家の門だろう。ただ小さい頃に感じた驚きと
今俺が感じている驚きは違う種類のものだ。

「お兄ちゃん!」
玄関の戸が大きく開けられて初音ちゃんが顔を出す。
そうだ、初音ちゃんだ。俺の事を”お兄ちゃん”と呼ぶのはこの世界で初音ちゃん
しかいない。

初音ちゃんのつっかけと石畳が小気味良いリズムを刻む。
「いらっしゃい、お兄ちゃん。久しぶりだね」
満面の笑みが光の中で輝いている。

「うん、久しぶりだね。初音ちゃんも大きくなったね」
ああ、親戚のお兄さんしてるな、俺は。

「初音、お留守番ありがとね」
初音ちゃんは笑ったままだ。
俺達三人は並んで屋敷の中に入った。
「ただいま〜」
梓と今外に出たばかりの初音ちゃんの声が重なる。
俺も少し声を張って挨拶する。
「お邪魔しま〜す」

「耕一は家族みたいなものだからさぁ、そんな他人行儀にするなよ」
「そうだよ、お兄ちゃん」
家族・・・みたいなもの。
 

『柏木君、こんなこと聞いていいかしら?』
『まぁ大概のことなら』
『じゃぁ、あのね・・家族がいないってどんな感じ?』

体のどこかが疲れていて、頭の半分が眠っている。

『ごめんね、こんなこと聞いちゃだめだよね』
俺の沈黙を勘違いしたんだろう。すぐに謝る彼女。

『別に怒ってないよ。家族がいない・・っていうのは要するに一人暮らし
ってことだけだよ。別に特別なもんじゃない』

『さみしくないの?』
『たまにはね。誰だってそうだろ?』
 

俺は靴を脱いで、上に上がった。そのまま居間の座テーブルに座る。
「千鶴さん達は?」
「千鶴お姉ちゃんは鶴来屋だし、楓お姉ちゃんはお友達の家に遊びに行ってるの」
そうだな、旅館は日曜日が稼ぎ時だ。
「楓が家にいないっていうのは珍しいよな」
梓が麦茶を持ってきてくれた。
「耕一が来るからちゃんと残しておいたんだぞ」
「麦茶?」
「うん」

「お久しぶりです、耕一さん」
先程帰ってきた楓ちゃんとまったく同じ挨拶をしたのは千鶴さんだ。
「うん、久しぶりだね、千鶴さん」
俺の返事も名前が違うだけだ。
俺が千鶴さんと初めて会ってからもう十年になる。
今もあの時の笑顔が俺の脳裏に焼き付いてはなれない。

「早く着替えといでよ、その間に御飯の支度をするからさ」
梓の声に千鶴さんが肯く。
「では耕一さん、少し待っていてくださいね」
千鶴さんは心持ち軽く頭を下げて廊下を歩いていった。
梓が俺の脇腹をひじでつつく。
「ん?なにか?」
「なんでもない」
はぁ?
俺が問い掛ける間もなく梓が背中を向ける。
 
 

今日家にいたのはあたしと初音だ。
千鶴姉は鶴来屋だし、楓はなぜか出かけた。
うちの家は広いので戸締まりが面倒なのだ。
一人が耕一を迎えに行って、もう一人はお留守番をすることになった。
初音が私にお迎え役を譲ろうと言い出す前に私はジャンケンを言い出し、
そして私が勝った。

駅で待っていると時間の経過がとても遅い。
あと5分がものすごく長く感じる。
みたところ駅舎や駅前にあたしの知り合いはいないようだ。
定刻になっても列車はなかなかやってこなかった。
2分遅れ、その2分もまたものすごく長く感じられた。

列車から、そして改札から人の列があたしの前を通り過ぎる。
夏休みが終わったため、この町にやってくる人の数はうんと少なくなった。
それでも寂しかった駅が生まれ変わったかのように活気に満ちる。

笑顔を浮かべた乗客達。
タクシーが命を吹き込まれたかのように動きだす。
忙しそうな駅員。
お客さんを探す旅館の人。

あれは耕一、――じゃない。
あれが耕一、――でもない。

あたしは似たような年頃の男が通るたびに心が動く。
あたしと耕一はもう何年も会っていない。
だから今のあたしは耕一が分からず、耕一もあたしに気がつかないかもしれない。

列車から出てくる人の列がまばらになり、そして途絶えた。
耕一は今の列車に乗っていなかったのだろうか。
それとも互いに気づくことなく通り過ぎたのだろうか。
家に引き返したほうがいいかもしれない。

そう考えた時、一人の若い男が改札をくぐってきた。
耕一?
そうだ、そうだ、耕一だ。

「耕一」

あたしはおもわず声をあげベンチから立ち上がった。
彼はいぶかしげな顔をする。

あれっ、耕一じゃないの。耕一はどうしたの。

次の瞬間彼は満面の笑みを浮かべた。
「よお梓、出迎えご苦労」
 
 
 
 

二日目

夢をみた。
きっと夢なんだろう。
はじめは夢だと気づかなかった。
なぜならそれは一人で布団に寝てる夢だからだ。

しょうもない。

天井が殺風景だったり。
布団の感触が違ったり。
床がフローリングだったり。
枕元に時計があったりする。

そうして俺は誰かの帰りを待っている。

しょうもない。
起きていた方が遥かにマシな夢をみた。
 

「お兄ちゃん、おはよう」
俺が夜見た夢を振り返っていると初音ちゃんの声がする。
「おはよう、初音ちゃん」
初音ちゃんは既に制服に着替えている。
「ご飯が出来たから暖かいうちに食べてね」

8月のカレンダーと共に夏が去って数日。
俺は親父の実家に来ている。

俺が頭を掻きながら居間に入ると千鶴さんと梓、初音ちゃんの三人がいた。
「おはよう耕一、よく寝れた?」
梓が客用と思われる茶碗にご飯を盛ってくれる。
「多分寝れたと思う」
「多分・・・ですか?」
千鶴さんはコーヒーをすすっている。
俺が起きてくるまでに食べ終わったのだろう。
「夢を見たんですよ。そのせいかあまり寝た気がしない」
「どんな夢だったの?」
初音ちゃんも座テーブルに座って俺の相手をしてくれる。

三人の姉妹がテーブルに並び華やかなオーラが食卓を彩る。
「なんてことない夢だよ。眠れないっていう夢」
ハッ、梓が鼻で笑う。
「それって単に寝れなかっただけじゃないの?」
「それが夢なんだ。だって場所が違うからな」

あまりにもしょうもないオチがついてしまったせいで、誰も返す言葉がないらしい。
取り返しのつかない沈黙が流れる。

「と、ところで楓ちゃんは?」
強引な話の展開をする俺。
しかし皆それに気付かないかのように反応してくれる。
「楓は今日はめちゃくちゃ早く学校に行ったよ」
「うん、楓お姉ちゃんなんだか慌ててたね」
「いつもはあの子が一番遅いんですが」
俺はまだ楓ちゃんと話らしい話をしていない。
昨日の夕御飯は皆一緒だったけど、彼女だけは黙々と食べ続けていた。

「あっ、私そろそろ行かなきゃ」
初音ちゃんが時計をチラリと見て立ち上がった。
そして傍らのかばんを拾い上げる。
いやに手際がいい。
「じゃぁお兄ちゃん、行ってくるね」
「うん」
「車に気をつけて行くんですよ」
千鶴さんの声は一昔前の母親達のように優しい。

「あたしもそろそろ出なきゃいけないんだからさ、さっさと食べろよな」
俺は卵焼きをほおばりながらうなずく。
「いいんですよ。ゆっくり食べてください。後片付けは私がしますから」
「しなくていぃぃ!!」
 

俺と千鶴さんは親父と母さんの前にいる。
セミが我が物顔で墓場の静寂を追いやっている。
「散歩に出かけませんか?」
そう言って連れ出されたのがここだ。
本来なら昨日ここに来なければならなかったはずだ。
俺は来なかった。
親父に伝えなければならないことなど何一つなかったからだ。

千鶴さんはしゃがんだまま静かに手を合わせている。
俺は千鶴さんの後ろに立ってセミの声を聞いている。

暑い。

来る途中で買った桃が一つ墓前に備えられている。
親父が桃を好きだったことを覚えている。
俺も母さんが剥いてくれる桃が好きだった。

一応夫婦だった親父と母さんが並んで眠っている。
親父が母さんの遺体を引き取った時俺は特に反対しなかった。
親父は母さんになにもしなかった。
母さんを引き取ることが罪滅ぼしになるとでも思ったのだろう。

馬鹿親父。

千鶴さんが音も無く立ち上がる。
「それでは私は会社に行きます。耕一さんはもう少し叔父様と一緒にいてください」
無表情で淡々と語る千鶴さん。
少しうつむくと今度は笑顔で語りかけてくる。
「バケツとひしゃくは戻しておいて下さいね」
「はい」
俺が返事に笑顔で答えると俺に背を向けて歩き出した。
その背中は何も物語っていない。

暑い。
まだ昼にはなってないのに。

千鶴さんの言うとおりもう少しここにいよう。
でもその前に自販機でも探しに行こう。
自販機が無ければ帰ってしまっても仕方が無いよな。
 

昼下がり、俺はやることが無くコンビニで立ち読みしていた。
そろそろ場所を帰るか。
コンビニを出て駅前の商店街へむかう。
 

「お兄ちゃん」
わたしの呼びかけに耕一お兄ちゃんが振り替える。
「やあ初音ちゃん、学校帰りなの?」
「うん、お兄ちゃんは?」
「俺はただブラブラしてるだけだよ」

初音ちゃんの友達がどこか不思議そうな顔をして問い掛ける。
「あれ? 初音ってお兄さんいたんだっけ?」
「あのね、今は従兄のお兄ちゃんが遊びに来てるんだ」
「へぇ、そうなんだ」
友達達は面白そうにお兄ちゃんをみている。
「みんな初音ちゃんの友達なんだ」
『そうで〜す』
奇麗にみんなの声がハモる。

「あ、そ、そうなんだ」
お兄ちゃんはみんなに圧倒されているみたいだ。

「お兄さんって普段どこに住んでるんですかぁ?」
「大学生ですかぁ?」
みんながワイワイと騒いでるとお兄ちゃんは頭を掻いている。
「あのさぁ、立ち話もなんだから喫茶店でも行かない?」
『行きまーす』
間髪を入れないタイミングでまたみんながハモる。

わたしはトイレから出てみんなの席の方にむかう。
「初音ってねぇ、スゴくモテるんですよ」
「うんうん、初音ちゃんはいいこだからね」
「ウチのクラスの乾クンも初音のコトが好きらしいよ」
「「え〜〜〜」」

なっ。
わたしが立ち止まっていると雪ちゃんがわたしに気がついた。
女子高生の笑い声が不意に途絶える。

「よう初音ちゃん、おかえり」
お兄ちゃんだけは表情を変えずに私に話し掛けてくる。
「今みんなに学校での初音ちゃんの事を聞いてたんだ」

お兄ちゃんの一言でみんな開き直ったみたいだ。
「そう、初音ってすごくもてるよね、って話をしてたの」
「ねぇ、初音は彼氏つくらないの?」
「わ、わたしは別に・・」

今までもこんな話になった事は何回かあった。
もちろんこんな話題は元からすきではなかったけれど、今みたいに
耐えられないと思ったのは初めてだ。

「そういう雪ちゃんだってかわいいから彼氏ぐらいいるんでしょ?」
お兄ちゃんが今度は雪ちゃんに話し掛ける。
「そうそう雪はねぇ、ねっ」
「やっぱりいるのかぁ。残念だなぁ」
「あらっ、お兄さんたらぁ」
 

「ごめんねお兄ちゃん、高かったでしょ」
「いいよ、バイトもしてるから余裕有るし」
喫茶店を出る時、お勘定を見たお兄ちゃんの顔色が変わったのをわたしは見逃さなかった。ごめんね、お兄ちゃん。
わたしは心の中で繰り返した。

わたしとお兄ちゃんは並んで家路についている。
「ねぇ初音ちゃん」
ん?わたしは顔で返事をする。
「いい友達だね」
「うん」

もうちょっとでわたしは友達に怒るか、泣くかするところだった。
でもみんな私の友達なんだ。
いつもなら単なるふざけあいでサラリと流せるのに、今日はどうして
あんなに悲しくなったんだろう。

お兄ちゃんは道に落ちてた石を蹴った。
夕焼けの空が優しい。明日もいい天気なのだろう。
 

三日目

「う〜っす」
頭がボサボサだということが自分でわかる。
昨日の朝は水で押さえてから居間に来たものだが、今朝はもうこんなに堕落してしまった。
堕落するのが早いな。人間は。

「よう、今日は早いんだ」
梓は卵焼きを焼いているみたいだ。
「あたしは毎日早いわよ」

「ふわぁ〜」
俺はあくびをしながら、居間と台所の境目に腰を下ろす。
「なによ、アンタは昨日早く寝たじゃない」
梓はチラっと俺の方を見ただけで手を止めない。
「そうだけど、やっぱり夢を見てしまったから・・眠りが浅いんだな」
しかし制服の上にエプロンというのはなにかそそるものがあるな。
なんか幼妻みたいだ。
うむうむ、いやはや、まったく。
「アンタ、手が空いてるならこのあたりの皿運んでくれる」

梓の声で俺は正気に戻る。
「へいへい、奥様。わかりやした」
俺は近くの皿をもって居間の方へ運ぼうとした。
「奥様ぁ?」

俺は振り返って梓の顔をみた。
「ん?、どったの?」
「奥様って・・なによ」
「いやなんとなくね」
 

「おはようございます」
その時居間に楓ちゃんが入ってきた。
ここへ来てから楓ちゃんの声を聞いた回数は片手で数えられるような気がする。
「おはよう楓ちゃん」
「楓おはよう、今日も早いんだな」
楓ちゃんは無言で頷く。

「そうだ、楓も皿を運ぶの手伝ってよ」
梓はどこか不自然に早口だ。
楓ちゃんは無言で頷く。
「楓ちゃんって朝早いんだ」
どうでもいいことしか口から出てこない情けない俺。
楓ちゃんは無言で頷く。

何を話し掛ければいいのかわからない。
結局俺はなにも言わずにお手伝いに専念することにした。

「耕一さん・・・・」
意外な事に楓ちゃんの方から話し掛けてきた。
「ん、どうしたの?」
声の不自然さが自分でわかる。
どうも俺は楓ちゃんが苦手のようだ。

「耕一さんは・・・夢を見るんですか?」
梓との話を聞いていたのかな?
まぁ誰だって夢を見るとは思うけどね。
イヤ、相手は楓ちゃんだ。梓じゃない。
「うん、そうなんだ」
「・・・・・どんな夢を見るんですか」

楓ちゃんがこんな積極的に話し掛けてくるなんて・・・
占いとか夢判断とかが大好きなのだろうか。
楓ちゃんはオカルト同好会のメンバーだったりするのかしらん。

「いやそれがね。ここに来てから、って二晩だけど同じ夢をみるんだ」
楓ちゃんが俺の方をじっと見ている。
俺と目が合うとそらす。
「それがつまらない夢でさ。布団の上に寝転がってる夢なんだ」
俺は話が途切れないように口を動かす。
「誰かが帰ってくるのを待っているんだ。誰かとても・・・・」

こころなしか楓ちゃんの顔に表情が戻ってきたような気がする。
俺の視線に気付いたのか顔を伏せるのもとても可愛い。

「とても・・・?」

えっ。あっ。

「その、なんか、恋しいっていうか・・・」

うつむいたままなので楓ちゃんの表情は見えない。

「ちょっと、二人ともなにやってんのよっ」
せっかくのなにかいい雰囲気に水をさしたのは梓だ。

「皿を運ぶぐらいさっさとやってよ」
これくらいのことで怒らなくていいのに。

「それでは私は学校に行きますので」
楓ちゃんはいきなりそう言って身を翻す。
楓ちゃんは逃げるような足取りで玄関へと駆けていった。

楓ちゃん、待ってよ。

俺はそう言おうとしたができなかった。

朝御飯食べないの・・・・?
 
 
 
 
 
 
 
 

貴之が俺の背中に腕を回す。
俺と貴之は抱き合い互いを肌で確かめ合う。
貴之はこの数日実家に帰っていた。
だからお互いの体温がすごく懐かしく感じられる。
俺には分かっている。この儀式が朝まで続くということが。

あれは俺と貴之が出会って二月程たった頃だ。
夜中に電話が鳴った。誰だ今頃。
「柳川、ちょっといいか」
電話の主は俺の上司の長瀬だ。
「先程、吉川っていうヤクザが刺された」
「抗争ですか?」
「チンピラが自首してきたよ。話によると吉川はクスリを扱っていたらしい」
なるほど、分け前をめぐるトラブルか見せしめってところだろう。
「わかりました。今から署に向かいます」

長瀬が俺の言葉を遮る。
「いや、いい。それより吉川という名前に聞き覚えはないか?」
俺は頭の中のファイルを繰ってみたがそういう名前のヤクザは知らない。
「いえ、心辺りがありませんが」

「そうか、吉川の自宅だがな。お前の部屋の隣だ」
なに!ということは貴之の部屋か!

「もうそろそろ署の者が着くはずだ。休んでいるところを悪いが家宅捜査の指揮を執ってくれ。君の手帳や令状は持たせた」
俺は電話を置くやいなやパジャマのまま部屋を出た。
 

貴之が俺の部屋にやってきたのはそれからしばらく後の夜だ。
「柳川さん、俺居るとこなくなっちゃったよ」
貴之は疲れ果てた顔をしている。
参考人として今まで取り調べを受けていたのだろう。
俺は顔見知りということで現場の確保が終わると捜査から外された。
貴之は焦点の定まらない目でこちらを眺めてる。

「俺、親の金もバイト代も全部ローンに消えるし・・どうすればいいのかわからないよ」
「親父にこれ以上金もらうわけにいかないし、そんなに親しい友達もいないし・・」
「バンドのメンバーもみんな貧乏だから・・・」
貴之・・・俺がいる。俺がいるだろ。
俺はゆっくりと貴之を抱きとめた。
 
 
 
 
 
 

「耕一を起こしてきてくれよ」
梓に頼まれて私は耕一さんのいる客間にやってきた。
耕一さんは寝苦しそうにうめいている。
悪い夢でも見ているのかしら。
私は耕一さんの寝顔をぼんやりと眺めた。

そう言えば最近良く眠れないと耕一さんは言ってた。
いったいどんな夢を見ているのかしら。
お化けの夢とか?
まさか。

それにしてもこうして寝顔を見ていると「耕ちゃん」と呼んでいた頃を思い出す。
思わず抱きしめて慰めてあげたくなる。
もっとも耕ちゃんは私になついてはいなかったけれど。

そろそろ耕一さんを起こさなければ梓が文句を言いに来るだろう。
でも個人的にはもうちょっと寝顔を見ていたいような気分。

ガバッ

不意に耕一さんが上半身を起こす。

ぐおぁあ

低いうめき声と共に、いきなり這うような低い体勢のまま縁側へと駆け出した。
そして縁側から顔を乗り出し、・・・耕一さんは吐き出した。

私は耕一さんのもとに駆けつけゆっくりと背中をさする。

「耕一さん、どうしたんですか? 気分が悪いんですか」
耕一さんはひとしきり吐くと苦しそうにせき込んだ。
あっ、こんな表情もなんかかわいい。
私はできる限りの優しさを込めて耕一さんの背中をさすった。
母親みたいだ。いや母親じゃなくって。なんというかその。

「千鶴さんゴメン。ありがと」
耕一さんの息はまだ荒い。

「恐い夢でも見たんですか?」
私はさりげなく耕一さんの頭をなでた。

「千鶴さん・・」
少しでも耕一さんの助けになれればいいのに。
「私こう見えても大学で心理学をとってたんです」
どんな夢か聞かせてくれれば少し楽にさせて上げられかも・・

「あのね・・・最初は暗い部屋で一人うずくまっていたんだ」
「他に誰もいないんですか?」
 

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「じゃぁそのホモ野郎が俺の本性ってこと?」
「そういうことです」

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