最果ての地 100万ヒット記念 叔母と甥の敬意と愛情と触れ合いとすれ違い カワウソ |
――最近、母さんと、恭ちゃんの態度がおかしい。 高町家長女の高町美由希がそのことに気づいたのは二日ほど前からだった。 美由希の実母である御神美沙斗が休暇ごとに高町家へ帰ってくるようになってはや数回になるが、訪れるたびに本人の遠慮などお構いなしに高町家の一員とし てなじまされていた。 帰ってくる(当初は「お邪魔する」といっていたが家族会議の上全会一致で「帰ってくる」と訂正させられた)と何はさておき美由希のところへ飛んでいく美 沙斗だが、他の面々ともやや遠慮がちながら関係は良好で、特に甥に当たる長男の恭也とは道を同じくする者同士の親近感と自分を止めてくれた娘を育てた師へ の敬意、そして、昔、面倒を見ていたころの面影を重ねててか会話は少ないながらもともすれば娘とよりも通じ合うところがあるように感じられた。 一方の恭也も、自分よりはるかに腕の立つ剣士が近くにいるということが嬉しく、美由希ともども更なる高みを目指せるのと、これまた幼いころの思い出も あってかややもすると他の家族に対してよりも素直に接しているのではないか。そう、思えるところがあった。 そんな、お互いに似たような感情を抱いている二人が、どうもぎこちない。 別段、雰囲気が険悪というわけではないのだが、なにか、こう、微妙に遠慮しあってすれ違いをしている。そう、美由希には感じられた。 たとえば、朝の食卓。 「美沙斗さん、醤油使います?」 「ああ、ありがとう。恭也はこの漬物はどう?」 「……いただきます」 会話だけを聞いていればどこがどうというわけでもないのだが、実際は醤油さしは美沙斗のほうが近かったり、漬物も恭也がさっきまで食べていたものだった りと不自然極まりない。 互いに無口なため、もともと会話の少ない二人だが、なにかしら緊張感が漂っているのだ。 「……と、思うんだけど晶。レン。どう思う?」 ここは高町家のリビング。美沙斗が買い物に出かけ、恭也はどこかにふらっと散歩に出たときを見計らって、美由希は半居候の城島晶と下宿人である鳳蓮飛 ――単に「家族」といったほうがしっくりくる二人――に自分の感じていることを話していた。 「そうですなー、なんと言うか、もともと一定の距離を保っているのに妙に近いものを感じるお二人ですけど、このところ、どーも上手くかみ合っていないとい うか、そんな感じはしますな」 「俺も、美由希ちゃんに賛成。師匠も美沙斗さんもなんか、お互いに一歩引いちゃっている感じがして、喧嘩しているんじゃないけど、なんか見ていてもどかし いって思うんだよね」 「やっぱり、二人もそう思うんだ」 自分の思い過ごしじゃないんだと確認する美由希に晶とレンは同時にうなずいた。 「そや、原因はなんだかわからへんけど、お二人ともお互いの立場をひじょーに尊重しておられるので、それゆえになんと言ったらええのかわからん。と、ゆっ た感じやな」 「師匠も美沙斗さんも意外と遠慮深いからなぁ、言いたいことがあったらぱっぱと言っちゃえばいいのに」 自分の分析にのってうなずく晶を見て、レンが小ばかにしたような目つきで続ける。 「それはおさる。あんたが単細胞なだけや。心遣いが細やかなお二人さかい。相手を気遣う余り踏み込めんとゆーこともあるんやで。人の心の機微がわからんと はま、おさるは木に登って何ぞエサでも探すのがお似合いとゆーたところか」 「なんだとカメ。キビだがヒビだかしんねーけどどうしたらいいかわかんなかったら進むしかねーじゃんかよ。お前みたいなカメの歩みじゃ無駄に長い寿命を 使っても1メートルも進展しねえんだよ」 「ほ、行き倒ればったりなおさるらしい浅知恵やな」 「そういうお前は冬眠したまま化石になるまで起きない鈍ガメだな」 「……ゆーたな」 「……いったぞ」 「あ、あのー二人とも、今はそういうことをしている場合じゃ……」 相も変わらず舌戦の応酬からリアルバウトに発展するお決まりのパターンにはまり込んだ二人を一応静止してみるが、こうなると美由希には止められない。 「でぇぇぇぇぇぇえい!!」 「とりゃぁぁぁーー!!!」 「あうあう、だから母さんと恭ちゃんのことはどうすればいいかを……」 「そこまで!!」 ぴた。 一喝。 おたおたしながら何とか止めに入ろうとする美由希の横から小柄な影が飛び出し、レンと晶の間に入る。 「う……」 「な、なのちゃん?」 「二人とも、何をしているんですか?」 高町家無敵の調停者こと。末っ子の高町なのはだった。 「い、いやそれは、そのー、美由希ちゃんの相談をちょっと……」 「そーそー、皆でどうしたらいいかってのを考えよーかと……」 「そ・れ・で・な・ん・で・け・ん・か・し・て・い・る・ん・で・す・か?」 沈黙。 毎度のことながらごまかそうとする二人の弱々しい逃げを一刀の元に切り捨てる。 「あ、あうぅ」 「ごめんなさい」 いつもよりも余分に感じる圧力にレンも晶もあわてて白旗を上げる。 逃げようとしても逃げ切れるものではなく、逃げた分だけ追い詰められるので現時点ではもっとも賢い選択であろう。 「で、おねーちゃん。何のお話?」 さっきまでの圧力をあっさり霧散してなのはが美由希に尋ねる。 美由希はその変幻自在さに「もしかして、なのはも御神流を始めるとすごい剣士になるんじゃないのかな?」などと思いながら要点だけを話す。 「あ、うん。最近母さんと恭ちゃんの様子が変だよねって」 「うーん、なのははちょっとよくわからないけど、確かにそうかもしれないね」 「なのはも思うんだ。でも、どうしてなんだろ……」 「わからないよねぇ……」 「あのー」 あっという間に行き詰まった議題に晶が挙手して発言権を求める。 「晶ちゃんどうぞ」 「結局、本人たちに直接聞くしかないと思うんだけど」 晶の至極もっともな発言にレンも同調する。 「そやな。とゆーても、お師匠は聞いても答えてくれへんやろから、美由希ちゃん、美沙斗さんに聞いてみるしかないんとちがう?」 「そっか、そだよね」 先ほどの脱線ぶりからは想像できない晶とレンの提案に「母さんが帰ってきたら聞いてみよう」と方針を決めた美由希だった。 「ありがとね二人とも、おかげですっきりしたよ」 「いえいえ」 「おやすいごようですー」 「なのはも、ありがとう」 そういってなのはの頭をなでる。 「えへへへー」 ふにゃ、と微笑んで嬉しそうななのはだった。 「母さん。恭ちゃんと何かあったの?」 時間を移して同じく高町家リビング。 出かけていた美沙斗が帰ってきたので美由希は早速母に兄との妙な雰囲気の原因を聞いていた。 一応、お茶とお茶菓子は用意してある。 おやつでも一緒にと誘ってそれとなく聞き出そうとしたようであるが、根が正直な美由希は結局ストレートに聞くことにしたようだった。 「……もしかして、皆気がついているのかい?」 「全員に聞いたわけじゃないけど、なのはとレンと晶は気づいてたから、多分」 僅かな沈黙の後、恐る恐るといった風に聞いてくる母に即答する美由希。 正直、あれで隠しているつもりだったらそっちの方が驚きだけど。と、最近遠慮の無くなった娘の指摘に、美沙斗はうっ、と言葉につまり、うつむき加減に なって しまう。 「で、母さん、本当にどうしたの? 喧嘩しているわけじゃないと思うけど、気になるよ」 沈黙してしまった母に再度畳み掛ける美由希。 平素は遠慮がちであるのに、ここぞと言う時の押しの強さは育ての親の影響かと思いながら、美沙斗は重い口を開いた。 「その、な。恭也の、頭をなでてしまって……」 「へ?」 一体何のこと? と、クエスチョンマークを浮かべた娘に、美沙斗は説明を続けた。 こちらで時間を持て余した美沙斗は、桃子の勧めもあって、翠屋でウェイトレスの手伝いをするようになっていた。(本人は裏方がよかったのだが、オーナー とたまたまいたチーフに押し切られたらしい) 勤め自体はバイトの入れ替わりの激しい翠屋のこと。多少ぎこちなくとも別段問題もなくこなせていたのだが、恭也がちょっとしたトラブルに見舞われた。 常連の女性に逆ナンパされたのだ。 オーナーの休憩しなさい攻撃や、チーフのスペシャルテイクアウト攻撃を何とかしのいでその場は収めた恭也だったが、その日は来る客に頻繁に話し掛けられ てしまい、その応対に時間が取られる始末であった。 当然、他の面々は面白がるだけで止めようとはしない。口下手で照れ屋な恭也にとって、ただ単に忙しい時とは全く違う試練の時であった。 「あはは、そんなことがあったんだ。私も見たかったなぁ」 桃子やフィアッセと同じ反応を示す美由希に美沙斗は少し困った表情を浮かべる。 「あまり笑うものではないと思うよ。恭也はそういうのは苦手なんだし、店員が誘われるのを見逃すと言うのもあまりいいことではないと思うからね」 「あう」 美沙斗のもっともな指摘に一刀両断される美由希。 確かに、フィアッセや忍(場合によらなくても桃子)に声を掛けられるようでは店の雰囲気にかかわる。 まぁ、誘われたところで応じるわけも無く、襲う事など実質不可能な恭也が対象であるゆえの黙認であろう。 「それで、どうしたの?」 「ああ、はたから見ていてもかなり辛そうだったからね。上がった後少し労ったんだが」 その日は本当に疲弊していたらしく、思わず恭也が愚痴をこぼしたらしい。 疲れていて、それでいて照れたような、母達が面白がるだけでフォローしてくれない展開に少々拗ねたような。かなり子供っぽい態度を垣間見せたのだ。 見た目と中身のギャップには気がついている美沙斗だが、年よりも幼い反応という恭也にしてはまず見られないその様子に、まだ御神が健在だったころの面影 が美沙斗の脳裏に浮かび上がった。 「で、思わず昔のように頭をなでてしまったら、恭也が凄い表情をしてしまって、やはり、不味い事をしてしまったと……、美由希?」 美由希は話の途中からテーブルに突っ伏していた。 「まずいよね。恭也はずっとこの家を守ってきたんだから、いまさら子ども扱いされたらいい気になるわけない……」 「ぷっ、あはははははははははははは」 美由希の様子から、やはり深刻な事態になっていると思い出した美沙斗だが、美由希の笑い声につぶやきを中断される。 そう、美由希は頭を抱えて突っ伏していたわけではない。笑い出して話しの腰を折るまいとケイレンする腹筋を懸命に押さえ込んでいたのだ。 「も、もう。何かと思ったらそんなことだったんだ」 「そんなことって、男子が幼児のような扱いされたら誇りが傷つくだろう? 恭也には人一倍そういった自負があるはずだよ」 「ちがうちがう。恭ちゃん照れているだけだって。それが嬉しそうな顔なんだよ」 美沙斗の相手を立てるものの考え方に、なんのかんの言っても育ちのよさがでているな〜、と少し別のところに感心しながら、美由希は母の杞憂を笑い飛ばし た。 「そうなのか?」 「うん、かーさんやフィアッセになでられても似たような顔しているよ。でも、あれで結構嬉しいんだから」 十年以上恭ちゃんの妹やっているから間違いないよと美由希は太鼓判を押す。 「なら、いいんだが……しかし、この後どうしたらいいのか」 「大丈夫、いい案があるから」 任せといてよ。と自身たっぷりに断言する美由希に、美沙斗は肩の荷が下りたような笑みを浮かべた。 その翌日。 「恭也〜、いい子いい子」 「ほーら、今日は思いっきり可愛がってあげるから、しっかり甘えなさいよ」 「どこをどうしたらこのような展開になる……」 朝から疲弊しきった顔と声音の恭也。 鍛錬から帰ってきたらいきなり母と姉的存在が抱きしめるわ頭をなでるわ食事を口まで運ぼうとするわのお子様扱いである。 元々自分を子ども扱いする傾向のある二人であるが、今日のやりようは常軌を逸している。 なにかが手遅れにならないように逃げ出したほうがいい気のする恭也であった。 「はにゃー、おにーちゃん、いいなぁ……」 「……そう思うなら、頼むから代わってくれ」 素直にうらやましがる末の妹に助けを求める。 「あやや、今日は遠慮しておきます」 「ししょー、たまにはいいじゃないですか」 「そですよ。なのちゃんもガマンしてはるんやし、お師匠も甘んじてはいかがかと」 困ったように断られ、中の二人には機をせんじられて諭されてしまう。 いつもの面白がっているだけとは違う反応をいぶかしく思いながらも、援護にならぬと最後の望みを妹に託す。 ――が、 「美由希、見ていないで何とかしてくれ」 「んー、手回しした張本人としてはそれはいたしかねます」 掴んだはずの藁は重石だった。 「これが、解決法なのかい?」 味方が一人もいないとわかり、この前頭をなでた時よりも絶望感が加わった表情をする恭也を見て、美沙斗は美由希に尋ねる。 「うん、というか解決する必要なんて無いんだけど、母さんには証拠を見せようと思って」 「なんだか、この前より凄い表情をしていると思うのだけど、あれで喜んでいるのか」 確かに表情にしては抵抗も弱々しいし、逃げようともしない。 怒気は感じられなくも無いのだが、よくよく観察してみると恥ずかしいのをこらえているのがわかる。 そしてなにより、他の高町家の面々は美由希を見方を支持しているようである。 ならば恭也には少し照れくさいのは我慢してもらおう。と、美沙斗も気持ちを切り替えることにした。 「わたしも、いいですか?」 「み、美沙斗さん、後生ですから勘弁してください……」 「いいですよー、私はそろそろ仕事に出ますから、小さいころの恭也と思って好きに可愛がってください」 「あ、じゃぁ、私もそうしようかな? 午後からお休みだから美由希と一緒にお昼寝しようか」 「いいねいいね。でも、なのはも一緒にね?」 「うん!!」 「ほいでは、家の中の事はお任せです」 「右に同じく!!」 きゃいのきゃいのと華やかに姦(かしま)しく、恭也にとっての死刑宣告を積み重ねる高町家女性陣。 この包囲網を抜け出すのは恭也にはありとあらゆる意味合いで不可能である。 「なんでこんなことに……」 剣士の長い長い受難の一日は始まったばかりであった。 了 |
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あとがき
ども、カワウソです。 では、次は「抜かずの刃、鎮魂の祈り」でお会いしたいと思います。 |