ホネノキオク カワウソ |
「そうでしたか……」 「残念ながら、ね。99.9999%の確率で間違いないわ。それで、どうする?」 「アイツに送ってもらえますか? 俺は久住ではなく、天ヶ崎ですから」 「わかった。私が責任を持って久住に届けるわ」 「ちわーっす」 「おじゃましまーす」 蓮見台学園。時計塔内のマルバス研究室に場違いとも言えそうな能天気、あるいは元気いっぱいの声が響く。 「直樹だって呑気そうだよ」 「別に美琴だけとは言ってない」 つーか、人の頭を覗くな。 「直樹が口に出してたんだって」 「なにぃ!! そうなのかっ!?」 毎度の事ながら驚愕の真実っ!! 「……ワンパターンすぎるかな」 「……確かに」 いつもながらのやりとりはさておき、俺と美琴は恭子先生に呼び出されて、ここに来ていた。 祐介が未来に帰ってから早1年とちょっと。オペレーション・サンクチュアリは劇的な変化を遂げていた。 きっかけは、ちひろちゃんが育てていた新種のフォステリアナ。 この種にマルバスへの抗体になる成分が存在すると証明され、絶望視されていた100年後の展望は一気に開けた。 ちひろちゃんと恭子先生はフォステリアナの栽培の指導と、抗原成分の抽出の指導に当たるため、未来に帰っていた。 年単位で帰ってこられないちひろちゃんはまだ向こう側で頑張っているはずだが、恭子先生は一段落したら戻ってくるといい、そのとおりに昨日帰ってきたらしい。 「いらっしゃい。久住に天ヶ崎」 果たして。恭子先生はいつもの白衣姿で元気そうで何より。と俺達を迎え入れてくれた。 「ではあらためて。お帰りなさい。恭子先生」 「ただいま。あ〜、やっぱりこっちはいいわぁ〜」 俺達にコーヒーカップを渡した恭子先生は、デスクに腰掛けると上機嫌でカップを口に運ぶ。 「あのっ、お疲れ様ですっ!!」 「お勤め、ご苦労様でした」 「ふふっ、二人ともありがとう」 でも久住の言い方、なんか別の意味に聞こえるわよ。と軽く俺をにらむ恭子先生は、変わらないようでいてよく見ると、少しやつれた様子と肩の荷が下りた開放感が同時に感じられた。 ちひろちゃんが対マルバスの要とはいえ、いままで研究を続け、最終的にワクチンの製造にこぎつけたのは恭子先生の力があってこそのはず。 おそらく一段落ついた今、未来の希望をほとんど一身に背負っていたその身で何を思うのか、俺には計り知れないものがあるのだろうなとなんとなく思った。 「私が帰ってきているからわかると思うけど、あっちでの最初の一歩は取っ掛りができたわ。フォステリアナの栽培はまだ始まったばかりだけど、それまでのつなぎとして合成物質でのワクチンの製造には成功した。効き目が弱いし、完治できないけど、もうすぐ行き渡らせられるから、乙種で死ぬ人は出なくなると思う」 感慨にふけっている俺をよそに、未来の状況を俺と美琴に語って聞かせる恭子先生。 美琴も、俺の横で真剣に聞き入っている。 こいつにとっての故郷で、祐介もいる本来いるべきところの話なんだから、ちゃんと聞かないほうがおかしい。 ――もしかしたら、美琴も未来に帰るかもしれない。 祐介の記憶にあった未来は人口が極端に減っている上に、マルバスに感染していない健康な人は更に少なかった。 ちひろちゃんや恭子先生のように重要人物というわけではないにしても、ワクチンの普及のためには労働力は一人でも欲しいはずだった。 恭子先生にこのことを切り出されたら、美琴は間違いなく未来へ帰るだろう。 そのとき、俺は―― 「ありがとうございます。そっかぁ、祐介も頑張っているんだ」 「ええ。ワクチンの被験者一号になってくれて、彼にはフォステリアナから抽出されたワクチンを使ったから、マルバスは完治しているし、今では治療テントで感染者の世話を担当しているわ」 少し暗い想いにとらわれた俺の横で、美琴の声がひときわ明るくなる。 うんうんと頷く顔は、俺に見せるものより大人びて、美琴が「お姉ちゃん」であることを感じさせた。 「とまぁ、あっちはこんな感じ。さてと、」 うれしそうに未来の様子を語っていた恭子先生が、表情を真剣なものに改める。 「ここからが本題。本当は真っ先に言わなきゃいけないことなんだけど」 こういうのはどうしても決意が鈍ってしまって。よくないわよね。とどこか自虐めいたため息をついた。 「恭子先生?」 「あっちで、久住に渡さないといけないものが見つかったの」 表情の変化についていけず戸惑う俺たちに構わず、恭子先生は気を取り直したように立ち上がると部屋の隅から二つの壷を取り上げ、俺の前に持ってくる。 「久住。あんたのご両親よ」 「え?」 「ええっ!!」 更に突拍子もないことを告げられて、完全に置いていかれた俺に恭子先生は淡々と説明を始める。 マルバスワクチンの完成で、未来にも若干の余裕が出来てきたため、死亡者のリストを作成し始めたのだという。 あまりに病魔が急速に広まったため、人の手による荒廃は少なかったとはいえ、家族が離散してしまったケースなど当たり前で、近しい人の消息を知りたがる人は後を絶たなかった。 ワクチンの製造と普及こそが最上級課題ではあるが、人々の心情も汲んで、少しずつ遺体の確認も始まった。 人々に遺伝子情報を提供してもらい、DNA鑑定を行って血縁を割り出していく。 別種の伝染病の蔓延を防ぐためにも遺体は基本的に焼却されているが、今の技術でも可能なこと。未来ではさほど時間をかけずに鑑定は可能らしい。 そして、その中に、あり得ない情報を持つ白骨が二体見つかったのだった。 「DNA情報は改めて採取した物もあるけど、情報の格納先は今まであったデータベースを流用していたの。そうしたら、祐介君と三親等以内の情報が見つかったわ」 「……それって」 「俺の両親。ってことですか」 何とか話を飲み込んだ俺達を前に、他に考えられないと恭子先生は目を伏せてつぶやく。 そして、その骨の持ち主達が公的な記録をもっておらず、六年以上前の情報が何一つなかったことを付け加えた。 「ごめんなさい。もっと早く気づけばこんな形にならなかったのかもしれないのに」 「いえ。恭子先生のせいでは――」 謝罪の言葉を口にした恭子先生を止めようとした時、ものすごい勢いで入り口のドアが開いた。 「久住君っ!!」 ドアの開き方に負けず劣らずの勢いで小さな影が部屋の中に飛び込んでくる。 その影は、俺にまっすぐ向かって来て―― 「久住君っ!! 申し訳ありませんっ!!」 涙で顔をこれ以上ないくらい歪ませながら、影――結先生は飛び込んできた勢いのままに俺に頭を下げた。 「よしなさい。結」 「だって。だって。私のせいなんですから。私が、私がちゃんと『とび太』を扱えればこんなことにはならなかったんですから……」 「しまった」と言う顔をしながら止める恭子先生の言葉に耳を貸さず、自分を責め続ける結先生。 「あの……」 「ごめんなさいっ。久住君!! 私のせいで久住君とご両親がこんなことに。本当にごめんなさいっ」 いきなりもめ始めた二人に対して、とりあえず説明してもらおうと割り込んだ俺に結先生はさらに謝罪の言葉を並べる。 何度も何度も頭を下げ、ひたすらにただ謝るだけの結先生をどうしたらよいのかわからず、俺は恭子先生に視線を投げかけた。 「もはや状況証拠しかないけど、結の言うとおりなのよ。久住が祐介君と分裂して記憶を失い、祐介君はあちらで生活していて、さらにご両親の遺体が未来で見つかった。今とあちらを結びつけられる要因なんて時空転移装置しかないわ」 単純な話。他に原因を求める方が不自然だもの。と視線を逸らし、すまなさそうに説明する恭子先生。 「それだけではないんです。天ヶアさんに聞いた祐介君が保護された日。その直前に『とび太』が暴走したんです……」 しゃくり上げながら説明を補足する結先生。 そして、跪くと床に手をついて、頭を地面にこすりつけた。 「申し訳ありません。そのときに気づいていればどうにか出来たのかもしれないのに。久住君から全てを奪ってしまって……」 「ちょ、ちょっと結先生」 とうとう土下座を始めてしまった結先生を美琴に手伝ってもらって抱え起こす。 正直言って。全部が全部唐突すぎる。 結先生に謝り倒されてもとても実感が湧くものではなかった。 「でも、私が、私が……」 涙に加え、床の埃でさらに顔を汚した結先生が、嗚咽混じりに自分を責める。 今の状態で、結先生が謝罪を繰り返すのを止めるのは難しそうだった。 「こちらでしたか」 結先生をもてあました俺達の背後から声がかかる。 「……玲」 「理事長先生?」 オペレーション・サンクチュアリの総責任者。玲先生がそこにいた。 「結先生がものすごい勢いで久住君を捜して走っていたので、気になって来てみたのですが」 思った通りの展開になっていますね。と玲先生はつぶやいて、俺に向き直る。 「事情は聞かれたとおりです。総責任者として謝罪いたします。それと今更ではありますが、出来る限りのことはさせていただきます」 「理解は出来ました。それよりも結先生をお願いします」 深々と丁寧に頭を下げる玲先生に、恭子先生と美琴に支えられて小刻みに震えている結先生を示す。 我ながらそっけない返事だと思ったが、玲先生はそれについては何も言わず、結先生の様子を見てわかりましたと頷いた。 「ちょっと外の空気を吸ってきますので、後はお任せします」 気遣わしそうな美琴や恭子先生の視線を背に、俺は研究室を後にした。 「よいせ。と」 校舎の屋上。 両親のものだという骨壺を脇に置き、俺はベンチに座った。 「どうしたものかな……」 そうひとりごちて、空を見上げる。 結先生が責任を感じて自分を責めさいなんでいる理由は理解できる。 時空転移装置の管理者が結先生なのだ。交通事故で人をひき殺してしまった心境が近いのかもしれない。 責任感の強い結先生なら、ああなるのも無理はないだろう。 とはいえ、俺にはかけるべき言葉がない。 なぜなら…… 「直樹、ここにいたんだ」 声のした方向に顔を向けると、美琴がやってきていた。 「ああ。結先生は?」 「うん、少し落ち着いたよ。恭子先生と理事長先生が見てくれているから大丈夫だと思う」 そういって、俺の隣に座ると、じっと見つめてくる。 何の邪気もない、ただ、純粋に俺を心配してくれる大きな瞳。 そこに写っている久住直樹はあまりに無表情で、心の中を推し量ることは難しそうだった。 俺は―― 「俺はさ、祐介と分裂した時だと思うけど、記憶をなくしてさ」 「うん、うん」 「両親とも、その時いなくなったから、どんな人たちだったかも知らないんだ」 「うん、うん」 「源三さんと絵里さんが俺の両親で、茉莉は従姉妹だけど、妹で」 「うん」 「多分、記憶を失う前からなんだと思うけど、保奈美がいて」 「……うん」 「そうやって、周りの人に支えられて生きてきて、本当の親がどんな人たちだったかなんて考えたこともなかった」 「……そうなんだ」 「ああ。だから、ここにあるのは俺にとっては『血の繋がりがあると証明された知らない人の骨』なんだよ」 そう。だから正直なところ実感が湧かない。 結先生に謝られても、恭子先生に痛々しい目で見られても、自分のことだという現実味がない。 薄情な息子をみたら今ごろあの世で泣いているだろうなって思うと、もう、笑うしかないって感じだった。 「大丈夫。だよ」 ふいに、そんな声と共にぎゅっと抱きしめられる。 思いの丈を吐き出した俺を美琴が包み込む。 「祐介を見ていたからわかるよ。同じだもん」 だから、苦しまなくていいんだよ。と俺の代わりに涙を浮かべたつぶらな澄んだ瞳が優しく語りかけてくる。 「わたしがいるから、ね?」 「み、こと……」 俺にはこいつがいる。 末莉や保奈美でさえ俺が両親を無くしたことに気を遣っているというのに、俺の本当の気持ちをわかってくれる人はこんなにも近くにいる。 「……ありがとう」 それが嬉しくて、美琴が暖かくて、俺はその温もりにすがりつくように甘えていた。 「では、ご両親のお骨をしばらくこちらでお預かりさせていただく。ということでよろしいですね?」 向かいのソファーに座った理事長先生に、俺は頷き返す。 今、俺達がいるのは理事長室。 美琴に甘えるだけ甘えて落ち着いた俺は、そのまま時計塔に引き返した。 そして、結先生が落ち着いたのか、研究室から上がってきていた三人に、遺骨を預かって欲しいと頼むことにした。 「はい。生死不明になって7年経たないと死亡が確定しません。それ以前に何かすると怪しまれてしまうと思いますから」 「お気遣い、痛み入ります。丁重にお預かりいたします。他にも何か私(わたくし)たちに出来ることがありましたら遠慮なくお申し付けください」 理事長先生はそういうと、再び深々と頭を下げる。 「では、お言葉に甘えて。結先生」 「は、はいっ」 俺達が部屋に入ってきた時からうつむいたままの結先生がはじかれたように顔を上げる。 「俺がここに頻繁に来るのはちょっと問題があると思います。ですので、俺の代わりに両親に線香を上げてくれませんか?」 そう言って、結先生の目をじっと覗き込む。 しばらくぽかんとしていた結先生だが、俺の言ったことが浸透してくるにつれ、またじんわりと涙を浮かべた。 「ぐすっ。はい。わかりました。私が責任もって毎日ご両親にお線香上げさせていただきますう……」 えぐえぐとしゃくりあげながら俺の頼みを請け負う結先生。 その両隣に座っている恭子先生と理事長先生のほっとした目礼を受けながら、俺は立ち上がった。 「葬式や、お墓の件についてはまた今度ということで。時が来て具体的に話がまとまったらお知らせします」 「ええ。是非」 「お葬式の費用を持たせてもらうってわけにも行かないし。お願いするわ」 もう一度礼をして、美琴と一緒に退出する。 「天ヶ崎。久住のこと、よろしくね」 恭子先生の声を背に、俺達は理事長室を後にした。 数年後。 「これで、一区切り。だな」 「やっと、ゆっくり休んでいただけます」 とある墓地。 『久住家』と彫られた墓石を前に、俺と美琴と、結先生に恭子先生に玲先生――こちらの世界で俺の両親について真実を知る全員――が手を合わせていた。 両親の死亡宣告自体はあの事故から7年経った時点で速やかに届け出を出し、受理と同時に葬式が行われた。 手続きは滞りなく行われたが、遺骨がないことを理由に墓は建てなかった。 目の前にある墓は、表向き『俺と美琴が入る墓』として俺達が購入したことになっている。 無論、費用はオペレーション・サンクチュアリから出され、俺の両親のために建てられた物で、二人の骨は今さっき墓の中に納めたばかりだ。 人の目があるために葬儀に参列者としてしかかかわれなかった結先生達が「これだけは」と譲らず、このような形で決着をつけることになったのだった。 「長いことお待たせして申し訳ありません。その分もきちんとお参りさせていただきますから、安心してくださいね」 「あんた。毎日来るつもりじゃないでしょうね?」 納骨を終え、ほっとした表情でお墓に語りかける結先生と呆れ気味の恭子先生。 言うことは違っても、肩の荷が下りてほっとしているのは見てわかった。 「でも、お墓って結構高いし、しばらく節制したふりでもしたほうがいいのかな?」 こちらは意外に現実的な美琴。 元々これでしっかり者(時々うっかりもの)だし、最近はとみにその傾向が強い。 まぁ、それも無理は無く。 「あいつ等のこともあるし、そうそうばれないだろ」 「あはは、そうかもね。それより早く帰ろうか。あの子達待ってると思うし」 そう、美琴は俺との間に二人の子をもうけていた。 名字も久住に変わり、男女一人ずつの子供の面倒を見る美琴はどこから見ても立派な母親だった。 「茉理と絵里さんが見てくれているから大丈夫だけどな」 存外に分厚い我が家の育児体制を思い浮かべて、俺は少し笑う。 さすがにまだ独身の茉理や、未だに若い絵里さんも子供達にはぞっこんで、さながら親ばかが五人といった状態になっている。 そこに保奈美も加わるので、この界隈じゃ無敵の布陣といえるかもしれない。 「お父さんの方はどうなのよ」 「……目下修行中です」 恭子先生のツッコミにうなだれる俺。 母親が3人いては、父親の出番など無いに等しい。 というか、母親連合に逆らってはこちらの身が危ないのだ。 「そんなこと無いよ。お父さんはお父さんの役割があるんだから」 直樹はちゃんとお父さんしているよと美琴は笑顔で保証してくれる。 いままでも、そしてこれからも俺を支えてくれる笑顔。 「そうだな。よし。そろそろ帰るとするか。美琴母さん」 「そうしましょ。直樹お父さんっ」 俺の心を軽くしてくれる笑顔に応え、手を差し出す。 結局、俺の記憶は戻らなかった。 けど、俺には帰るところがある。美琴と築いた家族がいる。 ――記憶にはないけど、また来ます。 心の中でもう一度手を合わせ、墓に背を向ける。 「戻ろうか。俺達の家へ」 了 |
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あとがき
・コンパチ、ありがち…… |