マルチ誕生日記念SS

がいるだけで

 

 

「るん、るんるるるるんるりら〜、るん、る〜んるん、るん、るるるる、るりらぁ〜……」

 トントントン
 ぐつぐつぐつ

 美味しそうな匂いで目が覚めた。
 うーん、このコンソメの匂いはもしかしてロールキャベツ?
 なんてことを寝ぼけた頭で一瞬考え、直後電撃的に覚醒した。飛び起きて見やった壁時計の針は7時を指している。朝の、ではもちろんない。東を向いた窓はすでに濃い夕闇を湛えている。

「……しまった」

 いつの間にか身体に掛けてあった毛布を掴んで、俺はしばし呆然とした。

 

 今日はマルチの誕生日だ。
 俺とマルチの誕生日の祝い方はちょっと変わっている。それはプレゼントを渡すのではなく、ケーキに息を吹きかけるわけでもない。一つだけ、相手のお願い事を叶えてやるのだ。
 願いといってもたいした事じゃなく、肩を揉んで欲しいとか膝枕で耳掃除をして欲しいとかお風呂で背中を流して欲しいとか背中だけじゃなくいろんな所も流して欲しいとかお風呂から上がったらまた汗をかきたくなってきたけどどうしようかなどといったまあごくごく他愛もない、いつもやっていることの延長線のようなお願い事なのだ。
 去年の同じ日、マルチが望んだ願いは「なでなでしてください」だった。しかし、甘く見てはいけない。マルチが喜ぶものだから俺も浮かれて三時間以上ずっとなでなでしていたら翌日腕が一日おかしくなってしまった。そんなわけもあり、今年の願いを決めさせるに際し「なでなで以外」の願い事を出すよう俺はマルチに言った。
 案の定マルチは悩みに悩んだ。

「はう〜……やっぱりなでなでして貰うのが一番嬉しいです」
「ダ・メ・だ。毎年じゃねーか。今年はそれ以外……なあ、マルチ」
「? はい」
「マルチはいっつも一生懸命働いてるよな。俺、すごく助かってるよ。感謝してる。マルチは偉い!全員拍手!」
「そ、そんな……わたしはメイドロボですから、当然のことをしてるまでです……」

 ぱちぱちと小さく拍手をする俺の前で、マルチは頬を染めてうつむきながら遠慮そうに言った。しかし、俺はその言葉にかぶりを振る。

「メイドロボだから当然? そんな悲しいことを言わないでくれよマルチ。じゃあなにか、マルチはプログラムがそう命じるから俺のために働いているのか。それとも、俺のことが好きだからそうしてくれてるのか。どっちだ?」

 俺が急にそう問うとマルチはびっくりしたような顔でこちらを見上げ、次いでもじもじとうつむいた。みるみるうちに頬が上気して行くのが見てとれた。
 潤んだ瞳をうつむかせ、熱を帯びた頬に手を添えてマルチは答えた。

「浩之さんが……す、好きだからです……」

 俺はこの時よく我慢したと思う。真っ赤な顔ではにかみながらそういうマルチが可愛すぎて、俺は我を忘れてマルチを抱きしめその場に押し倒してしまいたくなる衝動を必死に堪えなければならなかった。
 俺はそのかわり、手を伸ばしてマルチの頭を優しくなでた。

「さんきゅ、マルチ。俺、すげー嬉しいぜ」
「浩之さん……」
「でも、それなら俺の言うことも判るよな。マルチが俺のことを好きだと思うのは心があるからだ。プログラム通りにしか動かない機械としてじゃなく、心を持った人間としてマルチは俺と暮らしているし、その心が俺のために働くようマルチを動かしている。そうだろ」
「………」
「だったら、マルチが俺のためにしてくれているいろんな事を、俺は当然とは思わない。――だからマルチ、俺に恩返しをさせてくれ。たまには俺もマルチの役に立ちたいんだ。いつもしてやれるといいんだけどさ、ほら、俺ワガママだし……」

 苦笑しながら俺が言うと、マルチはぶんぶんと首を振った。

「浩之さんは私のお役にたってます!わがままなんかじゃ無いです!!」
「だといいんだけどな、俺にしてみれば全然なんだ。だから――あ、そうだ!」

 俺は思いつきに手を打った。

「マルチがお願い事思い付かないんなら、俺が自分でするぞ。誕生日の一日は、マルチは家の事は何もしなくていい。掃除に洗濯、おさんどんまで全部俺がやる。たまたまその日は日曜だし、翌日は休日だからな。マルチが毎日どんだけ大変なことをしてくれてるか、この機会に知っておくか」
「で、でも浩之さん」
「いいからいいから。マルチは一日メンテナンスでも充電でもひなたぼっこでもしてゆっくりしてな」

 そんな成り行きで、俺は一日中家事に追われて過ごすことになったのだ。
 日曜はいつもお昼近くまで眠っているのだが、今日ばかりは俺も早起きをした。布団を干して叩き、掃除機を掛け拭き掃除をした。掃除というのは不思議なもので、始めるまでが面倒くさいが腰を入れてやりだすとついついはまってしまう。小さな汚れやわずかな染み、かすかな曇りが気になって綺麗になるまでいつまでも磨いてしまう。洗濯機を回しながら台所を換気扇の裏まで磨き上げ、ごちゃごちゃと片づいていなかった物置やクローゼットを整理した。マルチがしていることをするとはいったが、俺はそれだけですますつもりはなかった。マルチが出来ないこと――たとえば重い物を動かしたり、高いところを掃除したり――までするつもりだった。
 昼飯を喰うのも忘れ家事に没頭すること半日。我ながら家中が輝かんばかりになったと思った途端、たまった疲れが急に俺を襲った。引き寄せられるようにソファに寝ころび、ちょっとだけのつもりで目を閉じた。そして――

「はあ……」

 俺は後ろ頭をぼりぼり掻きながらためいきをついた。
 ――そして、いまに至るというわけだ。

 

「るんるん、るるるるんるりら〜、るん、る〜んるん、るん、るんるるんるる……」

 電気の消えた暗い居間を抜け、台所へ歩み寄る。
 マルチの鼻歌とぱたぱたというスリッパの足音がさっきより鮮明に聞こえてくる。台所と居間を区切るのれん越しに差し込む電灯の光を足下にした途端、部屋にわだかまる闇が急に深くなったように感じた。光と影のコントラストが、目に痛いほど強い。
 俺はすぐに台所に入りマルチに声を掛けることがためらわれ、のれんの向こうに時折動く小さな影をじっと見つめながらその場にしばし立ちつくしていた。

 いつのまに、マルチは帰ってきたんだろう。
 俺が家事に没頭している間、マルチは里帰りをしていた。マルチの実家、すなわち来栖川研究所のHM開発室である。これまでも定期メンテナンスなどで行くことはあったけれど、今日みたいな純粋に「里帰り」として行くのは初めてのように思う。きっと長瀬主任も喜んでくれただろう。何しろ今日は愛娘の誕生日なんだから。前日に電話を入れたときには「泊まりがけでもいいんだがね」とまで言ってくれたが、それはお断りした。マルチの誕生日を祝ってやりたい親心は察するが「ご主人さま」としてそれは譲れない。
 だから、マルチは初めから帰ってくる予定ではあった。しかし、それはもう少し遅い時間になるはずだった。
 今の時刻は七時。予定ではだいたいこの時間くらいにマルチは帰宅するはずだった。そしてそれを、俺は贅を尽くしたご馳走とデザート、そして精一杯の飾り付けで迎えてやるつもりだった。

 なのに。

 現実には俺はだらしなくも眠りこけ、かわりにマルチが食事の用意をしている。
 台所から漂う料理の匂いは、それが作り始めたばかりではなくすでに完成に近いことを知らせている。つまり、マルチはかなり前に帰ってきて料理を、それも、自分の誕生日の食事を作り始めていたのだ。
 家の中は綺麗にはなっているけれど、予定していたような飾り付けもなにも出来てはいない。
 マルチが帰ってきた時におかえりも言ってやれなかった。 

「情けねぇ……」

 俺は自分のふがいなさにぎりっと歯がみした。
 今日は、今日だけは、マルチに世話を掛けないつもりだったのに。
 そして、マルチの誕生日を心から祝ってやるつもりだったのに。
 マルチに合わせる顔が、ない。

 と、その時だった。

「あ、浩之さん!」

 俺の気配に気が付いたのか、マルチが台所の中からひょいと顔を出した。

「目が覚めちゃいましたか? 晩御飯もうすぐ出来ますからお待ち下さいっ」
「マルチ、俺――」

 いつの間にか足下に落ちていた視線を上げ台所から顔を出すマルチの顔を見やった俺は、続く言葉を失った。
 彼我の部屋の明暗が激しいため、マルチの顔は逆光になってよく見えない。
 しかし、なにかがおかしい。 のれんから首を突き出す、マルチのシルエットが違う。
 俺は最前までの悩みを一瞬忘れ台所の中にマルチを押して入った。
 明るい照明の元で見直したマルチの顔……頭……

 そこで俺が見たものは、見慣れた耳カバーを外し、かわりにアニメキャラのようなネコ耳を装着したマルチの姿だった。

「ま、ままままままままマルチ!? おま…その耳…」

 あまりの衝撃と突飛さに俺が言葉を失っていると、マルチは両手を上げて自分のネコ耳をそっと後ろから押さえた。
 そして、すこし恥ずかしそうに言った。

「あ、これはですね。ターキッシュアンゴラーというアラブ系のネコをモデルに、開発室でお造りになったそうです」
「そ、そうか……ってそうじゃなくて! なんでそんなもんつけてるんだ!?」
「似合いませんか? とっても可愛いってみなさんおっしゃって下さったんですけど……浩之さんこういうのお嫌いなら外します」

 恥ずかしそうな、ちょっと困ったような、不安げに俺を見上げる表情でそう言うマルチ。
 質問に答えていないぞと思ったけれど、マルチはどうやら俺の評価を気にしているようだ。俺はひとまず自分の疑問をおいて、素直な感想を口にすることにした。

「い、いや、似合ってると思うぜ。確かに、可愛い……」
「そうですかっ? えへへ、嬉しいです〜」

 それほど毛足の長くない、でも柔らかそうな白い三角の耳。
 マルチの大きな瞳とくるくるかわるその表情に、それは確かによく似合っていた。
 どういう仕掛けになっているのか、マルチが喜ぶと耳の先もぴくぴくと動く。
 俺は好奇心を抑えきれなくなって手を伸ばした。

「ちょっと触ってもいいか?」
「はいっもちろんかまいません!」

 マルチは自慢げに顔を差し出して、俺に耳を触らせようとする。
 すると、その耳がまるで本物のネコのようにくるくると回った。

「おおっ、すげえなマルチ!」
「はいっ! なんでもこれは来栖川HM研が総力を挙げて極秘開発したHM用次世代エモーショナルデバイスで、こうなるまでに300億円以上の開発費とスタッフの青春の全てを投資しなければならなかったそうです!」

 さ、さんびゃくおくぅ???
 ネコ耳に、300億……。

 ――あ、いかん。 目眩がしてきた。

「相変わらずまたそんなもんに血道をあげて……」
「ちなみに、私がしているのがネコバージョンで、セリオさんには子犬バージョンが実験装備されているそうです」
「………」

 いぬ耳セリオ……。
 それはそれで何となく似合っていそうだし見てみたい気もするが。

「さらに今後の開発予定としては、同じエモーショナル機能を備えた『尻尾』や魅惑の『へそだしスーツ』など……」

 なおも何かを言い募るマルチに、俺はすこし圧倒されながら言った。

「で、でもよマルチ。それじゃそれは一応最重要企業秘密ってことになるじゃねえか。そんなもんつけて帰ってきて良かったのかよ」
「私もそう思ったんですが……」

 ふ、とマルチが思い出すように目を細めた。
 そして、その耳をつけてくれた人を偲ぶように片手を上げて耳に触れる。

「お父さんが、つけて行きなさいとおっしゃいましたので」
「長瀬主任が?」

 やっぱり出てきた、あのおっさん。予想通りの名前が出てきた。
 こういうの好きそうだからなぁ。きっとこれの開発に青春を捧げたスタッフってのは自分のことだろう。
 そんなことを瞬時に思いながら問い返すと、マルチは意外なことを言った。

「実は、これはわたしから言い出したことなんです」
「私からって……マルチ?」
「はい。お父さんは相談に乗ってくれて……」
「ちょっとまった。初めからわかりやすく説明してくれ」
「あ、は、はいっ」

 おたおたしながらマルチが話した事の成り行きを、まとめるとこういうことになる。

 今日ふるさとへ里帰りしたマルチは、予想通り研究所員に大歓迎されたらしい。
 朝から仕事などそっちのけで始まったお誕生会はのっけから異様な盛り上がりを見せ、昼前にはほとんど全員がすっかりできあがっていたらしい。一応責任者である長瀬主任もちびりちびりと堅実なペースで杯を重ね、終始ご機嫌だったようだ。
 そんな中、だれかがマルチに尋ねた。

「浩之君とは仲良くやってるかい?」

 極めて一般的な、ありふれた質問だと思う。
 マルチは、はいっと元気よく答え、今日ここに帰ってこれたのは俺のおかげだということを話したらしい。
 そして、こう続けた。

「浩之さんは、私にこころがあるって言って下さいました。私にこころがあって、そのこころが浩之さんのことを大好きで、大好きだから浩之さんのために一生懸命お仕事をしてるんだ、って。だから、浩之さんも私の役に立ちたいと……」

 感情で判っていても、言葉にするのは難しい想いがある。
 マルチがしどろもどろになって説明したその言葉は、しかしそれを聞く者の胸に素直に吸い込まれていった。それはきっと、みなマルチを想う者達だからだろう。
 いつの間にか宴の座は静まり返り、マルチの言葉に皆が耳を澄ませていた。

「今日、浩之さんは家で私の仕事をしてくださってます。『マルチがいつも俺のためにどんな大変なことをしてくれてるかを知っておきたい』とおっしゃって、朝から早起きしてお掃除をされてました。いつも日曜日はねぼすけさんなのに、すごいです。……わたしがそう言うと、浩之さんは言いました。『俺もマルチが大好きだから、マルチの役にたちたいんだ』……って」

 それは今朝のことだ。
 研究所に向かうバスに乗るため、家を出るマルチにそんなことを言い返した覚えがある。
 マルチは目を閉じて、そっと思い出すように言った。

「数年前の今日のこの日、私はここで生まれました。いろんな事がありましたけど、私はしあわせなロボットです。本当に、本当に、とても幸せなロボットです。――みなさん、私を作って下さって、有り難うございました」

 深々と、マルチは頭を下げた。
 しいんと静まり返った会場は、直後爆発的な拍手と雄叫びに包まれた。
 泣き出す者、狂ったように手近な物を打ちならす者、マルチへの祝福を連呼する者、抱き合って肩を叩き合う者……。
 感動的で熱狂的で根元的な何かが、その場に集い合わせていた者の心を震わせた。

 鳴り止まない拍手の中、マルチは言った。

「この世界に生まれてきて、浩之さんに出会えた。そのことだけでマルチは幸せです。 浩之さんが側にいる、浩之さんがなでなでしてくれる、目が覚めると浩之さんがそこにいる……それだけで幸せなんです。 浩之さんは今日私のお仕事をして下さってますけど、私はそれを辛いと想ったことは一度もありません。浩之さんのことが『大好き』だからです」

 マルチはそしてこう続けた。

「だから、今日の一日私のかわりに働いてくれている浩之さんに私もなにかお返しがしたいです。いつもは出来ない、特別ななにかを……」

 その時、横で静かに泣いていた父長瀬がちーんと鼻をかんで、近くにいた研究員に言った。

「……おい、アレを持ってこい」
「は。あ、アレですか? でも主任あれは社外持出し禁止……」
「俺が許す! すぐに持ってこい」

 長瀬が言うと、研究員はにやりと笑った。

「へへっ。主任のそういうとこ、好きですよ」
「馬鹿なこと言ってないで早く持ってこい」
「はいはい……マルチちゃん、いま良いもの持ってきたげるからね。待ってなよ」

 そう言ってその研究員は白衣の裾を翻し、怪しい足取りながらも素早く部屋を出ていった。
 そしてしばらくして帰ってきた彼の手にあったものは……

 

「それが、これだと言うわけだな」

 回想を終えたマルチの耳を、俺は片手で弄ぶ。
 はい、と答えるマルチも気持ちよさそうだ。

「お父さんは『浩之君はこういうの好きだろうからきっと喜ぶだろう』とおっしゃいました。私はちょっと心配だったんですけど、でも浩之さんに気に入ってもらえたので嬉しいです」
「長瀬さん……」

 それはどういう意味だ?
 あのおっさんは俺のことをどーゆー風に思っているんだ?
 たしかに、可愛いマルチは嬉しいが。

 そんな俺の複雑な心境も知らず、マルチはにっこりと笑っている。ごろごろと喉をならしていないのが不思議なくらいだ。
 そんなマルチを見ていると俺までなんだか嬉しくなってしまい、それだけに、眠りこけてしまった自分が情けなく、申し訳ない気持ちになるのだった。

「……ワリぃ、マルチ。俺はマルチに喜ばせられてばっかりだ。 今日は、お前の誕生日なのにな……」

 すると、マルチはにこりと笑った。そして笑顔で首を振る。

「そんな悲しいことを言わないで下さい、浩之さん。『大好きだから役に立ちたい』って、浩之さんがおっしゃったんですよ? 浩之さんの側にいて、浩之さんのために働けるのが、マルチの一番の幸せなんです」
「マルチ……」
「それに、浩之さんは今日とても素晴らしい贈り物もくれました。お台所がこ〜〜〜〜んなにぴかぴかです!」

 マルチは両手を広げ、くまなく磨かれた台所を見渡した。

「換気扇さんも、コンロさんも、冷蔵庫さんのうしろまでぴかぴかです! 先月私が失敗して付けたタイルの焦げ付きも綺麗になってます。どうやったらこんなに綺麗に出来るんですか? 凄いです〜」
「ああ、そこは一番苦労したぜ。でもまあ俺の手にかかりゃ……」

 にやりと笑ってそう言いかけて、俺の目頭は急に熱くなった。
 鼻の奥がつーんとする。
 ……まずい、泣きそうだ。

「どうしたんですか? 浩之さんどうしたんですか!?」

 目頭を押さえて突然口ごもってしまった俺に、マルチはおろおろと声を掛けてくる。
 本当にマルチの心理状態と連結しているらしく、そのネコ耳もしゅんと伏せてしまっている。

 大好きだから、お役に立ちたい。
 そう思って、俺たちは互いを喜ばせ合う。そしてそれは、とてもとても大切なことだ。
 でも、マルチの言葉で俺は気が付いた。
 一番大切なこと。
 幸せの根っこにあるもの。
 それはまず何より、お互いの存在なのだ。

 優しいマルチ。可愛いマルチ。泣き虫のマルチ。恐がりのマルチ。みんなの知らない、俺だけのマルチ……
 そんなマルチがそこにいるだけで、俺はたとえようもなく満たされている。

「マルチ……」

 俺はマルチをそっと抱き寄せ、そして荒々しいほどに力をこめて抱きしめた。

 一人では埋められない大きな穴が、そこに空いている。
 マルチがいなくなる。マルチが存在しない。マルチが俺を嫌いになる……
 そんなこと、考えるだけで心臓が凍る。

「……ずっと一緒にいてくれ」
「浩之さん……」
「ずっと一緒にいるから……」

 俺の腕の中で、マルチは小さく俺の名をつぶやいた。
 そして、細い腕を俺の背中に回しマルチも俺を抱きしめてくれた。

「はい……ずっと一緒ですっ」

 

峠の茶屋 unziさんから
挿絵をいただきました!!

 

 誕生日。
 人がこの世界に存在するようになった、記念すべき日。
 その日、人はたくさんのものをその人に贈る。 それはなぜか。
 ……俺は思う。
 その人が生まれたこと自体、その人がそこにいるということ自体が、皆にとっては最高のプレゼントなのだ。
 だから、感謝をこめて贈る。
 そして今の俺のように思い知るのだ。
 その人がいる幸せを、その人がいなくなる恐怖を。

 俺はそのネコ耳に、そっとささやいた。

「……誕生日おめでとう、マルチ」

 

 

2000/3/19
マルチ誕生日記念SS
「君がいるだけで」 完
written by  AKIRA INUI

 

  

 おまけ

 数日後、来栖川研究所から小荷物が届いた。
 発送人はHM開発課の長瀬主任だった。

「お父さんからですか〜」
「なんだろうな」

 期待に満ちて封を開けた俺たちの前に現れたのは……

「? なんだこれは」

 柔らかい毛皮で出来た手袋に、靴下、これまた毛皮でできた細長いひもの付いたパンツの様な物。

「……まさか」
「あ、お手紙が入ってます」  

※小包に通信文を入れるのは郵便法で禁止されてます(^^;)
※説明もなしに小包送られてきたらそれはそれで怖いかと。……今回は特に(編集)
「どれ、マルチ読んでみ」
「はいっ。え〜っと……」

 

『マルチへ。

 このあいだ言っていた、「ネコスーツ」の試作品が出来たので送る。

 完全着用時に、お前は猫になる。 ヘソが丸出しになるのでボディを

 冷やさないように。 使い心地を聞かせてくれ。

 浩之くんによろしく。

 追伸:
 また、いつでも帰ってこい。  長瀬』

   

 ………あのおっさんは何を考えてるんだ。

「お父さん、そんなにも私のことを想って……」
「いや、マルチ、これはお前のことを思ってとかじゃなくて単なるあのおっさんの趣味だと俺は思うんだが……」
「はいっ! お父さん、マルチは立派な猫になります!!」
「やめれって(汗)」 
 
 
 

 

   unziさんからさらに挿絵をいただきました!! 


今度こそ本当に(笑)
    完 

 

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