r e s e r v a t i o n
〜リザーヴェイション〜
ぷるるるっ……ぷるるるっ……ぷるるるっ……
コール三回で受話器が上がり、明るく元気な女の子の声がした。
「はい、柏木です」
「初音ちゃん? 耕一だけど」
「耕一お兄ちゃん? お兄ちゃんなの?」
やけに驚いている。どうしたんだろう。
そう思ってると、突然初音ちゃんがくすくすと電話口で笑い出した。
「ふふふふふ、すごいタイミング…くすくす」
「どうしたの。何かあったの」
「ううん、ごめんねお兄ちゃん。ちょうどいまみんなで耕一お兄ちゃんの話をしてたところだったから」
「俺の話?」
知らないところで自分の話をされているというのは、何となくこそばゆい。
「うん、お兄ちゃんから電話あるかな〜とか」
「噂をすれば影、だね」
俺がくすっと笑ってそう言うと、初音ちゃんはそうだねと言ってまた少し笑った。
「あ、お兄ちゃん梓お姉ちゃんに電話だよね。ごめんね話しちゃって」
「初音ちゃんの声を聞くのも目的のひとつだから、いいよ」
「へへっ…梓お姉ちゃんと替わるね」
ちょっぴり照れたような声で梓を呼ぶ声がして、一瞬むこうの室内の雑音が受話器に入り込んだ。
かすかに聞こえるテレビの音と、近づく足音、後でかわってねという千鶴さんの声。
電話ごしに聞く隆山の家の音は、なんだかひどく懐かしく、訳もない郷愁を胸に抱かせた。
ついこの間まで、そこにいたというのに。
受話器を握りかえる音がして、雑音が消える。
続いて咳払いの声がして
「耕一? 替わったけど」
どうかしたの?、とでも言いたげなのほほんとした声が受話器から流れてくる。
相変わらずな梓の物腰に俺は思わず苦笑した。
「梓か。今日はパーティしてるのか?」
「まあ、ちょっとケーキを買ってきたぐらいだけどね。ご馳走ったって、結局作るのあたしだし」
「そっか、そうだな」
千鶴さんに作ってもらえばいいのに、というブラックジョークは言わないことにした。
「――言い忘れてた。誕生日おめでとう、梓」
「あ、ありがと。…へへ、なんか照れるよ。改まると」
「まあ、形式的なものだからな。――19になったんだっけ」
「うん。ついに十代最後の一年に突入した」
「そっち行ってお祝いしてやりたかったんだけど、ごめんな」
「いいよ、別に。そんなもう年取って嬉しい年頃じゃないしさ」
それもそうか、と言って俺が笑うと、梓は笑うなと言いながら自分も笑った。
それからしばらく俺達は話をした。
話題は主に、今月の頭に開いた親父の一周忌での話だった。
丁度初盆ということもあって、市の著名人などが集うかなり大規模な式典になった。
俺はその席で初めて鶴来屋の重役達と顔を合わせることになったのだ。柏木賢治の、息子として。
不愉快な事もあったけれど我慢できないほどではなかった。叔父さんや親父が死んだときに千鶴さん達が味わった苦しみに比べれば、それは全く取るに足りないものだと思った。
「…しっかし早いよなぁ。あれからもう一年か」
あれ、とは去年の9月、俺が隆山に帰ってきた時のことだ。
その時俺は柏木の運命とぶつかり、みんなのおかげでそれを乗り越えることが出来た。
それから一年…。早いと言ったが、恐ろしく長くも感じられる一年だった。
「……そうだね」
俺の言葉に、梓もしんみりと応えた。
「去年の今頃は、あたしの誕生日どころじゃなかったからね。あんたもまだこっち来てなかったし」
「そっか、じゃあ二年ぶりの誕生日パーティだったのか。いよいよそっち行ってやりたかったな」
「だからいいって。なんかプレゼントでいいよ。現金でもいい」
「図々しい奴」
二人同時に笑ったあと、不思議な間があった。
気まずくも不自然でもない、互いの表情が見えるような、心和む、間。
時がゆっくりと俺達の回りを流れてゆくのを、ただ静かに感じていた。
「…耕一」
梓の声が沈黙を破った。
穏やかな声だった。
「ありがと。電話してくれて」
「来年こそは、そっちで祝ってやるからな。おおっぴらに酒が飲める歳になることだしさ」
「気が早いって。…でも、ま、期待してる」
くすっと笑んで、梓が言った。
「――本当に、ありがとね、耕一。去年に比べたら凄く幸せな誕生日だよ」
「梓…」
「この電話かかってくる前まで、あんたのことみんなで話してたんだ。初音が夕飯の食器をあんたの分まで並べちゃって。あたしもあんたの分計算に入れて買い物してしまったり…そんなことがあってさ」
俺が何も言えずにいると、梓はとても梓らしいまっすぐな声でいった。
「――こっちに来なよ、耕一。あんたはもうこっちの人間なんだから」
「……」
「去年、あんたあたし達に言ったよな。これからは家族だって。親も、親戚も亡くしたあたし達が家族になって、そして少しずつ幸せになっていこうって。――家族は、一緒にいるもんだろ?」
まっすぐな言葉は、俺の胸を確かに打った。
「そりゃ、大学とかいろいろでもうしばらくはしょうがないってことは分かってる。すこしずつ幸せになるってのは、待つことも必要だって事でもあるってことも分かる。だから――今のは、予約」
「予約?」
「うん。今年は去年より幸せです。だから来年はもっと幸せにしてくださいっていう、幸せの予約」
「……梓、おまえ…」
「なに」
「…よくそんなクサいこと言えるなぁ…」
俺がそう言うと、梓はうるさいといって照れたように笑った。
その顔すらも、俺には見えるかのようだった。
それから俺は、電話を替わった千鶴さんや楓ちゃんと少しずつ話をし、電話を切った。
受話器を置いて床にごろりと仰向けに寝転がり、俺は少しだけ考えた。
俺と、みんなの将来について。少しずつ幸せになって行く予定の、俺達の将来の姿について。
梓は隆山でみんな一緒に暮らそうと言った。そしてそれを、幸せの予約だと言った。
それはまた、俺が望む幸せの形と同じだった。
みんなが望む幸せが同じ形をしているのなら、きっと幸せは容易に訪れる。
梓は、今年一年の幸せを受け取って、来年の幸せを予約したのだ。
それが…誕生日プレゼントだと言わんばかりに。
――さて、じゃあどうやって幸せにしてやろうか…。
そんなことを考えているうちに、俺はいつしか眠りについていた。
――蛇足――
それから数日後、梓はひとつの小包を受け取った。
差出人は柏木耕一。割れ物注意のシールがぺたぺたと貼られたそれは、振るとカタカタと音がした。
慎重に箱を開けた梓の顔に一瞬疑問符が浮かぶ。しかし、それは苦笑混じりの大きな笑顔にやがて取って代わり、それは終日梓の面から消えることはなかった。
箱の中にあったのは一組の酒器。そう詳しくない梓でも分かる良い器だった。
その上に、耕一の手による一枚のメッセージカードが添えてあった。
『来年の誕生日まで使用禁止。右の杯は耕一予約なり』
梓は開けたときと同じように箱を慎重に閉め、自分の部屋の棚にそれをそっと置いた。