葉っぱな短編集 その3 第11青函丸さん |
痕SS 【振り向けば君が居て】 「次郎衛門様、ようやく落ち着いた暮らしができますね」 「リネット、晴れてめおと(夫婦)になるというのに、満足な祝言(結婚式)すら挙げてやれなくて、誠にすまない。 その上、拙者はエディフェルばかりか、リズエルやアズエルまで死なせてしまった。 そのほうには、なんと詫びてよいものか……」 「もう、よろしいですよ…、次郎衛門様。済んでしまったことです。今更悔やんでも、始まりません。これからは、夫婦一緒に、姉達の分まで生きてゆきましょう…」 「ありがたい…、リネット」 「あ、そうそう、次郎衛門様。新しき生活の初まりに、記念の写真を取りましょう」 「写真とな? 何じゃ、それは?」 「星を渡る船から、インスタントカメラを持って参りました。写真とは、カメラを使って、ありのままの絵を写し出すことです」 「絵を作るからくりということじゃな」 「はい、左様でございます、次郎衛門様。今、準備を致しますので少しお待ち下さい」 「あの箱を見てればよいのじゃな」 「はい」 リネットによって台の上に置かれたインスタントカメラは、セルフタイマーの点滅に続いて、軽くシャッター音を響かせた。 「ほう、たいしたからくりであるな。しかし、リネット。カメラとやらから出てきたのは、ただの白い紙ではないか」 「次郎衛門様、しばらくすれば、写真が浮きでて参ります」 「どれどれ…、ほう、絵が浮び上がって来るではないか。さすがエルクゥの技術、拙者の姿は、まるで鏡を見ているようにそっくりじゃな。 こちらがリネットか、写真とやらでも可愛いのう。 これは、これは、拙者の後ろに立っておるのはエディフェルではないか。亡くなった者まで写し出せるのか、まったく写真とはたいしたからくりじゃな、リネット」 …… 「おい、リネット、返事が無いが、何をおびえている?」 〜終〜 痕SS 【ゆっくり休んでね、千鶴さん】 「何かしら?」 柏木家の土蔵で捜し物をしていた長女の目が、ある本の背表紙に止った。そこには、 【乳の書】 そして副題には【豊かな乳のために】と書かれていた。ぶ厚いハードカバーの本であった。 土蔵に居るのは一人きり、これから悪事を働こうという訳でもないのに、彼女は慌ててあたりを見回し、傍らにあった無関係の本の間に「乳の書」を挟んで、自室に急いだ。 “第一節” “豊かな乳のためには、ストレス解消が重要です。” おそるおそる本を開いた長女の目には、予想どおりの活字が飛込んできた。 一文字たりとも見落とすまい、そんなオーラを溢れさせながら、長女は相手も無くうなづいている。 今の長女なら、次女に三つの禁句を言われても気が付かないだろう。それぐらい集中していた。 “そのためには、散歩が良いでしょう。毎朝、30分から1時間の散歩が肝要です。” 東の空が明るくなり始めた頃、一家の朝食の支度をする次女の部屋に灯りが点(とも)る。いつもの柏木家の朝の光景であったが、 今日は長女の部屋の方が早く灯りが点った。そして、朝もやが残る隆山の街を歩く長髪の女性の姿が見られた。 “第二節” “豊かな乳のためには、ブラッシングが欠かせません。丁寧なブラッシングは血行改善にもつながり、豊かな乳を約束します。” そして、夜明け前には長女の部屋に灯りが点るようになった。部屋では、いつも以上に丹念にブラッシングしている長髪の女性が見られた。ブラッシングを済ませ、散歩に出かけているようだった。 “第三節” “豊かな乳のためには、爪の手入れが欠かせません。特に丁寧に切りそろえないと、 歩くときの妨げになり、散歩の効果も十分ではなくなってしまいます。” 一番鶏が鳴く頃、長女の部屋に灯りが点るようになった。爪切りと細かいやすりで丁寧に足の爪のお手入れをし、その後、ブラッシング、散歩と長女の日課は増えているようだった。 “第四節” “豊かな乳のためには、住環境の改善が必要です。毎日十分な掃除を行い、衛生的な環境に保つことが重要です。” 一番鶏が鳴くよりも早く、長女の部屋に灯りが点るようになった。いつも以上に丹念に部屋を掃除する姿が見られるようになった。そして、爪のお手入れ、ブラッシング、散歩、と日課は大幅に増加してきた。 彼女の目の下にはクマが出来ている。 ストレス解消どころか、ストレスを増大させているようである。 「千鶴姉、この頃、やつれていない?」 次女も気付いて、心配するようになっていた。しかし、長女としては目的が目的だけに、次女だけには知られたくなかった。自分では同類と思っている三女や四女には伝えても構わなかったが、次女の耳に入ることは絶対に認められなかったから、早起きの理由は極秘となっていた。 ここまでするエネルギーはどこから湧いてくるのだろう? “第五節” “豊かな乳のためには、鼻輪の利用を避けるべきでしょう。” 「鼻輪? 最近流行りのノーズリングやピアスのことかしら? 要はピアスをしなければいいのよね」 長女は一人でつぶやきながら、部屋の掃除を始めていた。 普通の人であれば、そろそろ気付くはずであるが、天然の入った彼女は、まだ気がついていなかった。 翌朝、このところ一番鶏よりも早い時間に灯りが点っていた部屋には灯りが無く、朝もやの隆山の街を散歩する長髪の女性の姿も見られなかった。 長女の部屋は静粛に包まれていた。満足げな寝顔で、心行くまで夢の中をさまよっているように見える彼女の傍らには鋭利な刃物のようなもので裁断された本があった。 そこには、 “これで、あなたの『牛』の乳量は大きく改善されるでしょう”と書かれていた。 〜終〜 痕SS 【備えあれば…】 ファンファンファン! けたたましいサイレン音をうならせ、救急車が疾走する。 病院の廊下には担架の台車音が響く。 急患が処置室に搬入され、威圧するかのように手術用の無影灯が点灯し、緊急手術が開始された。 「先生、患者の血圧低下しています、脈拍数も減少しています、出血500CC超過!」 モニタを見つめる看護婦が告げる。 「昇圧剤点滴、除細動器準備、気道確保」 「はい」 執刀医、麻酔医、看護婦を交え緊迫した空気が満たされる。 「患者、心臓停止しました!」 「除細動器作動、カウンターショック」 一瞬、除細動器と呼ばれた機械に視線が集まる。 その機械から伸びた電極が患者に当てられ、3000Vの高電圧がかけられる。 バッン! 意識も無く横たわっている患者が、跳ねるように硬直する。 「拍動、みられません!」 モニタを凝視する看護婦から声が上がる。 「もう一度、いくぞ!」 バッン! 再び患者の身体が硬直する。 「拍動再開!」 「監視怠るな! 昇圧剤点滴継続!」 緊張の中にもわずかな安堵が見られる。そんな中で手術が続けられている。 「なんとか行けそうだな」 「はい、先生。脈拍、血圧も安定してきました」 ・ ・ ・ 「ほらほら、初音、楓、明日は学校があるでしょ。テレビはこれぐらいにして、もう休みなさい」 「はーい」「はい」 微妙にずれた返事が重なった。 「でも、すごいね耕一おにいちゃん。心臓って止まってもまた動くんだね」 「ああ、全くだ。心臓を動かさせる、除細動器だっけ? すごい機械だな」 「技術の進歩なのですね、耕一さん」 「そういうことだな。まったく」 俺は、柏木家に遊びに来ていた。 楓ちゃんや初音ちゃんと一緒に、事故や中毒の救急医療施設のドキュメント番組を見ていたところだ。 台所では梓が明日の朝食の仕込をしている。 「千鶴さん、今回も招いてくれてありがとう。でも、大学もあることだから、明日戻ることにするよ」 「あら、ゆっくりなさってくれればいいのに…、でも大学なら仕方ないですね」 「また遊びに来てね、耕一おにいちゃん」 「お待ちしています、耕一さん…」 「ああ、ありがとう。そうさせてもらうよ」 そうして俺は、いつもの生活へ戻った。 ・ ・ § § § 「ただいま」 中間テストの最終日、学校が半日で終わった私は、迎える人の無い大きな屋敷の玄関を開けました。 「何かしら?」 なんだか良くない気配があった跡を感じます。私は家の中を調べてみることにしました。仏間、居間、浴室、いつものとおりです。しかし、台所の引出しを開けたとき、気配の正体が理解できました。 『少し出掛けます。明日までには戻ります 心配しないで下さい。 楓』 書き置きを残し、私は備えておいた道具を持って駅に向かいました。 耕一さんのアパートに着いた時には、あたりは茜色に染っていました。 私は少し緊張しながら、部屋の呼び鈴を押しました。 「いらっしゃい、待ってたよ。千鶴さ…、 あれ、楓ちゃん? 楓ちゃんじゃないか!どうしたんだい、突然。それに、その大きな荷物は何?」 耕一さんは突然の私の訪問に驚いているようです。元気な耕一さんに逢えたことは嬉しいのですが、私には確認しなければならないことがあります。 「やはり千鶴姉さんが来る事になっていたのですね? 耕一さん」 「あ、ああ…。さっき千鶴さんから、『出張のついでに寄る』って電話があったけど…、まあ、立ち話も何だから上がってよ楓ちゃん。それに大きな荷物だね。重くなかった?俺が持つよ…」 耕一さんはそう言って私が持ってきた道具を持って、居間に案内してくれました。 居間で落ち着いた時、私は訪問者の気配を感じました。 § § § 「ピンポーン」 突然訪ずれた楓ちゃんに、お茶を入れようとしていたところ、今日2回目の呼び鈴が鳴った。俺は、手を休めて部屋の扉を開けることにした。 「耕一さんお久しぶりです。出張のついでと言ってはなんですが、寄らせてもらいました」 扉を開けると、そこにはにこやかな表情の千鶴さんがいた。 「千鶴さんお久しぶり、隆山は変り無い?」 「ええ、おかげ様で、」 そこまで言って千鶴さんの言葉が止った。居間にいる楓ちゃんに気付いたようだった。 「あら、楓。こっちへ来ていたの? 遠出のときは伝えておかないとみんなが心配するでしょ」 千鶴さんは楓ちゃんに気がつき、優しく諭している。 俺は慌てて楓ちゃんの方に視線を向けたが、楓ちゃんは千鶴さんの言葉に静かにうなづくだけだった。 「まあいいわ楓、遠出と言っても耕一さんの所でしたら問題も無いでしょうし。それにせっかくだから、楓も一緒に頂いたら?」 俺は、この千鶴さんの『頂いたら?』という言葉の意味が一瞬わからなかった。 「耕一さん、一人暮らしは何かと大変でしょう。せっかく、こちらまで来たのですから、今日は腕によりをかけた夕食を御馳走しますわ。道具や材料も用意してきましたから」 千鶴さんは、こう『宣言』すると有無を言わせず台所を占拠した。俺には、遠慮してもらうために声をかける間すら与えてもらえなかった。 『腕によりをかけた夕食を御馳走』 その千鶴さんの言葉は、俺の運命を決定づけていた。そして、突然の楓ちゃんの訪問の理由がなんとなくわかったような気がした。 千鶴さんによって居間に追いやられた俺と楓ちゃん。 「耕一さん、お気づきかもしれませんが、今日、突然おじゃました理由は、千鶴姉さんのことです」 俺は楓ちゃんの話を聴くことにした。 「や、やっぱり?」 俺は千鶴さんの料理と聞いて、身を固くしながらも楓ちゃんの言葉に耳を傾けた。 「私が学校から帰ると何だか変な気配がしました…。そして、台所を見ると、千鶴姉さんの包丁がありません。もしかしたらと思って『道具』を持って耕一さんのアパートまで来てしまいました。そうしたら、予想どおり千鶴姉さんが料理を作りに来てしまった。と言う訳なのです」 「そういう訳だったのか…。でも、俺を心配して楓ちゃんが、こっちまで来てくれるのは、やっぱり嬉しいよ」 「…本当は千鶴姉さんを止められればいいのですが、私の力では何ともなりません…」 俺の言葉に楓ちゃんは頬を少し染めながら答えてくれた。 台所からは、千鶴さんのハミングと共に、怪しげな香りが流れてきている。楓ちゃんの心配は嬉しかったけど、台所で行われている行為を思うと、俺は、半ば諦めの境地に入っていた。 そして、俺は楓ちゃんの荷物が大きかったことを思い出した。 「そういや楓ちゃん。さっき言っていた『道具』って何だい? わざわざ隆山から持って来てくれたようだけど?」 楓ちゃんの傍らには、彼女が持ってきた海外旅行用のトランク半分ほどのケースが鎮座している。 「耕一さんが千鶴姉さんの料理を召し上がるのかと思ったとき、せめてこれだけでもお届けしようと思って、こちらまで急いだのです」 楓ちゃんの言葉はいつも通り落ち着いたものだった。 「ありがとう、楓ちゃん。わざわざ俺のために気を使ってくれて……え? 千鶴さんの手料理に関係あるものなのかい?」 楓ちゃんの心配りは嬉しかったが、嫌な予感もした…。 この荷物、胃腸薬か何かだろうか? それにしちゃ大きいが……。 「楓ちゃん、そういうことなら、開けてもいいかな?」 そう言って俺は楓ちゃんを見ると、彼女は静かにうなづいてくれた。 そして、俺はケースを開けた。 無機質な機械の存在感が居間を支配した。 「千鶴さんの料理がパワーアップしたんだね……」 俺は、楓ちゃんが備えておいてくれたという『道具』を見てつぶやいた。 そこには、ポータブル除細動器と昇圧剤点滴セットがあった。 「耕一さーん! 食事の支度ができましたよ!」 台所の千鶴さんの嬉しそうな声が聞こえた。 〜 終 〜 |
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