それでも、平凡な一時  樹さん


「耕一さん………」
 何度目かの抑えた千鶴さんの呼び声に、俺は小さく溜息を吐く。
「我慢して」
 小さな俺の囁きに、張り詰めた周囲の空気が一瞬なごむ。
 触れ合う肩が、俺の返事に不満そうに動くが、このさいそれは無視する。
 初音ちゃんと楓ちゃんを窺うと、大きく安堵を息を吐き。足立さんの引きつった笑いを浮べた表情は、顔に張り付いてしまっている。
 梓は流石に不満そうだ。
 頬を膨らまし、俺を睨み付けていた。
 ちなみに全員、後ろ手に縛られ、ここ鶴来屋の一室の隅に座り込んでいた。
 もちろん好きで座っているわけじゃない。
 人質という奴だ。
 俺達の居る部屋に五人ばかりの強盗が押し入ったのだ。
「おい。お前ら、口は閉じてろ」
 本人は凄みを効かせたつもりだろう。
 俺達を見張る二人のうち、若い方が手にした銃を振って見せ、馬鹿がつばを飛ばす。
 俺が、せっかく命を助けてやったというのに、恩知らずな奴だ。
「あの、すみません」
 俯いたままの千鶴さんから震えた声が洩れ、俺を始め梓までが息を飲んだ。
「なんだ?」
 見張りに付いていたもう一人、頭のハゲた親父が冷静を装い、威圧するように胸を張る。
 しかし額に浮かんだ汗が、焦りを物語っていた。
「もうあまり時間がありませんし、早く終らせてくださいません?」
 硬い声での千鶴さんのお願いに、見張りだけでなく、窓際から外を窺っていた男と扉に張り付いていた二人も、唖然とした顔で振り返る。
「…馬鹿か?」
「立場ってもんが、判ってないのか!?」
「金持ちって奴は、なんでも思い道理になると思ってやがる」
 口々に呆れたり怒ったりする中で、一人だけ冷静な痩身の男が冷笑を浮かべると、口の端をつり上げ、ニッと笑う。
「悪いね、会長さん。式は諦めてくれや」
 そう、今日は俺と千鶴さんの結婚式なんだよな。
 こいつらは、式の人の多さに紛れ、鶴来屋の金庫を狙ったらしい。
 結局失敗して、花嫁の控え室。
 つまり、この部屋に逃げ込んできんだが。
「それとも、あの世で挙げるか?」
 なにが面白いのか、ボス格らしい痩身の男以外は声を上げて笑い出す。
 だが俺達は笑うどころではない。
 とっくに千鶴さんは、切れる寸前だ。さっきから俺を幾度も上目遣いに見ては口に出さずに尋ねてきている。
 狩っちゃって良いですか? と言う事だ。
 俺が良いよ。と言えば、一瞬で決着は付く。 梓も暴れたくて、うずうずしている。
 二人を抑えている俺の気も知らず。強盗共は持久戦の構えだ。
 足立さんや楓ちゃん、初音ちゃんにしろ、みんなが恐れているのは、強盗より千鶴さんの方だ。
「……お兄ちゃん」
 囁いてくる初音ちゃんの瞳は心配そうだ。
 強盗の命の心配をするなんて、初音ちゃんは相変わらず優しいな。
「耕一さん、もう人質もいませんし」
 楓ちゃんも心配そうだ。
 他にいた衣装係や付き添いは、なんとか解放させている。
 まあ、会長一家と社長が捕まってりゃ、手を出さないと思うよな。
「でもどっちにしろ、今日の式は無理だろうしさ。ゆっくりしようよ」
 この一月、式の準備で忙しかった俺が、みんなを宥めるように気楽に言うと、
「えぇ! どうしてです!?」
 千鶴さんが悲鳴の様な声を上げた。
「こら、話すんじゃねえ!」
「警察の事情聴取とか、現場検証があるからね。千鶴さん、今日は無理だよ」
「…そん…な……」
 ガックリ項垂れた千鶴さんの全身がぶるぶる震えている。
「人質だって事、判ってんのかぁ?」
 絶句した千鶴さんの妖気にも関わらず、見張りは銃を突き付ける。
 ここまで身の危険に鈍いと、感心してしまう。
「それとも俺とやるかい?夜の部分をよう」
 ば、ばかやろうぅぅぅぅ!!!!!
「千鶴さ…

ぷちいっ

 そしてすべてが終わった。

「耕一さぁ〜〜ん」
「はいはい」
 俺は千鶴さんを抱きよせ、頭を撫でていた。
 五つの屍の前で。
 しかし、俺達が止める暇もなく倒して置いて、返り血一つ浴びてないのは凄い。

 千鶴さんと夫婦喧嘩するのは絶対に避けよう。
 俺は身の安全のため、堅く心に誓った。

おしまい

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