こみっくパーティー発売記念SS
 

      微睡みの午後

                  樹

 うららかな春の陽射しがぽかぽかと差し掛ける大学図書館の窓際の席。
 そこは四月の入学式以来、右肩から黄色いリボンで纏めた黒いお下げを垂らした少女の指定席になっていた。
 そこで少女は、いつも一心に本を読んでいた。
 その表情の変化に乏しい頬が僅かに弛み、瞳がきらきら輝きだすのは、いつも図書館を出る少し前。
 今日もその瞬間を待って、春の陽射しを受けながら少女はジッと本に見入っていた。

 黒い影が陽射しを横切っても、少女は気付かずに本のページをめくる。
 ふにふにと頬をつつかれても知らん顔。
 ふにふにが、ぷにぷに変わっても気付いた素振りもない。

「あ〜や?」

 焦れたような呆れたような声と一緒に、ぷにぷに頬をつついていた指が、ふに。っとマシュマロのような柔らかな頬を引き伸ばす。

「……和樹さん?」

 ゆっくりキョトンとした顔を上げた少女は、今日も嬉しそうに頬を緩めて瞳を輝かせた。
 頬を掴まれたまま……。

「和樹…さん?」

 隣りにいつのまにか座っていた恋人が、笑いを必死に堪えているのに気付いた彩は、不思議そうに和樹の顔を見詰めるとゆっくり視線を彼の指に向けた。
 
「…?」
「あ? ああっ! わっ、悪い!」

 怖ず怖ずとした彩の視線にパッと手を離すと、和樹はそっと摘んでいた彩の頬を指先でなぞる。

「ごめん。何回も呼んだんだけど、気が付かないから」
「はい…」

 指での愛撫に身を任せた彩の頬は、すべすべした頬をなぞる指が動く度、仄かに赤みを増し、微睡みに落ちた瞳は夢心地のとろんとした色を滲ませる。

「彩は図書館が好きだな」
「…本…一杯あるから……」
「真剣に読んでたな、何の本?」
「あっ……」
「うん?」

 スッと頬から遠ざかる指に名残惜しそうな視線を送っていた彩は、和樹が首を傾げるとふるふると首を横にゆっくり振り、広げていた本を和樹に差し出す。

「…これ…」
「う〜んと……マザーグース?」

 首を傾げて本を覗き込んだ和樹は、訝しげに眉を寄せる。

「彩?」
「……?」

 覗き込むように見上げた和樹の瞳を見詰めたまま、彩はゆっくりコクンと頷く。

「ええと、昨日はアリスだった?」

 彩はコクンとやはりゆっくりと頷いた。

「その前は、ピーターラビットだった?」
「……はい」

 少し不安そうな影を落とした瞳で、彩はゆっくり頷く。

「…もしかして…次、童話を書く?」
「……」

 色遣いや写実の見事さに惹かれて童話を次々と読んでいた彩は、考えてもいなかった質問に当惑した思いで、細い顎にしなやかな指を当てて考え込んだ。

 リアルに再現されたウサギ達。
 リアルで暖かい色遣いと、細部まで精巧に書き込まれた描写の妙は、只の挿し絵に留まらない芸術品にも近かった。

「あっ、反対じゃないんだ」
「……?」

 考え込んだ彩の様子に反対している思ったのかと慌てて言った和樹に、彩はゆっくり視線を上げて首を傾げる。

「彩の絵は、精密だしこういう写実的な方には向いてると思うけど。カラーじゃないと重すぎないかと思って……」

 和樹は余計な事を言った。と途中で口を閉じた。

 彩の絵やストーリーは、漫画としては重すぎて華が無かった。
 読む者を引き込む話作り、奇抜なアイデア。
 精密で正確な描写。
 天才的な才能を持ちながらも、読者を引き付ける絵作りや話を最後まで読ませる為の華がない。
 いわば一部の玄人にだけ受ける漫画とでも言うべきか。
 最初はそんな彩の漫画を、もっと多くの人に読んで貰いたいと彩とユニットを組んで時折指導した和樹だが。急ぎすぎて、彩の持ち味を殺してしまう事を一番恐れていた。

「……向いてる?」

 だが彩は、和樹の言葉に嬉しそうに微笑んでいた。

「ああ、俺はそう思う」
「あっ…」

 一度言葉にした以上は仕方ないかと思い直した和樹が頷くと、彩は嬉しそうに目元を弛めた。

「彩…童話を書きたい?」
「…こども」

 指を当てた唇から呟くような声が漏れる。

「子供?」
「……」

 和樹にコクンと頷き、彩はゆっくりと目を閉じる。

「…お父さん…お母さん…一緒に読めるから……」
「……彩」

 目を閉じてゆっくりと言う彩の横顔を見ながら、和樹はきゅっと彩の小さな震えている手を握った。

「……」

 恐る恐る瞼を開いた彩は、新しい一歩を踏み出す者が持つ迷った瞳を、助けを求めるように和樹に向けていた。

「やって見ろよ」

 多分彩が今一番欲しいであろう言葉を、和樹は口にした。

「…はい」

 きゅっと和樹の手を握り返した彩は、和樹の肩に身体を預け幸せそうに、微睡みにも似た微笑みを浮かべていた。
 繋いだ手を握り合い身を寄せる恋人達を、春の陽射しが祝福するようにいつまでも暖めていた。
 

                     完     
 

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